表題の通り、自分の持ち物が次々こわれてしまって、出費が無駄にかさんでいる。こういうのって必ず五月雨式に来るよね。
まずはLOMO(いっときブームになって、一部で根強い人気のロシア製のトイ・カメラ)LC-A。奥さんと付き合い始めて最初のクリスマス(6年前)にプレゼントでもらった思い出の品(ひゅーひゅー)。写真が何でもヌーヴェル・ヴァーグっぽく撮れるので気に入って撮っていたが、シャッターの接触不良で、ぱちりと音はしても撮れてない、という状態に。
この症状が巷に存在するのは知っていたが、まさかと思い充分確認せずに9月の新婚旅行(ニース・パリ)に持っていって、「わあいわあい」とフィルム8本撮ったのだった。ところが帰って来てフィルムをプリントに出したら20枚も撮れてなかった。これにはびっくりした&めっぽう凹んだ。デジカメで押さえも撮っておいたからよかったけど(デジカメだけで400枚くらい撮ったというのはないしょです)。
というわけで現在、愛機LOMO LC-Aは東京の鈴木商店さんという専門にやってくれているところで修理中。修理費は見積もりで12,500円。確か購入時の価格は14,000円くらいだったような…(と、涙をこらえる)。でもそんなことも言ってられない。なにせこれがいまや生産中止モデルで、こんなチープなカメラでもプレミアがつくらしく、市場価格が今では購入時の倍以上になっているのである。そんなわけで「新品を買うよりは安い」と思ってがまんする。思い出の品でもあるし、他にない写り味を持ったカメラだから、他の機種に変えるつもりもないし…。
改良を加えた新型も出ていて(LC-A+)、これなら買ってもいい、とも思うんだけど、これも3万円超するしな…。新型だから生産地(旧型はウィーン、オリジナルはレニングラード)も工場も違うかもしれないし、部品の精度が違うと旧型と同じ写りかどうかわからないしな…(機械にこだわる人の良くない心理。僕の持ってるのもウィーン・ヴァージョンだけど)。
といいつつ、このカメラだけならまだしも、先日追い討ちをかけるように、iPodのイヤフォンとして愛用しているB&OのA8もこわれてしまった。以前から左耳の外耳にかける弧状のパーツの先端が外れてしまっていたのだが、音質には問題なかったのでだましだまし使っていた。それが右耳部分の接触不良が発生し、右耳だけ音量が小さくなったり、音が途切れたりするようになった。荒っぽい使い方をしているから仕方ないといえば仕方ないのだが…。
これも日本の本社に修理費の見積もりというか概算をメールで尋ねたら、12,000円近くかかるという。修理期間は10日前後。本体価格が14,700円なので、送料も加えたらそんなに変わらない。奥さんと相談したところ「じゃあ、新しいの買うほうがいいね。また壊れるかもしれないし」と僕と同意見。そんなわけで買えるところを探す。
B&Oは大阪では扱っている店があるんだけど(ミナミのヤマギワさん)、そこまでそれだけのために行くのも億劫だし、交通費もかかるし、扱いのあるBEAMSさんで取り寄せてもらうことにする。BEAMSさんなら御池の新風館にお店があるので自転車でいける。さっそく電話し、金曜日には手に入るとのこと。早くてよかった。
この手続き中、代替品として使えるなら、という思いからiPodの付属イヤフォンを使ってみたが、これはあんまり好みの音質ではないとわかる。中低域というか、ベースのあたりの音域(400~800Hzくらいかなあ)がブーミーで、いっぽう低音・高音は弱いので、いかにも安っぽい音がする(音波に高いも安いもないから、「安っぽい音」というのは後天的・文化的に構成された認知的枠組に過ぎないとは思いつつも)。ベースが前に出るので勢いのある感じにはなるんだけど、もこもこぶんぶんという音感。残念ながらやっぱり付属品という感じ。そんなこと言ってもお弁当の割り箸に文句を言うようなものだとは思うけど。
いっぽうB&Oは、バスドラなどの低音がしっかり出ている反面、ベースあたりの音域は控えめなので、音空間がすっきりした印象になるし、高音域の再現度が高いので、緻密な描写になる。ベースが弱いのでロックとかには不向きという人が多いし、一方でヒップホップとかだと曲によってビートが強すぎるときもあるけれど、僕はこれに馴れているのでこちらの方が好み(付属品は付属品で満足して聴いてらっしゃる方もいるので、好みの問題ですよね)。
そんなことより何より、白いイヤフォン(付属品)は、僕にとってはハウジング(外径)が大きすぎるのだ。そのせいで、一時間も聴いていると耳が痛くなってくる。電車の中とかでiPodユーザーのみなさんが何気にこれを使ってらっしゃるのを目撃しますが、痛くないですか皆さん?僕は痛いです。A8と比較すると1、2mmの違いなんだけど、A8はジャスト。ぜんぜん痛くない。やっぱりアメリカ人の雑な耳のサイズに合わせてあるんだろうか(白いイヤフォンが痛くない、という人ごめんなさい)。
そんなわけで、A8を再購入決定。実はA8くん、これで三代目である。初代は、9.11の次の日に関空を発った思い出の香港旅行で、日本円で9,000円くらいだったので「やっすう」と思って購入。何年か前、郷里の浜松のバスの中で紛失。二代目は、まだ大阪・梅田(中ノ島)のリーガロイヤルの中にお店があったときにそこで購入。Tシャツとジーンズでリーガロイヤルの中を闊歩して少し恥ずかしかったのを覚えている。そのときは14,000円程度。少しずつ値段が上がっている。三代目くんとは、長いお付き合いになるといいなあ。
それにしても、これじゃなくっちゃあ、という愛機がある、こだわるタイプの人間というのは困ったものだ。
A8がこわれたと分かった時、正直、もう少し廉価のオーディオ・テクニカ(デザイン・コンセプト的にはA8にとてもよく似た製品を、ある範囲の価格帯で数種類出している)のものにしようかとも思ったけれど、「ひょっとして、音質が納得いかなかったら…そこそこいいかもしれないけど、満足できなかったら…。もし音質がA8を上回っていたとしても、デザインを好きになれるだろうか…耳かけのアーム部分の強度は大丈夫なのだろうか…」などという思いがぐだぐだと頭の中を駆け巡ってしまい、決断することができなかった。要は、100%(大阪弁で言うところの「100パー」)A8に満足しているのだ。そして僕は変化を求めてはいないのだ。そしてそれより大事なことは、僕は質の低い経験を求めてはいないのだ。
いったんこんなふうに、自分の中で「気に入らないものを避けよう」という意識が働くと、いちいち日常の行動が不便である。例えば、スーパーのコーヒー豆が買えない。チェーン系居酒屋にいけない。べ○トンやコ○サで買い物ができない。ガ○ト(ファミレス)にいけない、などなど。いちいち行動に(たぶんに資本主義的・権威主義的な)こだわりがあるのだ。
といっても、全てのロウブロウなものがダメなわけではない。ユニクロや無印良品の下着や靴下は買うし、時々他の衣料も買う。マクドナルドのチーズバーガーや日清のカップヌードルも食べる。学食や駅の立ち食い蕎麦屋にも入る。
何が違うのかというと、付け焼刃の心理学の用語を使うならば、認知の枠組みの問題なのだろう(ここからくだくだしいし理屈っぽいので読みたくない人は読まない方がいいです)。
つまりユニクロや無印は、僕の中の「リーズナブルな価格の、シンプルな衣料のチェーン店」という枠組み(スキーマ)において、デフォールト値として設定されているものなのだ。この二者に関して言えば、商品にコンセプトというかフィロソフィがあるし、コスト・パフォーマンスも優れているし、その意味において、前述した認知の枠組みを僕自身が積極的に適用する限りにおいて、行動に影響をもたらさないのである。
チーズバーガーやカップヌードルもしかり、学食や立ち食い蕎麦屋もしかり。これらの店はそれぞれ「ファーストフード」「低価格の食堂」というカテゴリにおいて、僕のデフォールト値に設定されているものだ。だから、このカテゴリを今から採用しますよ、という心構えが僕の側にある限り、問題ではない。そこでは僕の期待×価値モデルに見合った結果が概ね得られるからである。
問題は、僕の認知的カテゴリないしスキーマを攪乱し、期待×価値を混乱させる諸々のもの、および期待×価値に見合わないアンダーアチーバーたちである。カップヌードルなのに本物のラーメンらしくしようとしてみたりとか、おしゃれな居酒屋ふうなのに料理が高い、少ない、まずい、とか。その手のものはたいてい期待した結果をもたらしてくれない。そういうものにかかずらって人生の貴重な時間を無駄にしたくない。そんなわけで退ける、足を運ばない店がたくさん出てくるわけだ。
…といいつつ、毎日の消費行動に呻吟懊悩しつつ暮らしているのである。たまに「何のこだわりもなく、シマムラとかで服を買って、コンビニ弁当を食べて、家ではジャージでテレビを観て、それで満足ならどんなに楽か」と本気で思う。でもそういうわけには行かない。この脅迫観念的な行動様式をなんとかできないものか。
いっぺん、頭かちわった方がいいですね。
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