恐怖のポニョループ(レビューのようなもの)

このところ大気の状態が不安定であるが、この日は夕方から大雨だった。

あまりに激しい降りで奥さんが駅まで車で迎えに来てくれた。その後夕食を外で採る予定だったのもある(本当は僕が学生と食事に行く可能性があったのだが、学生の気まぐれか深層心理での嫌悪の表れか当日キャンセルになったので、その場で奥さんにメールして二人で外食に行くことにしたのである)。

そのまま、調子に乗って近所のシネコンで『崖の上のポニョ』のレイトショーを観てきた。

内容と感想について書く前に、この映画について友人のcicaさんから課題をいただいたのでまずそれについて書く。

それは、なぜ幼児はこの歌を歌うのか、それも「崖の上に、やってきた♪」までのところを無限ループで、さらにいうと歌詞も間違ったままで歌うのか、について考察せよ、というものである。

というのも、都並自身もcica女史も、ごく最近お互いに別々の場所で(たまたまどちらも新幹線の中だったが)このような大変うっとうしい(僕は子供は大好きだが、際限なく繰り返される過ちというものには不寛容だ)経験をしたのであった。

とはいえそんな課題を出されても、都並は発達心理学とか音楽教育の専門家ではないので、何を言おうとそれは所詮推察の域を出ないのだが、けれどもcica女史との長年の人間関係には有無をいえないものがあるので、やむなく考察してみる。

これには問題点を三つに分ける必要がある。その上でそれぞれに解答を考えてみる。

問題点①:なぜ幼児はこの歌を歌うのか。

解答(1):幼児は常日頃からオノマトペ(擬音・擬態。ポーニョポニョポニョ)に慣れ親しんでいる。そういう音楽教育を受けている。例)ぽっぽっぽ、はとぽっぽ、ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ

解答(2):同じ幼児(大橋のぞみ)の歌声にシンクロしている。発達心理学の世界では、赤ちゃんは別の赤ちゃんの泣き声に誘発されて/共鳴して泣く、という可能性が指摘されている。

解答(3):「きらきらぼし」と同じで、4小節で上がって下がる旋律が覚えやすい。これは都並が音楽的素人の癖にいきがって考えたことなので、厳密には間違っているかもしれない。いやきっと間違っているだろう。都並の音楽的素養は小学校で止まっているのである。

問題点②:なぜ幼児はこの曲を無限ループで歌うのか。

解答(1):そこしか予告編でやっていない。

解答(2):運悪くそこまでで循環するメロディである。

解答(3):新幹線の車内はひまだ。

問題点③:なぜ歌詞を間違うのか。

解答(1):幼児の言語能力の限界。歌詞を覚えられない。

解答(2):「崖」という単語が、幼児の日常の語彙の中にない。「お母さん、今日幼稚園で先生と崖を見に行ったよ」という文章の非日常性を考察せよ。

解答(3):「崖の上にやってくる」という行動が幼児の日常生活のスクリプトの中にない。幼児はもし日常生活の中で崖に何らかのかたちで接しているとしても、たいていの場合崖の上にてそうするのであり、崖の下にてそうすることはまずない。したがって、「崖の(下から)上に」というスキーマが幼児には理解できない。

ということである。いかがだったでしょうか。

肝心の課題を果たした後で、『ポニョ』について考えてみる。

まず、ジブリ・アニメ全般を論じる難しさについて触れておきたい。

ジブリアニメというのは今も昔も基本的には(『ナウシカ』なんて僕が小学生のときだ)賛否両論を誘発するものである。尤も、昔は一般的には高評価だったのが昨今では一般的にも票が割れる、ということはあるにせよ、映画ファンにとってはなんとなく「ひとこと言いたい」しかも「他人とは違うことを言いたい」という気分を誘発するものなのである。

それはおそらく、見かけの分かりやすさ/ポピュラリティと、その裏側に隠れている(つもりでまるで隠れていない)得体の知れなさみたいなものが共存しているからだ。これはとりわけ『もののけ姫』以降に顕著な傾向だ。

こういう前提に立ったとき、ジブリアニメは「『ポニョ』は大人気だけど本当は失敗作だ」とか「『ポニョ』は批判されているけど絶対的に素晴らしい」という議論がしやすい作品だということになる。なぜかというと、ジブリアニメは、上述の相反性を持っているために、どちらの議論にも証拠を提供する作品となっているからだ。

しかしこういう議論をすることは(なんとなくそれが知的な身振りだということになっていたりするけれど)、物事を単純化しすぎる危険がある。

だからここでは基本的に「いいところもあるし悪いところもあるんじゃないの『ポニョ』」という姿勢をとるつもりである、と予め言っておきたい。その上で、みんなが気になるだろうところについて自分なりに考えたことを書く。

①アニメーションの技法について。

今回、原点回帰とも言える手書き風アニメーションを選択したわけだけれども、これは個人的には成功だったと思う。エリック・クラプトンが『アンプラグド』をやったときのように、CGI全盛のこの時代に、この技法の持つ可能性を示してくれたと思う。

特に、手書き風でありながら、しっかりとその空間の中にいる雰囲気を感じさせてくれたことには驚きを感じている。そんなことを言っても個人的な印象に過ぎないわけだが、この一見矛盾するふたつの効果がどうして達成できたのか、ちょっと考えてみたくなるものであった。

②音楽について

監督自身が製作中にワグナーの『ワルキューレ』を聴いていたからだとは言うものの、今回久石譲さんの音楽が全面的にオペラで、しかもそれが全編を通して鳴りまくっていたのにはびっくりした。クインシー・ジョーンズじゃなかったのか。

③ストーリーの説明不足について

あちこちで指摘されているように、明らかにいろんなことが説明不足だ。

しかしこれは好意的に捉えたい。東浩紀さんが著書『動物化するポストモダン』で述べていたところによると、我々の世代の物語消費というのは「データベース型」だという。

難しい議論は置いておいて、東さんの議論を僕なりに解釈すると、つまり我々は、どんな物語でも物語内の個々のディテールを検索し、それに自らの物語的データベースから情報を補って物語を理解している、ということになる。

逆に言うと、そういうデータベース内の情報を参照させてくれるかぎりにおいて、ディテールが歓迎される、それが「データベース型消費」なのである。

たとえば「眼鏡」というディテールがある登場人物に用いられたとき、それはあらゆる「眼鏡男子」「眼鏡女子」というカテゴリー内の情報を想起させる。

同様に、大きくなりすぎた月や世界の破滅、命の水といった説明不足なディテールも、我々が自らの物語経験の中から情報を補って楽しめばいいのである。

簡単にいうと、自由に想像を膨らませればいいのである。

この点においてこの映画は黒澤明の『夢』に似ているな、と思った。どちらも名監督が老境に至って作った映画、というところも似ている。年を取ると夢幻的なものを志したくなるのだろうか。

④ポニョがかわいいかについて

この映画はなんといっても、ポニョ(と宗介)がかわいいか、ふたりの感情に乗っていけるか、に大きく左右される映画だと思う。それによって映画の評価が大きく変わってくる。こんなにも説明不足な映画なのだから。

個人的には乗っていけた。おかげで映画館を出たときに心が洗われた思いがした。でもその一方で、他の人のレビューを見ると「ポニョが気持ち悪い、生理的に怖い」という人もけっこういるみたいである。

これはなぜなのか。例えば僕がキティちゃんやスヌーピーをまったくかわいいと思わないのと同じで、「かわいさ」のツボが個人個人で違うのだろう。でもそれがゲシュタルト心理学で説明できるものなのか、先天的なものなのか、後天的なものなのかについてはわからない。

が、映像の造形が観客の受容に影響を及ぼすということの好例にはなるだろう。例えば昨日(8月26日)『ダーク・ナイト』を観てきたのだが、マギー・ギレンホールが個人的にはきれいだと思えないので、どうしてもこの映画の恋愛のプロットに乗っていけなかった。同様のことは『スパイダーマン』のMJ(クリスティン・ダンスト)にもいえるのだが。

…などと小難しいことを言いながら、恒例の評価であるが、80ポニョ。たぶん子供ができたらDVDを購入するだろう。

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いただきもの2008夏

080807_1143まずは北島康介選手、世界新での金メダル、おめでとうございます。

実生活での都並をご存知の方はお分かりだと思いますが、都並はプロフィール上彼と「ある共通点」があるので、屈折した自己愛の反射というか、非常に肩入れして応援していたわけですが、無事当初の目標を達成できてほんとに自分のことのように嬉しいです。これは正直、阪神優勝に匹敵する嬉しさです。

ま、我が事のように嬉しいとはいっても、こっちは何事につけ彼ほど努力はしてないわけなんだけれどさ。

Vfsh0429それはさておき、昨日はNY~ダラス~LAと研修に行っていた義弟くんが、お土産を持って遊びに来てくれた。

ということで、いろいろ最近いただいたものを書きとめておくとともに、ここでお礼を申し上げておきたいと思う。

一番上の画像は、奥様のOL時代のお友達でこのブログにも時々登場するT子ちゃんから先週いただいたもので、信州の桃10個である。

これは奥さんのリクエストだったみたいだけれど、非常に甘さと香りのバランスがよく、おいしくいただきました。

強度の小麦好きである奥さんは実はかなりの桃好きでもあり、桃については忘れられぬエピソードがある。

あれはまだ奥さんと結婚する前、別々に暮らしていた頃のこと。ある夜、一日の仕事を終えて独り暮らしのアパートの鉄骨の階段をかつこつと上っているときに、ふいに奥さんからメールが届いた。

「今お風呂から上がって桃を食べています。とても甘くておいしいです。世界の終わりに何を食べるときかれたら私は桃だな。桃桃」

その、何も訊ねてないのに自ら答える、という全体の内容もさることながら、何よりも文末に奥さんの動物的な喜びが力強く現れていた。「桃桃」とただその名称を連呼するだけの、文にもなっていない荒削りな野生の叫び。

おかげで僕は桃のことを考えるといまだにあのアパートの鉄骨の階段が脳裏に浮かぶ。

ともかくそんなわけで我が家では、この時期、桃の季節はちょっとしたフィーバーである。スーパーに足繁く通い、店頭の桃を夫婦して仔細に吟味し、時には匂いまで嗅いで確かめ、朝な夕な食卓に桃を欠かさぬようにしている。

その桃好きの夫婦ではあるが、この桃は普段食べている桃とは違った。普段の桃が渡辺直美だとしたら、ビヨンセくらいの味わいだった。あまりのおいしさにT子ちゃんにメールにて感謝を伝えるとともに、奥さんに「来年も頼むように」と念を押す。

Vfsh0432 二つ目の画像は義弟くんのアメリカ土産。『ハムナプトラ』シリーズのブレンダン・フレイザー主演で3D映画化された『センター・オブ・ジ・アース』の読み物と、『インディ・ジョーンズ』のスティッカー・ブック(シール付絵本、のようなもの)、それから『ダーク・ナイト』も話題のバットマンとジョーカーのペッツ、である。

080811_1206 ペッツはさっそく研究室に飾らせていただきました。研究に関係あるから、とかなんとかいいながら、うちの研究室の本棚はこんな玩具でいっぱいです。

それにしても、30過ぎの義兄にこういうお土産を買ってきた義弟くんの心境っていかなものだったのだろう。センスとしてはど真ん中ストライクで嬉しいのだけれど、お義兄さんとしては失格ではないかと若干気にならないではない。

Vfsh0431合羽橋にてロウ引きの袋をまとめ買いしたりするのに喜びを覚える奥さんには、向こうのランチョン・バッグ25枚セットをもらった。これも「お姉さんのことをよくわかっているなあ」というチョイスである。

25枚「セット」というのは、1枚ずつ絵柄が変わっていて、これを持っていく小学生とかが、お昼休みに知識も身につけられるようなトリビアが書いてあるのである。この一番上の絵はシマウマで「シマウマの縞は一頭ずつ違うんだよ。指紋みたいにね」とか書いてあるわけである。

他には「サイの角はケラチンでできているんだよ。これは僕らの髪の毛や爪と同じ材質なんだ」とか「ケープ・バッファローはとっても社交的な動物で、2000頭もの群れで移動するんだ。彼らはとても仲良しなので、お互いの頭を枕にして寝たりもするんだよ」とか、大人の都並でも「ふーん、へえー」とマジで勉強になることが書いてある。

Vfsh0430 それからこれは向こうのスーパー・チェーンのショッピング・バッグ。さすがにド派手だ。わが国のどこかのチェーンみたいに八分音符がふたつ描いてあるだけ、というのとは違う(値段じゃなくてこういうトリビアルなものこそが我が家的にはツボなので、お友達の皆様も海外旅行の際にはよろしくお願いします)。

このほか『ライオンキング』のパンフレットなどもいただきました。ありがとうございました。

Vfsh0383 最後は、お中元にもらった佐藤錦。某所のお嬢さんに卒業祝いを贈ったらお返しにいただいた。ちょっと前のできごとだけど、写真を撮っておいたのでここに書き記しておこうと思う。

これも大変おいしくいただきました。ありがとうございました。

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いたいシンポジウム/うまいドイツ・ビール

Vfsh0381 日曜日には築地まで出かけ、朝日新聞社主催のシンポジウム「大学教育を考える ―初年時教育を学士力にいかにつなげるか」に聴衆として参加してきた。たまには都並も教員としての職業倫理に目覚めるのである。

シンポジウムの内容はというと、昨今の大学生のスタディ・スキル&ステューデント・スキルの低下(と一概に評していいものかどうかわからないが)を前提に、いかに高校を卒業したばかりの若者に大学での学びの有り方を習得させ、卒業後に期待される学士力、社会人基礎力を四年間で身につけさせるか、ということについて、各大学の先進的なケース・プレゼンテーションをもとに、ディスカッションをするというもの。

これはたいへんな経験だった。「うちの大学/学生はこのままだと絶対良くない」という危機感を共有する大学関係者が300人から集まって、ふだんの学会でもありえないくらいの集中力でもって議論を戦わしていた。その緊張感がびしびし伝わって、基本的に学生に対して放任主義(「君たちもういい大人なんだからね」)を決め込んでいる(おそらくは古いタイプの研究者である)都並も、「どげんかせんといかん」と、お尻に火がついた気持ちになった。

考えすぎて知恵熱を出しそうになったので、終了後はドイツ・ビールでクール・ダウンすることにした。

大学の時から仲良くしているいっこ下の後輩で、いっしょにバンドもしていたI君が、長いことイタリアに留学していたのだけれども、このたび結婚を機に帰ってきて、東京に住むことになったというので、久々に会ってお酒でも飲みましょう、ということになっていたのである。

しかし、ふつうに飲んでも面白くない、ということはないけれどももうひとつイヴェント性にかけるので、かねてより憧れだった「ガード下」へ(非サラリーマンであることを自覚しすぎているせいか、常々サラリーマン文化に妙な憧れがあるのだ)。

で、せっかくガード下に出かけるなら、本来なら「まんぷく食堂」とか「新日の基」とか、そういうハードコア・テイストの居酒屋に行くのが正しい「道」だったのかもしれないが、そしてそういう本格的なお父さんスタイルに後ろ髪引かれるものがあったのも事実だが、それよりもましてこの日はなんだかおいしいビールが飲みたかったので、日比谷の「ドイツ居酒屋 JS・レネップ」に突入。

結論からいうと正解であった。ソーセージとザウアークラウトとジャーマンポテト、アイスバインなどをつまみに、I君と、I君にもったいないくらいのきれいな奥様と、がんがんビールを飲み倒す。なかでも、店側が一押しの「イエバー」(画像はまた別のビールです)は、ホップが利きつつ、シャープな苦味のきいた確かにおいしいビールだった。

四方山話に花が咲き、おたがい何倍飲んだかわからないうちに、気がつけば終電間際。慌てて電車に乗ったが、帰宅は午前様だった。

いやあ、おいしいビールでした。また飲みましょう。今度はストロング・スタイルの親父居酒屋で。>I夫妻

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有朋自遠方来

Vfsh0332 月火の二日間はいろいろと人を出迎えるのに明け暮れた。

まず月曜日は大学の公開講座。30~40名くらいの県民の皆様を前に、映画の歴史について話す。

しかし、まあ、これは(自分の親くらいの年の人生の先輩方が中心だったので、ちょっと緊張してたいへんだったけど)勉強になりました。ありがとうございました。特に、帰り際にお褒めのお言葉をかけてくださった数名の受講生の方、大変励みになりました。感謝いたしております。

なかでもその中の一名の方は、市の男女共同参画課の方だそうで、内容が多少そういう話だったこともあり、「うちの方でも講演していただければ」とまでおっしゃってくださった。それはさらにたいへんなプレッシャーですが、もしお話が来れば引き受けようと思います。よろしくお願いします。

夜は夜で、そのたいへんな仕事が終わって解放感にずぶずぶに浸ってどうにもならなくなったところへ、高校以来の悪友グループの一人で、今は仕事で全国を飛び回っているえびてつ氏が来訪。地方の仕事と東京の仕事が立て続けにあり、その移動経路上に我が家がちょうどあったのだった。

昼の仕事はたいへんだったけれども、別にこれはたいへんでもなんでもない。むしろ解放の祝杯をあげたいところだったので歓待する。奥さんに頼んで、巣穴の食べかけの餌とか古い藁とか落ち葉をきれいにしてもらい、とれたてのはちみつとどんぐりで来客をもてなす。

というのは嘘で(当たり前だ)、「せっかくだからご当地のおいしいものを」というえびてつ氏のご要望で、埼玉県の地鶏「タマシャモ」を出す居酒屋へ。「タマシャモ」は僕ら夫婦もはじめてだったのだけれど、これが脂分控えめで、でも肉の味は濃く、なかなか美味だった。美食家の奥さんも合格点を出していた。我々男どももおかげで酒が進んだ。

しかしこの日は仕入れの関係か刺身がなかったので、それだけが残念。次回奥さんと二人でリベンジを誓う。

それはともかく、めったにこない友人とともに酒を酌み交わせたので、久々にリラックスできた。まさにタイトルにもあるとおり、「朋遠方より来たる有り、亦た楽しからずや」であった。(上の写真はえびてつ氏のおみやげの宇奈月ビール。おいしそうです。ありがとうございます)。

翌朝、えびてつ兄さんを送り出した後、今度は大学にて客人を迎える。

大学の企画した連続講義で、大ヒットしたホラー映画のハリウッド版リメイクも手がけた某監督を招いたのであった。

この監督が、映画監督というといろんなタイプの方がいらっしゃるので、多少緊張して尾で迎えじゃないお出迎えしたのだけれど、とっても優しくてまじめな方でいらっしゃったので、とても嬉しかった。

授業の内容もまじめに取り組んでくださり、学生も熱心に聴いていた。

ただ、講義の途中で流したヴィデオ・クリップでは学生の叫び声に近い悲鳴が上がったのだけれど、学生が叫ぶ授業なんてあまりないから、これはこれでよかったのだろう。と都並は勝手に評価した。でも、教室の出口で何人かの学生に訊いたところ、学生たちも「おもしろかった」と言っていたから、あながち見当違いな解釈でもないのだろう。

ともかく、個人的には成功と思える授業が終わり、その監督を送り出し、その後後片付けをして帰宅したのは9時過ぎ。ホストとしての二日間がようやく終わった。と思ったらなんだか気が抜けて、ソファーで転寝してしまった。深夜に目が覚め、お風呂に入って寝直す。

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さらさの消滅(プロジェクトTNT)

2日(日)は朝ゆっくりホテルを出て、ニット探しの続きに勤しむ。結局バーバリーに決まったのだが、この時点ではまだ決まらない。

昼前に阪神百貨店でT子ちゃん(奥さんのOL時代の友達)と合流。やっぱりお腹が大きくなっていたが、雰囲気はぜんぜん変わらない。もっと太って顔がぱんぱんになっているかと思っていたけれどそんなこともなく、あざやかなロイヤルブルーのエンパイア・ワンピ(エンパイアはこのところ流行が続いていますけど、妊婦には最適ですよね)に髪をポニーテールにして、ルイ・ヴィトンのエナメルのハンドバッグを持って、それから香水の匂いもぷーんとさせての御登場であった。

このT子ちゃんは、外見は小倉優子なのだが口を開くと松嶋尚美さんがちょっと入っている、という、とても気さくで面白い子である。その子が母になるというので、どんな心境の変化があるかと思ったが、じっさい会ってみると何にも変わらない感じだったので意外な感じがした。

個人的にはもっと「お母さんになるの!」というテンションの高さみたいなものがあるかと思ったのだけれどそんなことはなく、喩えが適切かどうか分からないけれど、お正月が来たら門松を出して注連縄をかけて、という年中行事の一連の進行のように、さも当たり前のように「子を産む」というフェーズに入っているようであった。

少なくとも、都並個人にはそんな気がした。

そのT子ちゃんと三人で梅田は安田生命ビルにある「ポンテベッキオ」へ。ランチのプリフィクス・コースから皿数の少ないほうを頼む。これでもけっこうな量だった。

ここでも、パスタが二品から選べるのを三人で別々のものを頼んだら、ウェイターさんが「半分の量でみなさま二皿お出ししましょうか?」といってくれた。三人とも即「じゃあそれで」と返事する。こういう心遣いは嬉しい。前日の阪急百貨店といい、えらいぞ大阪。

都並はここで、昼間からワインを飲みつつ食事。女性2人はミネラル・ウォーター。話題は専ら赤ちゃんのこと。お料理はパスタからメイン、デザートまで抜かりなくおいしい。実は奥さんはここにはよく来ているのだが、僕が連れてきてもらえたのは二回目であった。「今後はもっとつれてきて」とお願いをしておく。

途中、T子ちゃんはここで披露宴をしているので、お店の担当者の方がご挨拶に来る。こういうところもしっかりしたお店である。

お店を出て、それからT子ちゃんのベビー用品選びに付き合う。予想に反して、大丸より阪神百貨店の方が充実した品揃えだった。ここでついでにベビーカーやベビーシートのことなど将来のために詳しく聞いておく。

その後T子ちゃんと別れてからしばらくニット探しを続けた後、京都へ。京都は烏丸御池にできた「ホテルモントレ京都」にチェックイン。ここは、一階ロビー周りの雰囲気とか、各個室は申し分のない感じであった。部屋に加湿・空気清浄器がついているのも嬉しい。ただ、最上階のスパ(という名の大浴場)は別料金のわりにもうひとつ、というのが夫婦の一致した意見であった。同じレヴェルのものなら、琵琶湖ホテルなら無料で入れる。

ホテルを出て京都での夕食へ。またもやいきつけの店、「さらさ」へ。ここは、古い京町家を改装した雰囲気ある店内(床はどこかの体育館の廃材利用)に味・ボリュームともに申し分ないフードが気に入っており、足繁く通っていた。特に、京都に住んでいた去年一年は、毎月一回は必ず行っていた。

混む店なので予め電話予約を入れる。声だけで「あ、あの人だな」と分かる店のお姉さんが予約を受け付けてくれる。

安心してお店に行ってみたところ、「さらさ」はなかった。

もと「さらさ」があったところは、ただの空き地になっていた。

慌ててもう一度店に電話を入れる。訊けば、花遊小路に移転したとのこと。前店舗が跡形もなくなっていたところから、おそらく、地主さんの希望で取り壊しになったのだろう。

電話での案内にしたがって新店舗を訪れた。電話で応対してくれたお姉さんが移転した旨を伝えてくれる。「前の店が気に入っていたのに」というと「私もです」と切実な感じの返事が返ってくる。

新店舗だが、正直内装にはがっかりした。前の面影があるところといえば、町家の梁をむき出しにした天井と、それから古びたピアノをはじめとするいくつかのインテリアだけで、いかにも安っぽい什器ばっかりだった。

前は薄暗かった照明がやけに明るいのもいただけない。客層も、かつての芸大生っぽい人種から、もっとふつうの若者が増えたような気がする。全体に、以前の店にあった、例えば自称ミュージシャンのヒッピーっぽい屈折したおじさんがブルーズやジャズについて熱っぽく語るような雰囲気が、京都に根付くサブカルの伝統の血脈がどことなく繋がっていると思えるような、一見おっかなくもあり、それでいて懐の深い雰囲気が、まるで雲散霧消してしまった。

そんな底知れない悲しみを抱えつつ、フードをオーダー。「海鮮真っ黒炒飯」や「豆腐ハンバーグ」のような定番メニューのいくつかは姿を消してしまったけど、「ヨコハマ丼」なんかは残っている。その中から三品ほど見繕って頼む。

出てきたものは、確かに前の店と同じだ。これで味まで変わったら悲しすぎるが、どうやらそこは大丈夫だった。その懐かしい味を味わい、少しだけ心をほだされて店を出た。

オーケー。変化とともに生きていこう。ボブ・ディランがかつて歌ったように「時代は変わる」のだ。それにしても、この時間という奴の、その攻撃の手の情け容赦のないことよ。そんなシビアな思いとともに、師走の京都を歩いてホテルに帰った。

…そしてその後ホテルのスパにぶうたれたのだった。

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浪花でぃあすぽら(プロジェクトTNT)

来年度授業の計画などに忙殺され、気がつけば一週間以上日記をつけていなかった(12月9日付)。今日になってようやく時間が取れたのでプロジェクトTNT(たまった・日記・付け直し)である。

1日(土)から3日(月)にかけて帰郷していた。理由は単純で、どうにも大阪が恋しくなったからである。

恋しくなったといっても、四月に北関東に越してきて以来、関西にはたびたび帰っている。どれくらい「たびたび」かというと、先月末にこちらで美容院を見つけるまで、髪を切る際は京都で行きつけだった美容院に行っていたくらいである。

だから、関西そのものが恋しい、というわけではないのだが、ことを大阪に限定すると、実は四月から先には一回きり、六月の学会で帰ったきりである。京都はというと、お義父さんお義母さんの会社があるところでもあり、去年一年間住んでいたり、ということで頻繁に帰っているのだが、大阪はしばらく行っていなかったのだ。大阪にはなんだかんだで10年以上住んでいて、今の奥さんとのデートも大阪が基本だったことを思えば、これはえらい隔たりである。

そのせいか、あるとき通勤の電車の中で、ふいに大阪は梅田のディアモール(といういちおうおしゃれなことになっている若者向けファッション・ショップの並ぶ地下街)やイーマ(同じくファッションビル)の光景が脳裏に浮かんだのである。

そうなったら、もう帰りたくてたまらなくなった。たわいもないことだが、ディアモール・フローレのエディフィスでニットを見つくろったり、イーマの狭いエスカレーターを上り下りしたり、というローカルな行為に勤しみたくてたまらなくなったのである。

そこで、月に一度奥さんが帰郷するのに合わせて帰ることにした。

さらに今回の帰省の目的はいくつかあった。

ひとつは、こちらも大阪に住んでいた時分よく通っていた、梅田のかっぱ横丁にある魚料理専門店「魚魚家(ととや)」を再訪すること。

それから、奥さんの友人で春に出産を控えているT子ちゃんを交えて、こちらも大阪で名を轟かせているイタリアン「ポンテベッキオ」(ジュエリーは置いていません)でお食事すること。

次に、こちらも大阪にいた時分は奥さんと毎年詣でていた、梅田スカイビル(大阪一おいしいお好み焼き屋「きじ」はここの地下にあります)の巨大クリスマスツリーと「ドイツクリスマスマーケット」に行くこと。

最後に、今後月末まで繁華街に行くチャンスがあるかわからないので(住んでいるところが田舎だからね)、奥さんとお互いへのクリスマスのプレゼントを探すこと。

こんな豪華メニューの帰省だったわけである。

ということで、土曜日は午後二時ごろ奥さんと合流。さっそく僕の念願である、大阪ファッション・ショップめぐりに付き合ってもらう。寒くなってきたのでワイシャツ(いつまでも奥さんは「カッター」という)の上に着るニットを買い足そうと思ったわけである。

仕事柄、スーツはおろか、ジャケットですらも着用の義務がないので、冬場はニットの方が楽だということに気づいたのだ。とくに、僕はジャケットとなるとカジュアルなものが中心だから、いきおいコットン地が多くなる。するとコートの中で肩のあたりがごわつくのが気になるのである。

けれども僕はずっとアンチ・ニット派(毛玉ができるのが悲しすぎるので)だったので、ニットというと、奥さんが去年「この人はニットを持っていないのだわ!」と気づいて買ってくれたポール・スミスのグレーのカーディガンしか持っていない。そこへ最近、グレーのパンツを何も考えずに買い足したものだから、このニットの登板機会がぜんぜん少なくなってしまったのである。

ということで、念願のディアモール・フィオーレのエディフィスにはじまり、イーマの中やらディアモールの中やら大丸やら阪急やら、あちこちに奥さんを連れまわしていろんなニットをためつすがめつした。

結局、奥さんの見立てでバーバリーのカーディガンを購入(じっさい買ったのは翌日。えらいこと連れ回してすいませんでした)。

その後、クリスマス・プレゼントとして阪急百貨店で「genten(ゲンテン)」の財布を買ってもらう。今使っているのは二十歳ぐらいからずっと使っているパトリック・コックスのもので、いいかげん「やれて」きたので、買い替えが必要だった。

余談だが、阪急の売り場の店員さんは、購入前に「革の感じがそれぞれ違いますから」と在庫を全部見せてくれた。さらに御自分のIDカードをカード入れのスリットに出し入れしてみて、スムーズに入るかどうかチェックしてくれた。結果、一番革の感じが気に入っていたものは、店員さん曰く「接着剤のつきすぎ」で使えないスリットがあることが分かったので、次点のものを選んだ。次点といっても、微妙な色合いと風合いの違いだから、結果的に大満足である。

こういう行き届いたサービスはほんとうに嬉しいものだ。

その後同じフロアで、奥さんのプレゼントを探す。アクセサリー売り場を一回りした後で、よくアクセサリーを買う「agete」でピアスを購入。今まで耳に張り付くサイズのものしか持っていなかったので、水晶がぶら下がるやや大振りのものを購入。良く似合っていたのでよかった。

それから阪急百貨店を出ようとしたら、「CA4LA」でアンディ・ウォーホル・モチーフのものをフィーチャーしていたのを発見。友人のlapin55さんや同僚の先生など知人にウォーホル好きの人が多いので、寄ってみることに。

ついでに奥さんも「私も帽子買おうかな」というのでぶらぶら見ていたら、僕自身がちょっとこのところ探していたものを見つけてしまった。

それは、このブログにも頻繁に登場するlapin55さんの御子息、パダワンくんがほしがっているという、赤いキャスケットであった。

なんでも、lapin55さんのブログによればパダワンくんは最近、赤いロングTシャツにカバーオールでスーパー・マリオのコスプレをするのが気に入っており、「これで後は帽子があれば完璧」と言っているという。

その記事を読んだ都並はそれを「読者への挑戦」だと受け取った。そこで、事ある毎に帽子屋さんや百貨店の帽子売り場を覗き、それらしきものがないかチェックしていたのだ。

それがここにきて、そのものずばり、とでも言うべき一品を発見。即購入を決意した。僕の生き方として、「マリオのカバーオールとマリオのシャツが揃っていることを知っておきながら、さらに別のところにマリオのキャスケットがあるのを見つけておきながら、素通りする」ことは考えられない。

さっそく店員さんにプレゼント包装をしてもらい、lapin55さんに電話した。月曜日に僕が京都で半日空くので、「ちょっといいもの見つけましたぜ。届けに行きやす」と伝える。

阪急百貨店を出て6時。さっそく「魚魚家」へ。早い時間ともあって空いていた。さっそくグレと引っさげのお造り、出し巻き卵、冬瓜の蟹あんかけなどを頼む。酒が進むのでまずはビールから芋焼酎・鬼火のロックに移行。

Vfsh0062 最後に、「ここに来てこれを頼まないなんて考えられない」一品、「魚飯」で〆。要は炊き込みご飯なのだが、魚がおいしいので炊き込みご飯も絶品なのである。季節によって魚は変わるのだが、今回は金目。あいかわらずおいしかった。とりわけ、北関東にいるとおいしい魚はなかなか食べられないので、感慨ひとしおである。

お腹が膨れたらスカイビルに移動。クリスマスツリーを観てからホテルに帰る。ドイツ・クリスマスマーケットは、毎年恒例になっているのでさほど感慨はなかった。でも今年も奥さんと見られてよかったとは思う。まだ大阪は暖かかったので少し間抜けな感じがしたけど。

Vfsh0065 ホテルは堂島の「ヴィスタプレミオ」。今はやりの、リノベーションされたビジネスホテルである。水まわりは旧態依然としていて古臭さは否めなかったものの、モダンで居心地のいいホテルだった。ハービスのすぐ裏手という立地もよかった。

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インド式計算術

一週間ほど更新をサボってしまった。

といって取り立てて忙しかったわけではなく、この一月ほどかかずらっていた英文での論文も書評も締め切りまでに無事提出できた。逆に今回は週の前半に原稿が出せたので、実は時間的に余裕があったほうですらあった。

英語の論文のほうはしかも、ネイティヴの先生に英文のチェックを頼み、「よく書けているよ。ちょっと英語がセカンド・ランゲージの人の英語、って感じがするけどさ、それはだって事実そうなんだもんね」とお褒めの言葉をいただき、10,000 wordsの字数制限のところを9,900wordsちょいというすごいぎりぎりのところまで突き詰められたので、まずは満足であった。

それと書評とを両方期限までに無事提出したので、達成感と解放感からついつい日記の更新も怠ってしまったわけである。

まあ、それが査読を通って掲載されるかはわからないのだけれど…載らなかったらまた再利用しよう。

それはさておき。昨日は奥さんと近所のインド料理屋さんにカレーを食べに行った。いや、正確にはナンを食べに行った。自他共に認める「小麦人間」である奥さんの大好物のひとつがナンだからである。

Vfsh0314 このカレー屋さん、外見は国道沿いのいかにも「昔は別店舗(おそらくファミレスだった)のを改装しました」というようなたたずまいで、ちょっとひっそりと営業している。だから人によっては「だいじょうぶかな」とちょっと不安にならなくもないとは思うけれど、入ってみるとそのクオリティは予想を裏切ってとても高かった。これはいわゆるうれしい驚きであった。

熱々の鉄板の上で煙を上げている状態でサーブされるタンドーリチキン、シシカバブ(どちらも僕の大好物)、それから僕の顔ほどもあるナン。辛味は日本人向けに抑えられているものの、味はとことん本格的なカレー。どれも思わず「うんうん。これだよね」とうなずいてしまうくらいおいしかった。

個人的にヒットだったので心のお気に入りに入れる。

でも悲しいかな、意外とはやっていない。こんな片田舎で、これだけ本格的なインド料理が食べられるお店が、経営不振でつぶれては困るので、皆さん行ってあげてください。

本庄市の、アンベールというお店です。絶対後悔はしないはずです。京阪神のカレーを食べ歩いた自称カレーの王子こと都並が保証します。

お店のスタッフさんもどうやら全員本場の人らしいのも(中には肌の色が墨のように黒い人もいらっしゃいます)、クオリティに説得力を添えています。しかも皆さんエレガントかつ手際よく、料理もテンポよく出てきて気持ちいいです。

ただ、おつりの計算はあちらとこちらとで違うのか、日本だと4,684円のところを10,700円出して、6,000円と小銭でおつり、という払い方をよくしますが、ここでもそうしたら、レジ係のお兄さんはちょっと混乱していたようでした。ぽん、と切りのいい紙幣を出したほうがよいのかもしれません。

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パンの輸送/花火大会

現在、早めの盆休みを取って帰省中です。思いがけなく更新のチャンスがあったので書き込んでおきます。

8日(水)はびわこ大花火大会に向けて11時過ぎに自宅を出発。まずは駅前のスーパーの百均にてレジャーシートとウェットティッシュを購入。ぬかりない自分にほれぼれとする。

13時ごろ東京・丸の内に到着、TOKIAビルの「VIRON」にてパンを購入。

まずは自分の昼食用にプーレ・ロティ(ローストチキン)のバゲットサンドと、それから一緒に花火を観る予定の奥さんのお友達への手土産に、わが夫婦の現在イチオシバゲット「レトロドール」を3本、それから帰省中の朝ごはん用のパンなど。適当に買ったら、総額で2500円にもなってびっくりする。

いやしかし、実際この値段の価値はあるのだ、といいたい。ここのバゲットのおいしさときたら。新幹線の中で食べたバゲットサンドも、ずっしり、さっくり、もっちりで、食べている間中、口の中が幸福感でいっぱいだった。エシレバターもふんだんに使われているし、具材も肉と野菜が惜しみなく使われている。

おまけに、店員のお姉さんもとっても親切丁寧で、「お土産用に小分けにしてください」とか「バゲットは長いので半分に切ってください」とかいろいろややこしいことを頼んだのに、一回の説明できっちり間違えずに対応してくれた。こういうところも好感が持てる。

14時前の新幹線に乗って、京都駅に16時半に到着。移動中は『小林賢太郎戯曲集 椿・鯨・雀』をにやにやしながら読んでいく。

17時ごろ奥さんと合流。大津駅に向かう。奥さんの友人のひとりが来れなくなったので、急遽弟に連絡してみたらすんなりとやってきた。

18時ごろ、奥さん、都並、弟君、奥さんの友人Kさんがそろう。フランス留学経験もあり、バゲット大好きなKさんに「VIRON」のレトロドールを渡したところ、大喜びして匂いをくんくん嗅いでいた。

(彼女はこのあとこのレトロドールを、花火が上がっている時点から早くも少しずつちぎってはおいしそうに食べていた。その様子を見ていると、買ってきてよかったなあ、としみじみ感じた。贈りものが、いちばん喜んでもらえる人に届くというのは、人生の小さな幸せのひとつである)

大津駅近辺は高校時代に知り尽くしているので、メインストリートの混雑をよそに路地裏を通って浜辺へ。

しかし時刻がもう遅かったのでダメモトで湖岸の公園に行ってみたら、4人が座れそうな場所があっけなく見つかった。買ってきたレジャーシートを広げて早速陣取る。

19時半ごろ、花火が徐々にはじまる。はじめは小ぶりの花火を少しずつ。それから次第に大きめのものが、だんだんと空高くに打ち上げられる。一度に打ち上げられる花火の数も次第に増えて、まるでマシンガン状態のクライマックスへ向かう。

Hanabi3s それにしても、高校生の時分から来ているけれど、いつ観てもこの郷里の花火大会が最高だと思う。びわ湖岸という地の利を生かして、何の遮蔽物もない場所で、見上げるほど高くに上がる大輪の花火を、その爆発音を体で受け止めながら観られる。クライマックスではスターマインが湖面でも弾ける。その様はほんとうに圧巻だ。やっぱりスケールが違うな、と思う。

Hanabi2s おまけに今年は例年に増して構成もよく、それぞれの花火が要所要所で際立って、公園中が歓声と拍手に包まれていた。何度も来ているけれど、その中でも良い大会だったと思う。

花火を観ながらお母さんが買ってきてくれた、京都一のオールドスクール・パン屋「まるき製パン所」のコッペパンや、奥さんとKさんが買い出しに行ってくれたからあげやらを食べる。

ちなみに今回の帰省では、「プチメック」のパンも手土産にがっちり買い込んだ。明日以降の埼玉での朝食にするためである。つまり、東京の「VIRON」、京都の「まるき製パン所」「ル・プチメック」のパンをそれぞれ別の県にまで越境させたわけで、なんだか「パンの運び屋」みたいな帰省だった。

花火が終了したのが20時半。観客が多すぎてとてもすぐにはJRに乗れないので、近くのスターバックスでしばらく時間をつぶす。

22時半ごろJRに乗り、帰宅。楽しい一日ではあったが、全身が汗でべたべたになったので熱いお風呂に入る。すっきりして就寝。

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点線の中の僕(プロジェクトTNT)

Vfsh0250_1 火曜日。

日航ホテルを8時過ぎに出立し、前日休館日で悔しい思いをした「舞台芸術の世界」展へ。11時から散髪の予約を入れてあるのだったが、1時間ほどで観てくれば間に合う計算。

関係者HN女史に聞くと「庭園美術館の方が、ハコも点数のバランスもよくってよ」とのことだったが、東京の美術館に行く、というのはタイミングを逃すといつになるかわからないので、京都に行っておくことにした。

予定通りに京都国立近代美術館につき、高校生の時分ここでアンゼルム・キーファーを観たなあ、などと思い出しながら展覧会へ。

細かいレビューは別記事にすることにして、時計を気にしながらきっちり一時間で観て回る。図版を買おうか買おうまいか悩んだのだが(けっこう値段が高いんだもん)、「いやしかし今後、授業に使えるかもしれないではないか。そもそもバレエ・リュス関係の資料の印刷物を持っているのか?」という内なる声が聞こえ、購入を決定。

10時半にバスに乗り、11時、高辻新町のLibertaへ。ここのサイトに写真が載っている人に髪を切ってもらう。

12時すぎにカットが終わって、奥さんと合流。あまりの蒸し暑さに死にそうになりながらタクシーを拾い、パダワン少年のところへルードゥーをしに行く。

Vfsh0251  といっても、ついたのがお昼ごろ。義務教育期間中であるパダワン少年はまだ授業である。そこで、しっぽうさぎさんにお昼をごちそうになりながら、大人の会話を楽しむ。しっぽうさぎさんのファッションの来歴が分かってとても興味深かった。

しかし平穏な時は長くは続かないもので、3時過ぎにパダワン少年が帰ってくる。なぜかTシャツの襟ぐりがでろんでろんに伸びている。朝着ていったときにはちゃんとしていたらしいのだが。

それよりも何よりも、たった3ヶ月会わなかっただけで、また少しオトナっぽい顔になっていたのでびっくりする。子供の成長って早いんだなあ。

と、なんだか親戚の叔父さんみたいな気分になる。

ここで都並の思考はあらぬ方向に、自らの少年時代へと向かう。しゅぱー(思考が向かう音)。

思えば、僕が小学生だったころは、学校が長い休みになるたびに、今年3月に他界した祖父のところに帰省していた。そこで祖父は僕達3兄弟、自称3匹のこぶたを思いっきり甘やかしてくれたのだが、彼の眼にも僕らはこんなふうに映ったのだろうか。

3ヶ月毎に現われては、マッハの速度で大きくなっていく、真っ黒に日焼けした、痩せた子供たち。彼は、言ってみれば、直線状に途切れなくつづく僕らの人生を、ある点線として眺めていたわけだ。彼はそんな点線の中の僕らのことをどんな思いで見ていたのだろうか。

ぱしぃー(思考が現実に帰る音)。

などと思いを馳せている時間はわずか一瞬で、というのも目の前のパダワン少年はそんな隙などぜんぜん与えてくれないからだ。

面子が揃うとすぐに2回めのルードゥー・タイムが始まる。しかし子供というのは常に、よい点も悪い点も持った生き物である。

パダワンくんもその例に漏れず、「お兄ちゃん、遠くに行くお仕事はもう終わったの?」(つまり、北関東から京都にもう戻ってきたの?)などと感動的な発言をしてくれる一方で、「腐った○○○が燃え出ーしー♪」というここで書きにくいようなオリジナル・ソングを披露してくれる逸材なのである。

そのパダワンくん、我々のいない間にも客人を捕まえてはルードゥーをしていたらしく(パッケージの箱は早くもぼろぼろだった)、その間に少しずつ、理の当然として、彼に不利にはならないように作られたオリジナル・ルールを付け加えていた。

が、この新ルールがゲームの質を「ぬるく」してしまったのは否めなかった。この点はしっぽうさぎさんも直ちに気づかれたようで、「次回はもとのルールで」と、早くも次回(8月かな)のレギュレーションを設定してくださった。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、6時過ぎにしっぽうさぎさん宅を出る。バスに乗って京都駅へ。ここから奥さんは実家へ。僕は東京行きの新幹線に。しばらく別々である。

帰りの新幹線の中でまた、点線と実線について考える。例えば奥さんと僕とは、デートという点線を重ねて結婚という二重線の実線にたどり着いたのだ。家族というのはこういう多重の実線を作っていくことなのだな。

そして、奥さんを送り出してくれたお父さんお母さん。お二人の中ではまた、奥さんは点線になってしまった。今、そのことをどんな思いで受け止めてらっしゃるのだろうか。

という感傷的な思いとホップちゃんエビスを乗せて、新幹線は東京に向かう。

しゅぱー。

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覚えている言葉

今日は学生のひとりが研究室にやってきて、「先生、今私、四年生で、就職も決まって、単位も足りてて、時間が有り余ってて不安なんです。何をすればいいでしょう?」と相談に来た。

そんなことを聞かれても簡単に答えは出せないのだが、なんだか金言名言の類を思い出しつつ、なるたけ親身にアドヴァイスしておいた。

誰しもこれくらい生きていると、誰かの言葉に感銘を受け、それをいつまでも覚えているということがままあると思う。都並もその例に漏れず、たくさんの言葉を覚えている。それらの言葉うちのいくつかはさらに、都並の人生の指針ともなり、僕が今ここにいる、ということに何らかの影響を与えてきた。

それらは、例えばこんなものだ。

「ほんとうに自分のしたいことをしようと思うなら、自分のゲームを戦ってはいけません」(研究会で親しくさせていただいた、政治学の大先生の言葉)

「お前は、先生になれるとなったら、なっちゃうからやめなさい」(大学で教職の課程を取ろうか迷っていたときの母の言葉)

「生活のNo.1プライオリティを研究におけ」(院生の時の恩師の言葉)

「サラリーマン[のつもり]になればいいんだよ」(同じく院生時代、研究の時間の見つけ方について尋ねたときの恩師の言葉)

「自分のいないところで大事なことを決めさせるな」(学会の総会に出た方がいいか聞いたときの恩師の言葉)

「いい先生の講義は、本になる。だからいい先生の授業には出なくていい。悪い先生の授業は出なくていい。だから、大学の授業には出なくていい」(大学の先輩で、今は大阪の某大学の先生が、一年生の僕に言った言葉。真に受けたおかげで後々えらいことになりました)

「レッツ・サマー!」(高校一年生以来の旧友がびわ湖花火大会で興奮して叫んだ言葉)

「レッツ・クレバー!」(同じ友人が、大学時代、他人に同意するときに使った言葉。どうやらレッツがveryの意味らしい)

「デレーチョ/ウレーチョ/サレーチョ」(同じ友人の造語で、順に直進/右折/左折の意。用例:そこの信号でサレーチョ!)

「できるできひんじゃないねん。やんねんや」(同じ友人の言葉)

最後の四例を引用させていただいた、僕のもっとも親しい友人のところに、昨日、お嬢さんが誕生しました。自分以外のことで、こんなにうれしいことは久しぶりです。心からお祝い申し上げます。

追記:もっともっと僕の人生によき影響を与えてくれた言葉があって、その中には奥さんからのものもたくさんあるんだけど、恥ずかしいのでここでは控えておきます。

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タイムトラベルはつづく(プロジェクトTNT)

【DAY4:髪を切る、佐世保バーガー、祖父母の家、バースデイ・ストーリーズ】

この日は午前中から、昨年京都で行きつけだったお店で髪を切ってもらう。北関東の地ではまだ安心して任せられるお店を見つけられていないのである。結果、顧客カードを見てわかったのだが、京都に住んでいたときより早い頻度で通っていることになる。おかげでで20%オフであった。これで昼食代が奮発できる。

ここのお店は、僕も良く聴くベン・ハーパーとかジャック・ジョンソンがいつも流れていて、中古のカメラが飾ってあったりして、何かとセンスに共鳴できるところが多く、落ち着いて通える。お店のスタッフさんもみんな楽しくていい人で、リラックスできるのもいいところだ。いつも髪を切ってもらうSさんは、バルサのゲームシャツの上にタキシード・ジャケットを着たりする伊達男である。

髪を切ってさっぱりしたら、京都駅に移動。今晩、浜松の祖父母の家で留守番の必要が発生したので、いちばんフリーなポジションにいる僕が買って出ることにしたのだ。

京都駅では昼食を「京都拉麺小路」で採る予定だった。住んでいた時分、後一軒を残すのみで残りのお店は制覇したのだが、引越し直前に新しいお店が入ってしまったので、リベンジを果たすつもりだった。

ところが着いてみると、ゴールデンウィークとあってどの店も長蛇の列である。新幹線の時間があるから、悠長に待ってもいられない。どうしようかと思っていたところ、佐世保バーガーの店「LOGKIT」が目に入った。少し前に同じフロアにオープンしたのだった。

迷うことなくプランを変更し、佐世保バーガーR(レギュラー)を注文。15分ほど待つと焼きあがったのが出てくる。うわさに聞いたとおり大きい。しかし全然完食できる。味は、でも「クアアイナ」の方がおいしいな、と思う。佐世保バーガーはケチャップやらマヨネーズやらがたっぷりで、そっちの味が強いし、ハムも入っているのでパテの純然たる風味が消されている。クアアイナの方がどちらかというと炭火で焼いた肉の味が強調されているように思う。

ともあれ、バーガー好きとしてはいちおう食べておかないといけないな、と思っていたので満足だ。

2時半ごろ、新幹線に乗って浜松へ。ちょうどいい時間にひかりがあった。浜松に4時ごろ着く。

浜松に着いたら、何をするかというと何をするでもない。年老いた祖母が独りきりになってしまうので付き添いをする、というだけのことだ。いつもは、隣に二世帯住宅的に住んでいる叔父の奥さん、つまり叔母が世話をしてくれているのだが、先日実家で御不幸があってそちらに帰省しているので、その間だけの留守番をするのだ。

祖父母は年を取ってきて身体も弱り、物忘れもひどくなったが、まあまあ元気だ。彼女の相手をしつつ、たわいもない話をする。

夜は、早くに祖母が寝てしまうので二階のゲスト用寝室に上がり、村上春樹の『バースデイ・ストーリーズ』を読む。誕生日の日を描いた現代アメリカの短編小説のアンソロジーで、とても面白い。翌日の午前中もこれを読む。

それにしても、祖父母の実家とは不思議な空間だ。いつも帰ってくると懐かしい感覚に襲われる。ある特定の精神状態にいつでも引き戻される空間である。といっても、時間が止まっている、というのではもちろんない。この家を作った主はいなくなってしまった。帰ってくるとお線香を上げるのが挨拶だ。現在は祖母が独りきりなので、あちこち、手が行き届かず老朽化している。バリアフリーに改装して、すっかり様子が変わった部分もある。一家団欒に使っていたリヴィングは、今では祖母の寝室だ。あちこち、年老いた祖母では(もとより面倒くさがりなのだが)掃除仕切れない部分に埃もたまっている。

それでも、ここに住んでいると、昔の自分に出会えるのだ。どこに目をやっても、まだここの住人が全員健康で、にぎやかだった時分の記憶が、家中のあちこちにしみのようにこびりついているような気がする。子供の頃の自分たちが遊んでいる声が、耳には聞こえない周波数でこだましている。その証拠に、古いすりガラスから差し込む五月の陽気は昔と全く変わらない。

そうはいっても、この異空間の中に自分が留まれるわけではないことは分かっている。そんなことは重々承知である。しかし、そのことは承知でありながら、感傷的になるわけではないが、一瞬だけ過去と現在とを融合させることができる。ここに人生の慈悲があるな、と思う。

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サバービアの春を愛す(プロジェクトTNT)

すでに二日分の日記で疲労困憊してしまった。一日一日がやたらと饒舌な駄文になっている。読む人のことを考えるとこれでいいのかとも思うが、ここまでくると後には引けないのでまだ書く。書くことによってどこに辿り着こうとしているのかという村上春樹的な疑問が頭をもたげるがそれでも書く。

【DAY3:お気に入りのスパゲッティ、子ぐまの手のひら、すき焼き】

この日はもっとものんびりした一日であった。奥さんの実家だというのに堂々と昼前まで惰眠をむさぼる。昼ごろ起きて着替え、歩いていける近所のスパゲッティ屋さんにブランチ代わりの昼食を採りに行く。

ここは京都の東洞院通や銀閣寺道にも店を出している、テレビにも出たりするけっこう有名なスパゲッティ屋さんの支店である。この滋賀の支店はその中でも最大規模で、サバービアの広大な土地を利用してベーカリーやガーデニングの店舗も展開、ひとつのコミューンというか、総合的なライフスタイルを提案するショップになっている。

ここのスパゲッティは店名を冠したトマト入りのカルボナーラが絶品で、都並の好物のひとつでもある。奥さんと付き合っていた時分から、京都でデートというと良く通ったものだし、昨年京都に住んでいたときにも何度となく足を運んだ。そのカルボナーラが、奥さんの実家から歩いていけるところで食べられるのだから、食べない手はない。

お店に入ってみると、ゴールデンウィーク特有の家族連れでいっぱいである。しかし待ち時間はない。建材の表面なんかをそのまま天井に生かした手作り感あるログハウスふうの店内でカルボナーラに舌鼓を打つ。東洞院店と比べるといくぶんあっさりしているが、懐かしい味に満足する。

その後隣のガーデニング店へ。奥さんは「今住んでいる北関東の家のベランダを、半分くらいガーデニングで埋めつくしたい」というひそかな欲望があるらしく、店内を何周もぐるぐると歩き回っては、鉢植えやら什器やらを仔細に検討している。ここのガーデニング店も、なかなか北関東の地では期待できないセンスの店(画像参照)なので、めぐっていて楽しい。

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が、もとよりグリーンフィンガーでもなければ緑にありがたみを感じるほどの都市生活者でもない都並は多少飽きてくる。それでも奥さんは眉間に皺を寄せてぶつぶつ言いながら店内散策に余念がない。

結局、小一時間かけて奥さんは三つほど多肉植物の鉢植えを選んだ。その中には「子ぐまの手に似ていることから」名づけられたという「熊童子」なるものがあって、これはなるほど言い得て妙で見ていてかわいらしい(こちらも画像参照)。この手の植物は手入れも楽だということだから(一月に三回くらい水やりすればいいらしい)、ガーデニングの初心者としてはいいだろう。

Vfsh0162 その後店を移動して、最近開けつつあるサバービアの、イタリア人の名前がついたカフェ・レストラン(なかなか小洒落ている)でお茶をする。ついでにラッテ・ブリュレなるプディングのようなものを食べる(三度の画像参照)。そばにはクロックスなんかも売っている雑貨店もできていて、これもしゃれた感じであった。

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それからまた実家方面に歩いていって、実家の裏山の遊歩道なんかも散歩して(ウグイスやヒバリを目視できるくらいのいい感じの山だった)、夕方帰ってきて、夕食はお父さんお母さん、それから弟くんとすき焼き。食後は家族でのんびりテレビを観る。家族気分を十二分に味わえて楽しかった。

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京都買い付け食いだめツアー(プロジェクトTNT)

【DAY2:スローライフ・アクティヴィティ、奥さんとの合流、夏への支度】

この日は朝から野良仕事。母親が用意してくれたつなぎと長靴に着替え、スコップを担いで我が家の所有する山へ。タケノコを掘りに行くのだ。

我が家の山といっても優に数百メートル離れている。そこへふたりでえっちらおっちら歩いていく。この日も雲ひとつない快晴。朝から少し汗ばむ。

山間の田んぼの脇、あぜ道の半ばから山へ入り込む。木々の青々とした枝っぷりと下生えの密集する中に、ようやく人一人腰をかがめれば入れる入り口があって、そこが竹林への通路だ。

森の中に入ってしまうと、日光が遮られるおかげで少しひんやりとしている。腐葉土の湿った甘いが鼻をつく。眼前には獣道すらない斜面が広がっていて、そこを無神経にがしがしと登っていく。100mほど登ると我が家の竹林である。

さあ、と思って身構えたのだが、あにはからんや、心ない盗人が入った後であった。地面にぼこんぼこんとかつてタケノコさんがいた穴が開いていて、その数たるや10や20ではない。「やられちゃったね」と母親がいう。

それでも多少は残っているだろうと竹林をぐるぐると何周もする。といってもこの竹林自体けっこうな斜面である。そこを『ロード・オブ・ザ・リング』の旅の仲間のようにがしがしと歩き回る。これはなかなかの労働である。

小一時間歩き回って、結局収穫は4個。あまりにもといえばあまりにもな数であったが、奥さんの実家に送る分はあったのでよしとする。

実家に戻って、しばし田植えの手伝い。隣の家のYくん(小学校のときの親友で、中学までの同級生)が奥さんと娘さんを連れて帰省している、とのことだったが何だか気恥ずかしくて会えない。会わなくなってもう20年近くになるのだ。お互いおじさんになっているのを見せるのも格好悪いだろう、などと思う。かわりに、ではないがYくんのお父さんがYくんの二歳の娘を連れて遊びにくる。お父さんに似た娘で、シャイなのか一言もしゃべらず終始目を点にして僕を見ていた。

朝掘りタケノコ二個と、ゼンマイとウドという山の幸を抱え、奥さんと合流すべく最寄のJRの駅へ。家を出るところで、田んぼを一枚隔てた先にある幹線道路を、Yくんの車が出て行くのが見える。顔までは分からないが車は確かにそうだ。母親が「手をふったげ」というので手を振ってみる。すると向こうでも大きく振り返してくれる。少年時代との親友との久々の接近遭遇はそんなふうに終わった。

11時半ごろの電車に揺られ、草津へ。草津で奥さんとお母さんと合流。お母さんに着替えの入ったトランクと山菜を託し、奥さんと僕は京都へ。一年間お世話になった京都に里帰りし、食べなれた京の味を再体験し、都市文化を全身に浴びつつ買い物をしようというのだ。

京都には昼過ぎに着く。まずは昼食。やはりここは「おめん」である。ゴールデンウィークとあって、昼過ぎに着くと店の前に待ちの列ができている(ふだんは待っても店内のウェイティング・スペースで1、2組)。しかしもう口がおめんの口になっているのでここは譲れない。先に三組ほど待っていたが店員さんに名前を告げて待つ。

待っている間に、次々と後からお客さんが来る。その中には僕らの後に待つ人たちもいれば、諦めて他所へ行っちゃう人もいる。他所へ行っちゃう人を見て僕は心中密かに「ばかだなあ」と思う。ここで食べる「おめん」は最高なのに。

さいわい、さほど待たずに客が入れ替わり、席につけた。汗ばむ陽気だったので(ロンT一枚で充分だった)つめたいおめんと鯖寿司で昼食。いつもながらうまい。めったに食べられないと思うと余計にうまい。「今まで近所にあったからありがたみがわからなかったね」と奥さん。

調子が出てきたのでデザートのわらびもちも追加オーダー。これも絶品。つるつるとろとろで、口の中で溶ける。おめんに行かれた人はこちらもぜひ。と言いたい味である。

おめんを出て藤井大丸(略して藤大)へ。鮪彦ことえびてつ氏&鮎彦嬢の結婚祝いの品を探しに行く。先に引っ越し祝いで大変有能なナショナルのドライヤーをいただいているので気は抜けない。奥様が「お風呂マット」を御所望とのことだったので、マリメッコへ。マリメッコ特有のはっきりしたブルーとグレーと赤と黒のものがあったので、はっきりしたブルーのものにしようと思ったが、「やっぱり白がいいんじゃない」という奥さんの意見で直前で変更。フランフランに移動して白いバスマットと、なんだかよく分からない卵型のお風呂器具(イルミネーションを楽しむものらしい)と、入浴剤をセットにして送る。

後から(5月2日付けで)分かったのだが、この卵型の機械、他にもバブルバスの泡を作るものと浴室の照明を明滅させるものがあって、実はその両者ともえびてつ氏は持っているとのことであった。こちらは半ばいやがらせのつもりで送ったのだが、不思議なシンクロニシティに驚く。これによりえびてつ氏の浴室は「エイリアンの卵産み場」になったとのことであった。

藤大ではもうひとつ、「ダファー・オブ・セントジョージ」のお店ができていたのでポロシャツを買う。襟ぐりとか裾とかステッチに遊びがあって楽しい。ジャケットやスーツなんかもよさそうであった。伊藤忠がやっているんですね。

そこから御幸町を通って、「モニカ」でシュークリームを食べる。三条通方面に北上する途中、奥さんの誕生日と同じ日にオープンしたというナチュラル系の服屋さんに偶然入る。奥さんはそこでタンクトップなどを買い足す。

さらに北上し、三条通をぶらぶら。ポール・スミスで僕の二着めのポロシャツを購入。こちらも襟とか裾にポイントがある。夫婦そろってこういうのに弱いのだ。ともあれ、これで夏の支度は万全である。

三条通を西進し、新風館へ。「ジョージ」で奥さんのお料理教室の友人の結婚祝いを買う。そこから少しもどって、夕食はもちろん、京都時代の行きつけの店「さらさ」へ。坪庭に面した窓際の席に案内され、初夏の夜風を堪能しながらの夕食を満喫。台湾風やきそばと豆腐ハンバーグ、それからサラダ。

夜は奥さんの実家に逗留。京都を遊びつくした一日であった。欲を言えば、「まるき製パン所」に寄れなかったのが唯一の心残りである。

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勝手知ったるフォーリナー/または私は如何にして研究するのを止めて旅の空を愛するようになったか(プロジェクトTNT)

(タイトルがやたら長いこの日記はプロジェクトTNTとして5月3日に書いています)

今日からゴールデンウィーク。おかげさまで人様並みに(下手するとそれ以上に)充分に休日がある都並だが、実はなんだかんだと予定が入っててけっこう忙しく、今日からさっそく長い移動の旅が始まる予定である。

【DAY1:出身大学にて恩師との面談、ド田舎の実家への帰還】

朝5時に目を覚ます。奥さんはもう一足先に帰っているので自宅には誰もいない。テレビをつけて連休中の天気予報を確認し、朝ごはんのベーグルを食べ食べ、ゴミを捨てたり、カーテンを閉めたり、ガスを切ったりして出かける準備をする。

6時20分ごろの電車で東京方面へ。東京までは一時間以上あるので寝て行きたい所だが、へんに目が覚めてしまったので、自分のD論を読み直す。あちこち直したいところが出てきて髪の毛が逆立つ。

8時前に東京駅に着いている。することがないのでおみやげ(草加せんべい)を買い、コーヒーを飲み、雑誌を買う(AERAイングリッシュとTITLE)。

8時20分発ののぞみに乗る。乗り込むやいなや熟睡。ほとんど記憶もないまま、気がつけば新大阪。

新大阪に11時頃着。わずか一ヶ月しか離れていなかったのだが、新幹線の改札を出たとたん、目に入る人々の服装に面食らう。行きかう誰もが、はっきりとした色使いで、とてもおしゃれに見えるのだ。これはつまり、北関東の人たちの服装が、かなり地味でかまわないかっこうであるということの裏返しである。ここに住んでいた時には気づかなかったことだが、大阪の人たちはめかしているんだな、と思い知らされる。

しかしこれは、やや身内びいきの評価であって、見方を変えれば、大阪の人は「気合が入りすぎ」なのかもしれない。

と、ここからは社会学者でも文化人類学者でもないのに勝手な自説を、しかもその場の思いつきで言うのだが、大阪の人たちがやたらとめかしこんでいるのは、ひょっとしたら心のどこかでメディアの中の「トーキョー」を意識していて、その実体のない虚像(ボードリヤールのことばを借りればシミュラークル)を模倣し追従し超越しようとしているのではないかしら。それであんなに気合が入っているのではないかしら(その解釈の過程でずいぶん間違った方向に行っているのではないか、といわれれば認めざるを得ませんが)。

これは言ってみれば、ニューハーフさんに似ている。これは僕の友人がかつて言ったことなのだが、「ニューハーフさんはみんなとってもきれいなの!わたしたちよりきれい!でも何で?って訊いたら、あの人たちは努力しないと『女であること』を奪われてしまう(=男に戻ってしまう)からなんだって。それに比べてわたしたち(生物学的)女は、何もしないでも女であることを奪われたりしないでしょ?だからそれにあぐらをかいて、堕落しているのよね」ということである。

大阪のがんばりは、もちろん愛情から言うのだが、ひょっとしたらこの構図に似ているのかもしれない。大阪はがんばって「トーキョー」になろうとしているのだ。その努力を怠ると大阪に戻ってしまうのを恐れて、気合を入れてがんばっているのだ。「トーキョー」の人たちは、何もしなくたって自らが「トーキョー」であることを奪われたりしないから、そこに危機感を抱いたりしていないのかもしれない。

…というような思い付きが新大阪のホームにて我が脳裏に飛来する。しかしこの説はとってもありきたりで、すでに誰かが言っていることのような気もする。いずれにせよ、この「大阪=ニューハーフ」説の文責を僕に負わせないで下さい。都並は、大阪も北関東も、どちらも批判するつもりはありません。質実剛健な北関東、派手で明るい大阪、どちらもそれぞれに良さがあり、自らのホームタウンとして愛しております。

と、変な予防線を心の中で張り巡らしているうちに、電車は大阪駅へ。いない間に構内の改装工事がだいぶ進んでいた。テナントの中身もあちこちで入れ替わっており、長く親しんできた大阪駅から、僕の知らない大阪駅に変わってしまったようである。まるで、高校のときのクラスメートが、大学に入って一ヶ月後に会ったら茶髪にピアスで「大学デビュー」していたのを見たかのような疎外感を味わう。

12時頃(この日記進まねえな)、出身大学の研究室にて恩師N先生と面談。現在執筆中の博士論文についての指導を受ける。全体の構成など大幅な見直しの課題が出てきて、新たなる決意とやる気が湧いてくる。美学棟もまた、イントレと養生シートで覆われ、外装の補修工事の真っ最中であった。ここでも知らない間にふるさとが変わっていく。

面談終了後、トトロが今でもばっさばっさと跳梁跋扈する野性味あふれる実家へ。かつて高校の時分、朝な夕なに利用していた電車に揺られて、我が家に向かう。高校生の頃の条件付けがまだ生きていて、ここでも乗り込んだとたんに眠気に襲われる。朝7時台の電車で二度寝をむさぼっていたときの、ワイルドかつリズミカルな車両のゆれを体がまだ覚えているのだ。

夕方、7歳から19歳まで住んだ実家にたどり着く。ここには、都並を疎外する残酷な時の流れの明確な爪痕は何もない。いつもどおりの変化のない田舎だ。

ただ、この時期の郷里は素晴らしい。空は雲ひとつなく晴れていて、住民は総出で村中の田植えをしている。その耕運機のエンジンの遠い唸りが、ひとつ、またひとつとあちこちから漂ってきて、春の活気の通奏低音になっている。空にはヒバリとウグイスが鳴き、野辺にはモンシロチョウとモンキチョウが舞い、水辺ではカエルが合唱し、足元にはアリが行列を作っている。まさに動植物の幕の内弁当状態である。田舎は過疎といわれるが、実は生命で過密状態なのだ、と思い知る。

夕食まで少し時間があったので田植えを手伝う。それから、近所の温泉施設に出かけ、一日の汗を落とす。ホップちゃんエビスを片手に夕食に舌鼓を打ち、12時ごろ就寝。実家は散らかっているが、なんとか寝るスペースはあった。

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大人の科学

この二日間の備忘録(その①)。

火曜日は大学近くの2TAYA(実兄キノタク由来のヒップホップ表記)にて、授業に使うDVDを8本借り倒す。火曜日は1本190円で借りられるというのでついつい借りすぎてしまう。ついでに『カーズ』(といっても宇宙空間で「考えるのをやめた」ほうではない)を借りてくる。

そのまま店を出ようとしたところで、併設の書店で学研「大人の科学」シリーズのvol.15に目を奪われ即買いしてしまう。

この「大人の科学」、これまでも「科学と学習」シリーズの大人版というコンセプトに興味を惹かれてはいたが、購入に踏み切るほどではなかった。そういう「ふろく」がなかったのである。いちばん迷ったときはピンホールカメラの号だったが、そのときもLC-Aがあったので踏みとどまった。

けれども研究者としては、今回の「紙フィルム映写機」とはたまりませんよ。授業にも使えるし(同梱の冊子にかんたんにまとめてある映画前史のからくり機械の図版なんかは、基本的なものがカラーで揃っているのでちょうどよいと思う)、自分でも遊べそう。何せ動画ファイルは基本的に全部フィルムにできるというところがよい(すごく手間がかかりそうだけど)。まだ未開封のまま研究室においてあるけれど、そのうち持って帰って作って、また研究室に持っていって、仕事の合間に遊ぼうっと。

ちなみに、同梱の(というかこっちが本体か)冊子には、こんどうちの大学でゲストで講義してもらう大林宣彦氏と、以前いた大学でゲストで来てもらった松本夏樹氏が対談しているのだが、そのなかで大林氏が、幼少の頃家にあった映写機で、フィルムを勝手に編集して遊んだ、と発言している。

それで思い出したのだが、僕も子供のころ兄と、「てれびくん」のふろくだったと思うが、懐中電灯を使う幻灯機がついてきて、それでオリジナル作品を作って母親に見せたことがある。

早熟だった僕と兄は、そのとき生意気にも『月世界旅行』が映画史の最初期の作品だということを知っていたので、自分たちで手がけた作品もロケットと宇宙飛行士の話であった。大人の言葉でいう「オマージュ」を早くも捧げていたわけだ。

そんなわけでふたりでビニル袋の切れ端にマジックで絵を描いて、夢中になって作品を仕上げたのはいいが、いざ見せるとなると観客がいない。そこで家事の途中の母親を捕まえて、自分たちで弁士になってオリジナルの作品を上映した。母親はそれを(面白くもなんともなかったと思うが)最後まで真面目に見てくれて、何か誉め言葉もくれたように記憶している。

そこから幾星霜。気がつけば僕は大学で映画を教えていて、兄はテレビ番組を作っている。三つ子の魂百まで、とはまさにこのことである。ちなみにこの話をうちの奥さんにしたら「あなたは三つ子じゃなくて双子でしょ」と本気でのたまった。

閑話休題。

この「紙フィルム映写機」、みんなで作品を作りませんか。

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セルティス来たる

少し前にこのブログでルードゥーというボード・ゲームに夫婦して熱中してしまったということを書いた。

そしたらそれを読んでくれたのだろう、そしておそらくは「この夫婦はボード・ゲーム好きに違いない」と思ったのだろう、一週間ほど前に、このブログにたびたび登場するえびてつ氏と、奥様の鮎彦嬢(名前から分かるとおり都並とは義理の兄妹)から「引っ越し祝いに」と、新しいボード・ゲームをいただいた。

この「Celtis(セルティス)」がそれである。

このゲームのレビューを書き付けておけば、またどなたかが「ははあん、あの夫婦は物好きにもボード・ゲームを研究しているのだな」と思って新しいものを贈ってくださらないとも限らないので(いやそんなことは多分ないが)感想を書き記しておく。

一週間も前に届いたものなのだから、届いてすぐにお礼を兼ねてこの件を書いたほうが失礼がなかったのでは、という意見もあるかもしれないが、都並としては「これは数回やり込んでからの方が正しいことが書けるな、そちらのほうが喜んでもらえるに違いない」と思い、数日寝かしていた次第である。

結論から言うと、1ゲームの展開はとってもスピーディで、試合時間は短い。もともと原理としてはアレンジされた五目並べみたいなものだから当然といえば当然だが、そのへんは「大の大人が日がな一日楽しめる」というルードゥーの達成感とは異なる爽快感がある。

ま、もとより僕も奥さんもあんまり深く考えないほうなので、すぱすぱとゲームが進むというのもあるが。

ともかく、夕食後のひととき、「ちょっとセルティスする?」となったら、軽く10ゲームくらいはできる感じである。1ゲームが軽いので、負けたときのもやもや感も軽く、夫婦円満のためにもほどよい。

そしてこのゲームのミソは、コマの独特の形、120度の角度で円が三つ並ぶブーメラン型の形状により、相手のじゃまを戦略的にできたり、逆に思いがけず相手に貢献してしまったり、という事態が発生するところにあるのだが、そのへんの「戦略」はまだ、我々の稚拙な頭脳では充分に理解できていない。なので、どちらかというと「思いがけず」の方がよく起こって面白い。

興味深いのは、●●● ●●みたいなかたちで一こま空いていても、上下の列の配置いかんでは、そこにもうひとつの●を置けないような状況がたびたび発生することである。なぜそうなるのかは文字ではうまく説明できないが、やっていただくと皆さん御理解できると思う。そうすると相手としてはそういう列はほっといていいから、自分の戦略が立てられる。このへんが頭ですっきりと理解できるようになると、もっと面白くなるに違いない。

今のところ、奥さんとやってみて勝敗の率はほぼ五分五分。頭脳では奥さんに負けないつもりでいたが、意外と虚を突かれたりするので、充分ゲームになる。TVを見ながら、床暖の上で(北関東はまだまだ夜寒いんだよね)2人でボード・ゲームをしているというのは、なかなかのんびりした時間の使い方である。

ま、そんなことするよりもっと有意義な時間の使い方があるだろう、といわれればそれまでなんだけどさ。

蛇足だが、あちこちで書かれている「インテリアとしてもすぐれたデザイン」というのはどうかと思う。けっこうかさばるんだもん。

これはあれだな、独身でけっこう羽振りのいい男の子(昔の言葉でいうとヤンエグ?)が自室リビングのテーブルなんかにさりげなく、いかにもゲーム途中みたいな感じで置いておいて、で、女子を呼んだときに「何これ?」ってなって…(以下略)。

そういうときにはチェスなんかより食いつきがいいかもしれません。ルードゥーみたいに長丁場になったらそれはそれで大変で、そういう意味でもいいかもしれません。

でもそういう「Begin」誌の巻頭みたいな発想はべつにもうどうでもいいのだ。

ともかく、楽しいゲームをどうもありがとうございました>えびてつ&鮎彦様

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ルードゥー狂の夜は更けて

昨夜はお招きを受けてしっぽうさぎさんのところにおじゃましてきた。

先月、バレンタインデーの折りには、しっぽうさぎさんと御子息のパダワン少年とに、我が家でのハンバーガー祭りにお越しいただいたのだが、それがいたく喜んでいただけたらしく、折りしもホワイトデーということで、今度は逆にしっぽうさぎさんから御自宅でのサンドイッチ祭りにご招待いただいたのである。

これがそのサンドイッチ祭りの様子(画像参照)。

Vfsh0117 向かって左から、「加工肉」がお得意というしっぽうさぎさんの自慢の、生ベーコン(これがおいしかったんだ)と生サラミのベーグル、ミートローフのバターロール・サンド、カンパーニュのポテトサラダサンド(個人的にサンドイッチにポテトサラダ初めてはさんだやつは天才じゃないかと思うくらいポテトサラダのサンドイッチが好きです)、そして定番タマゴサンド。右上にあるのはデコタン(=デコポン)。これは非常に新鮮で、甘酸っぱくておいしかったので、厚かましくも5、6個おすそ分けをもらってきた。

これだけサンドイッチが並ぶとそれだけでも壮観で、心もはやるというものだが、しっぽうさぎさんたら昨夜は僕の大好きなベルギービール、オルヴァルまで用意してくださっていたので、いやがうえにも食が進む。オルヴァルのフルーティな芳香とサンドイッチが合うんだまた。

とか言いつつ次々サンドイッチを頬張る僕の横で、前回ハンバーガー祭りの時にバーガー二個と小さいケーキ三つという驚異的な食欲を発揮していたパダワン君は今回も、しっかり大人並みに5、6個食べていた。まさに育ち盛り。引っ越してしまうとしばらく会えないかもしれないけど、ちょっと会わないとあっという間に大きくなってそう。

このわんぱくパダワン少年の横で、彼の妹弟として縦横無尽に走り回っていたのが、二匹のたち。Vfsh0116Vfsh0118二匹は異母姉弟らしく、白い方が8日違いの姉、グレーの縞が弟。まだまだ身体も小さく、好奇心旺盛な二匹を相手に、すっかり癒されてしまった。特に奥さんの方は、「猫アレルギー」を公言していたのに昨夜はそのアレルギーも全くといって良いほど出ず、二匹をいたく気に入ったらしく、しきりに子猫に話しかける怪しいお姉さんになっていた。いますよねそういう人。

でもまあ、二匹寄り添ってヒーターの前で眠る様子とか、競い合ってごはんを食べる様子とか、弟が姉の頭を両手で押さえて猫キックする様子とか、ほんとうにかわいいので、猫好きじゃなくても心が癒されることは間違いないだろう。しっぽうさぎさんが書かれているように、重い猫アレルギーの人は気の毒だけど。

しかし、いかに二匹が愛らしくとも、昨夜の場をさらったのはこの二匹の猫たちではなかった。昨夜大の大人三人と少年一人が夢中になってしまったのは、LEGOが作っている伝統的テーブルゲームのシリーズのひとつ、LUDOである。Vfsh0121_1

インターネットで調べると、インド発祥(で、ルードゥーと読むのかな)のこのゲーム、基本的な遊び方はここを見てもらうと分かりやすい。要は、相手のじゃまをできるスゴロクである。

ただし、LEGO版は多少ルールがアレンジされていて、もちろん貝殻ではなくサイコロを使うので、最初に自分のコマを出す時は、三回までサイコロを振って、6が出れば盤上にひとつ出せる、ということになっている。以降はサイコロを振るたびに、6が出れば新しいコマを出しても良いし、すでに盤上にあるコマを進めても良い。さらに、サイコロの目を複数のコマに分配できる、というルールはなく、したがって、ひとつのマス目にふたつ以上敵軍のコマがあるときは、「カット」することはできない。また、ちょうどの目でなければゴールすることはできない、などの追加事項もある。

このゲームを四人してやってみたところ、これがまた、他人にいじわるをしたりとか、協定を結んだりとか、心理戦がけっこう奥が深くて、全員が全員しっかりハマってしまった。

そしてそういう時に結構性格が出るのだ。例えばうちの奥さんは非常にクールかつドライに、「ごめんなさいねー」と笑顔で言いながらつぎつぎ他人のコマをカットしていく。前から分かってはいたがそういう人なのだ。いっぽう僕は僕で、なぜか地味なサイコロの目しか出なくて、いっこうにゲームが進まない。そういう星の下に生まれたんだなと思い知らされる。あまりに進まないので、途中からパダワンくんと「おとこ連合」を組んだ。ここはひとまず休戦し、しっぽうさぎさんと奥さんとをまず蹴散らそう、というのが目的である。パダワンくんはこの申し出を快諾。「おとこ連合」という響きが気に入ったらしく「おとこ連合は~自分たちを~傷つけない~♪」などとオリジナルのテーマソングまで歌っていた。

そんなこんなで、久々にテーブル・ゲームに没頭して、1ゲーム終わって笑い疲れて時計を見たら、なんと深夜12時過ぎ。さすがにパダワンくんは眠そうになっていて、お母さんの話では「これくらいまでいつも起きてる」とはいうものの、大変大人気ないことをしてしまった。

しかし、ルールの引用をさせてもらったサイトでは「大の大人が日がな一日遊べる」と書いてあったのは、嘘ではないことを確認。単純なようで実に奥が深いゲームなのである。あまりの面白さに、引越しまでにもう1ゲーム、といいつつ、しっぽうさぎさんのところを後にしたのだった。

しっぽうさぎさんへの追記①:ネットで調べたところ、デコタンはデコポンと文旦の交配種ではありませんでした。デコポンの別称がデコタンとのことです。

しっぽうさぎさんへの追記②:昨夜説明したLUDOのルールに、言い忘れていたことがありました。サイコロで6が出たら、いつでももう一回サイコロを振れるんだそうです。確かにルールブックに書いてあったのをいま思い出しました。次はこのルールこみでやりましょう。

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結婚記念日

昨日は結婚記念日だったので、奥さんとディナーを食べに出かけてきた。

お店をどこにするか悩んだのだが、いきつけの店でなくこの期に及んで(月末引越しなのに)新規開拓してみようということで、新町姉小路のオステリア・ソニドーロへ。ここだと地下鉄から歩いてすぐなのと、こじんまりとしていて騒がしくなさそうなのと、真っ赤な内装がなかなか記念日の思い出作りによさそうなのではないか、ということで夫婦で選んだ。

季節外れの寒波の中を「うう…寒…」といいながらお店に着く。しかし本当に地下鉄からすぐなので、寒風に吹かれながら歩かなければいけないのはわずかな距離であった。

お店の壁は本当に赤い。ちょっとした「アメリ」みたいな空間である。フロアは決して広くなく、京都にありがちな「鰻の寝床」である。テーブルは四人がけがひとつ、二人がけがふたつ、その他6人用がひとつ、というこじんまりとした店。14人で満席、という計算になる。が、19時からの予約だったが、時間が早かったのかお店に着いたときは客は僕らだけだった。

メニューはアラカルトも選べたのだが、迷いそうなので、二人とも一品少ない方のコースにした。それでも前菜が選べて、パスタとリゾットが出て、メインが選べて、デザートとコーヒー/紅茶、という量だから、もう一品選べる方はちょっと胃袋的に苦しいのではないか。

前菜は奥さんが鮮魚のカルパッチョ、僕がスモークサーモン。スモークサーモンは「うん、スモーク」という感じ。卵のソースがよく合っていた。パスタは手打ち麺で、猪のラグーソース。こってりではないがしっかりした味付け。その後のリゾットは昨日は米ではなくニョッキであった。こちらももちろん手打ち。かぼちゃのニョッキだったが、ほどよくかぼちゃの風味が生きていて、パルメジャーノとマッチしていた。歯ごたえも、赤ちゃんの耳たぶのようなほどよい柔らかさ。これはおいしかった。

メインは僕が子羊。二日続けてラムを食べてみよう、そんなこと人生でそうそうないだろうから、ということでラムにした。鶏のコンフィ(好物である)と悩んだのだが、カロリーも気にしつつラムに。バルサミコが効いたソースで、非常にあっさりと食べられた。

奥さんは牛のばら肉のクリームソース煮。長粒種のバターライスが添えられている。これは奥さんの好みのど真ん中だったよう。

デザートは奥さんがドルチェの盛り合わせ、僕はワインを飲んでいたので(ワインの味なんて正直あんまりわからないけどずっしりしていておいしかった)チーズ5種の盛り合わせ。チーズは山羊も選べて、なかなか濃厚なものが味わえた(実は最近になってようやくこの「デザート代わりにチーズ」というのを覚えたので嬉しがってあちこちで実践しているのだ)。奥さんのデザートは、キャラメルアイスクリームと、ガレット・デ・ロワ、パンナコッタ、チョコレートムース。キャラメルアイスがほろ苦くておいしかった。デザートだけは写真を撮ったのではっつけておきます。

最後にエスプレッソと紅茶が出てきて、大体一時間半であった。総じてどの品も手堅くまとまっていて、本格的な味でおいしかった。野球に喩えると(野球もよく知らないけどね)派手なホームランはないが、二塁打がほしいところで打ってくれる、得点圏打率が売り、という感じだろうか。僕らがごはんを食べている間に10あまりの席は満席になったのだが、他のどのお客さんも「ちょっと仕事の打ち上げ」とか「ちょっとお祝い」という感じの、通いなれた感のあるお客さんだったように見受けられた。近所にあったら使いやすい、というお店ではないだろうか。

などと偉そうなことを言いつつ、寒風の中を帰ってくる。家に着いて、奥さんに感謝の手紙を渡して、記念日はおひらき。テレビをつけたらニュースでどこも大雪、と言っていたので「さもありなん」と奥さんと頷きあう。

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引っ越し始める

竹中直人がモビットのCMに出ているのは「直人(NAOTO)→大人(OTONA)」のアナグラム(並べ替え)になってるからだと最近分かった。

お笑いコンビ、ロザンの菅ちゃんが大阪ガスのCMに出ているのは「がーすー」だからだと最近分かった。

それはさておきこの週末の動き。

金曜日はあれから(カメラマンさんのところに行ってから)夕方奥さんとお父さんお母さんと合流。大津に移動し、またしても琵琶湖ホテルに泊まる。来週、えびてつ氏の結婚式で来る予定なので、二週連続ということになる。

前にも書いたがここはほんとによいホテルだと思う(偉そう)。部屋は広いし、琵琶湖の眺望は抜群だし、大浴場も広くて気持ちいい。全体としてほどよくクラス感があり、ほどよくいなたく垢抜けない。いろんな意味で客にリラックスさせてくれるホテルである。

金曜日は、ここの一階のレストランで会食のあと、家族でラウンジでコーヒーを飲みつつ10時過ぎまで談笑する。久しぶりの家族団らんという感じで気持ちのいい時間を過ごす。結婚して一年、すっかりお父さんお母さんとも打ち解けたなあ、と独り感慨に耽る。

朝はこのホテルの充実したビュッフェをまたもや食べ過ぎてしまう。サラダにかけるドレッシングが、オリーヴ・オイルとバルサミコ(それぞれ別の瓶)が選べるのが良い。

そこからその足で大阪の仕事場へ。夕方まで授業。

夜は帰ってきて、奥さんの手料理。かぼちゃの煮物と、ロール・キャベツと、なすのお味噌汁。

日曜日はいよいよ、引越しの作業を始めた。もう日があるようでないのである。

まず、もっとも混沌としている僕の書斎部分の押入れから着手。昨年度の授業のプリントとか、成績疑義問い合わせに備えるために一定期間保管しておかないといけない過去のテストとか、趣味の本とか書斎の本棚に収まりきらない仕事の本とか、研究会のために集めた資料とかが、半間ぶんの押入れにわんさと詰め込まれている。

なかには引っ越して以来一度もあけていないダンボールもあるわけだが、これを、

①新居の書斎

②研究室の本棚

③廃棄

という三種類に改めて分類する。同時に、結婚前の住居から埃をかぶったまま持ってきてしまったものを掃除機と布巾で掃除する。

この作業を数時間。押入れの下の段が終了した時点で区切りをつける。

そこから奥さんは夕食の準備。頭が下がります。作ってくれたのは、ラム肉のトマト煮込み、春キャベツとベーコンのパスタ。ラム肉はワインをボトル半分ほども使って盛大に煮込まれており、とっても柔らかく出来上がっていた。まさに、骨からするするっとほどける、という状態である。ラム肉特有の臭いも、臭からず、といって皆無でもなく、ほどよく残っていて大変にお上品な味であった。いつもバスティーユでラムを食べるとクスクスが敷いてあるので、ちょっとクスクスが食べたくなる。が、我が家はそんなしゃれたものが常備されている家ではないので、かわりにソースをパンにつけて食べる(パスタも食べたのに、である)。ちょっとした結婚記念日の前祝であった。

思いっきりパスタを食べたのに、今日も夕食にオステリア・ソニドーロに行ってきます(また感想報告しますね>一部の読者様)。

追記:奥さんは夕食のほかにお父さんお母さんに依頼された鰤大根(一食ぶん、今日のお昼用に残しておいてくれました)も作ってくれていました。夕食後もせっせと引越し準備を続け、新たに三箱ダンボールを作っていました。彼女はほんとに働き者です。僕は相対的に(いや絶対的に)怠惰な人間だと反省しきりです。

追記②:ジャミロクワイのアルバムに"Traveling without Moving"というタイトルがあるが、ずっと「動くことなく旅をする」=スピリチュアルな旅、という解釈をしていた(歌詞なんてろくすっぽ見ないからね)。でもひょっとしたらあれは「引越ししないで旅行する」という現実逃避の歌なのかも知れないな。そんなわけはない。

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一年前の写真

今日は、一年前の結婚式の写真を撮ってくださったカメラマンさん(勝手にリンク貼っていいのかな…許してもらえると思うけど)が、自宅兼スタジオで写真の展示イベントをするというので行ってきた。

実は僕らの写真も、そのうちの一点に使ってもらえるとのことで、事前に連絡があったのだ。だが奥さんはあいにく仕事だったので、僕一人でスタジオにおじゃました。

そこへは、以前結婚式のアルバムを引き取りに行った時にもおじゃましたので、今回は二回目である。見覚えのある住宅街をてくてく歩いてたどり着くと、以前はなかった8畳ほどの部屋が玄関すぐの場所に造られていた。自然光を採光できるスタジオとして増築したのだそう。きけば、お知り合いの大工さんと4日ばかりで、図面も引かずに作ってしまったとか。家って、自分で作れるんだな、と感嘆する。

そしてそのスタジオや奥のアトリエ兼事務所には、カメラマンさんがひとつひとつこだわりぬいて選んだだろう家具やインテリアがさりげなく、しかし油断なく置いてある。それらを観るだけで、その空間がひとつの審美眼に隙間なく制御されているのを感じ取ることができる。

そのスタジオのえらい目立つところに、お目汚しでえらいこと申しわけありませんが、僕の式の時の写真が飾ってあった。恥ずかしい反面、非常に光栄である。

スタジオも、奥の部屋も、子供連れでいらっしゃったお母さんを中心に、お客さんでいっぱいだった。焼き菓子なんかも売られていて、和やかな雰囲気があたりに満ちている。その中をカメラマンさんを捕まえて、小一時間ほどお互いの近況やら展示されている写真やらについて話してきた。

帰り際に、2Lの生写真を「新居に飾る用に」と、二枚ほど購入させてもらった。どれもすてきだったので、さんざん迷いながら、マウイ島の本屋さんの本棚の写真(ペーパーバックが並んでいる)と、同じくハワイのコテージで、木漏れ日のベランダに二脚の椅子が並べられ、風を浴びている写真を買ってきた。

洋書の並んでいる一枚は、英語を生業にしていく自分への励ましのため、木漏れ日の中の椅子は、これからの円満な夫婦関係を祈願してである。

というのも、来週の月曜日にはついに結婚一周年になるのだ。お祝いにごはんを食べる店は予約したが、まだ何も記念品を購入していない。これはいい機会というか、何かの縁だと思い、写真を贈ることにした。

このカメラマンさん、もともとはウェディング・ドレスを作ってくださったしっぽうさぎさんの紹介でお願いした方なのだが、しっぽうさぎさんのお店で初めてお写真を見せてもらったときからなんとなく感じるところがあり、「この人かな」と思っていた。そして実際にお会いした時にはそのなんとなくが「やっぱりこの人だ」に変わっていたのである。

どんな人かは、もちろん写真を観てもらうのがいちばん早いけれど、ピンポイント的にいうと、愛機のカメラはロス五輪記念モデル、今でもフィルムにこだわって仕事をされていて、そのせいで現像のラボ探しに苦闘しつつ(今は奈良まで出されているそう)、靴はクラークスしか履かない(!)というような人である。初めて会って、少し話しただけで、僕と奥さんは、そのこだわりとセンスとに非常に共鳴するものを感じた(夫婦揃ってマニアックですからね)。その結果その場で「ぜひお願いします」となったわけである。

やっぱり、ひとつの世界を持っていて、技術を持っていて、それで生きていこうという勇気を持っている人に会うと、感化されるというか、励まされる。実は今朝方少し落ち込むことがあったのだが、カメラマンさんのこだわりに貫かれた空間にいることで、そして会ってお話をすることで、なんだか癒された。つくづく、アーティスティックな仕事を生業にされている方ってすごい、と思った。僕も、こんなふうに人に好影響を与えられるセンセイにならないといけないと思った。

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ナンだっけ

火曜日のできごと。

二週間後に結婚するえびてつ氏の二次会の幹事を頼まれているので、午後より京都タワー下のスターバックスにて打ち合わせ。事前に質問状を送っておき、答えを用意してもらっていたので、打ち合わせは捗る。もとより、自分の働きをことさらにアピールしたくてしかたない、人に誉められたくてしかたないというさもしい性分なので、さくさく決まるのは嬉しい。唯一不安なのは、当日動いてもらえる幹事チームの頭数だったが、多方面に声をかけ、この二日ばかりでメンバーが充実。なんとかなりそうな予感。

夜は奥さんのごく親しい友人のKさんを招いての会食。京都を去る前にKさんに教えておこう、ということで、奥さんがナンにはまっている「ヤク&イエティ」にて。もともとKさんと奥さんはお互いに以前勤めていた会社の同僚なので、ナンをひたすらつまみつつ、共通の友人のこの春の人事異動について話が弾む。特に話題の中心は、リリー・フランキー似(だと勝手に都並が思っている)の美男子?のHくん(今度東京本社に栄転が決まったそう)。

彼のことをさんざん話題にした後で地下鉄に乗ったら、ホームで奥さんとKさんに近づいてくるカップルあり。なんとこちらもその会社の元同僚であった。ちょうど渦中の人Hくんと、今後のことについて話しつつ飲んでいたところだそう。世間は狭い。

会食中にもうひとつ話題になっていたのは、奥さんが「止まらなくなってしまう食べ物」についてであった。奥さんはもともとあまり食事に執着がないタイプなのだが、世の中に二種類だけ、食べ始めたら止められなくなってしまう食べ物がある。そのうちのひとつが「ナン」であって、とくに「ヤク&イエティ」のバター・ナンは溶けたバターの香りが香ばしく、ついつい食べ過ぎてしまうようである。そしてもうひとつは…といいたいところだが、夕べは僕も奥さんもそれが全く思い出せないのだった。Kさんにいろいろ質問してもらっては「違うなあ…何だっけ?」「うーん…ナンだっけ?…」といいつつナンを食べていた。つまらないダジャレですね。

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うなぎおいし中ノ島(ディレクターズ・カット)

(思うところあって少し文章に手を入れました。それと画像を追加しました)

昨晩は大阪にて、大学院時代世話になったゼミの皆さんと先生方に、生まれて初めて関西を出る都並の送別会を開いていただいた。

この会、実は発起人は恥ずかしながら都並自身であった。といっても「みんなにぜひ祝って欲しいー」とかそういうのではなく、最初は純粋に、付き合いの長いジョシュ君と「ゼミで交流のあった後輩の皆さんに集まってもらって、ささやかな飲み会でもしたいね」という話をしていたのだった。それが気がつけば恩師の両先生(うちのゼミは教授が二人います)にも参加していただけるということになって、結果本格的な送別会になってしまったのである。そうなるとお店もちょっと気の効いたお店でなくては、ということになり、大阪・西天満の鰻料理店「志津可」での会食と相成った。

このお店は中ノ島の公会堂を眺められる淀川河畔の絶妙なロケーションにあり、大正元年の創業というから、結構な老舗である。お店の中も骨董を随所に配した雰囲気のあるしつらえで、うなぎもとてもおいしかった。お店のチョイスはジョシュくんだそうだが、僕の母方のルーツが浜松なので、うなぎは都並のソウルフードだろう、と選んでくれたそう。なんと感動的な心配りか。

会の席上では、都並の恩師、マスターを超えてスーパーエゴと化している感もある両先生に何を言われるか多少緊張していた部分もあったのだが、お二人とも心から祝ってくださり、これまた感激であった。久々に会った後輩たちとも思い出話に花が咲き、笑いが絶えない楽しい時間を過ごした。やっぱり、同じ訓練を受けているもの同士なので、ボキャブラリイとか会話の「ノリ」みたいなものが自然と共有され、くつろいだ気分になれる。とはいえ、珍しく主賓の立場だった都並はどこかで面映くもあったのだが。

何にしても、気の合う人間同士で和気あいあいと、心に残る時間が過ごせてよかったと思う。おまけに、ほんとに何も予期していなかったのに、花束や餞別の品までもらってしまった。感激もひとしおである(花束は今日、奥さんが分解して家のあちこちに飾ってくれました。写真を撮ったのではっつけておきます)。大学院時代はいるだけで何もしない先輩だったのに、過分のお祝いをもらってしまい、こういうときは、人のつながりのありがたさが身に沁みる。

Vfsh0110Vfsh0108_2Vfsh0109会を終えて川辺の小道に出てきてみると、ダウン・ジャケットが大げさなくらいの暖かさで、まさに春の宵、という空気だった。昨日は日中から暖冬を通り越して春めいた陽気だったが、夜までその温かさが続いていた。おかげで、暦の上では少し早い「門出の春」の気分を久々に味わうことができた。こういう、嬉しいような寂しいような、期待と不安がないまぜになった気分はしばらく忘れていたなあ、と思う。やっぱ り、ひとつところに留まると気づけないことが、旅立ちを控えて初めて思い出すことがあるのだなあ。よし、新天地でも一からがんばろうと改めて思う春の宵であった(と、今日の日記はいやにリリカルに終わる)。

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アフタヌーン・ティーは本気で

日曜日は奥さんの前の会社でのお友達が二人、ランチにいらっしゃるということで、朝からプチメックのサンドイッチを買出しに。店には10時ごろに着いたのだが、イートインのテーブルは8割方埋まっていて、近頃のこの店の人気のすさまじさを知る。

前回来た時には時間が遅かったのか手に入らなかったプチ・セーグルと、同じパンをベースにしたサンドイッチ(ハムとチーズ、えびとゆでたまごのオーロラ・ソース、塩漬け豚など)を買い込んで手早く撤収。お気に入りの鶏のプロヴァンス風サンドイッチはまだ仕込み中だったが、「サンドイッチを買うなら朝のうちだね」と奥さんと確認する。

12時前にお友達がいらっしゃる。お二人ともお会いするのは結婚式以来なのですばやく猫をかぶる。そのままランチに突入。お友達が「森林鶏の30品目サラダ」とかいうサラダを買ってきてくださったのでそれをシェアしつつ、奥さんの作ったかぼちゃのスープとベビー・リーフのサラダ、じゃがいもとレンズ豆のサラダをサイドディッシュに、四人でサンドイッチを食べる。

サンドイッチは好評で、共通の知人の近況や主婦仕事のこつなどを話題に話が弾む。僕も高速道路の合流よりもスムーズにすんなりとそこに参加(ふつうこういう奥さんの集まりの場にだんなさん独りが参加するのは、なかなか難しいものがあるかもしれないが、僕は別に抵抗はない)。

話があまりに弾みすぎて、食事が終わるとあろうことかそのままお茶会に突入。お二人が買ってきてくださったトップスのチョコケーキやらをお茶菓子に、我が家にストックされているが僕があまり飲まないので減らないクスミチョフマリアージュ・フレールの紅茶を淹れ、さらにおしゃべりに花が咲く。お二人とも大変朗らかで明るくて楽しい人なので、時間を忘れてしまった。

気がつくと4時。お二人を見送ってから一休みして、さらに外出する。奥さんの化粧品が切れかけなので買い足しに伊勢丹へ。ついでに夕食をかつくらで食べる。しばらく行かないうちにソースが二種類になっていた。さらに言えばとんかつは多少小さくなったような気がするが、これはたまたまかもしれない。

おなかいっぱい食べて帰宅。一度見ているのにもう一度『スウィング・ガールズ』を観てしまう。それから入浴、就寝。

(こういう簡潔な事後記録的文体がやっぱり日記らしいなあ)

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おでん会議

日曜日の話。

日曜日は、実兄とそのカノジョ、ならびに実弟を招いて我が家でおでんを食べ、ビールをしこたま飲んでへべれけになっていた。正月に続いて、兄弟三人揃ったいきおいでべろべろになるという悪い酒の見本のような夜だった。

おでんといえば、決して高貴な生まれではない我が兄弟の間では、かなりロウブロウかつワイルドな調理方法によって作られる料理である。まずもって誰も正確なレシピなどは覚えていない。唯一理解されている手順は、といえば、

①適当にスーパーで見繕った具材を

②目分量で調整した煮汁でひたすら煮込む

というだけである。

さらにその煮汁にも、だしのもとを使うのは当たり前、そればかりでなくコンソメ(固形)とかチキンブイヨンとか邪道なものもどばどば入れる。

そうすると正直、煮込み前のスタートラインでは煮汁が嗅いだこともないような不思議な匂いになっているのだが、勇気を持ってそのまま何時間か煮込んでいけば、そのうちに自然と具材からだしが出てきて、気がつけばしっかりおでんの味になっている、という食べ物である。

ところが今回のおでんは、だしスト党首(僕)もびっくりの生粋のだしストである奥さんが、昆布と削り節だけでしっかり作った原理主義的おでんであった。しかも奥さんは、だしをとる段階ですでに

①昆布を水で戻す

②沸騰させてかつおだしをとる

③さらに追いがつお

という手順をきちんと踏んでいた。

そんなわけで今回は、出だしのだしの段階からいいにおいがキッチン中に充満するという、言ってみれば全然生まれも育ちも違うお上品なおでんさんであった。

このおでんさんのほか、菜の花のごま和え、水菜とお揚げの煮びたし、ネギの豚ロール(刻みネギを下味をつけて豚肉で巻き、照り焼きにしたもの)がテーブルに並んだ。全て奥さんの手製である。誠に頭が下がる思いである。

これを肴にビールをがんがん飲む。兄弟3人ともビールが大好きである。が、ふだん飲まないのですぐに酔っ払う。結果、酔っ払って他愛もないことでくだを巻く。といういつものパターンの飲みに突入。

…ということで、関係者諸氏には真に申し訳ありませんでした。僕自身は実に楽しくお酒を飲みましたが、もし失礼な言動等ございましたら、酔っ払いのこととて何卒御容赦ください。

追記:コーヒー党の我が家にカフェ・バーンホーフのコーヒー豆を持ってきてくださったカノジョさんもありがとうございました。おいしくいただいております。渋みが少ない飲みやすいコーヒーでとてもおいしいです。

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愛としんじつのハンバーガー祭

昨日のバレンタイン・デーは、我が家ではお客さんを招いての新年会だった。

二月も半ばになっていまさら新年会もないだろう、という向きには、旧暦の新年会ということで御理解いただきたい。いやいや、今年は太陰暦では2月18日が正月なので、まだ旧年中ではないか、といううるさ型には、もう旧暦の忘年会でも何でもいいのでとりあえず御理解いただきたい。

要は、もうすぐ京都の家を去るので、居るうちにお友達を招いてホーム・パーティーを、と思って夫婦で色々企画しており、昨日はその一回目だったのである。

この記念すべき一回目にお出でいただいたのは、このブログにはしばしば登場していただいているしっぽうさぎさんと、その御子息のパダワン少年。

このお二人を招いて盛大に執り行われたのは「ハンバーガー祭り」であった。

「ハンバーガー祭り」とは、要は、手巻き寿司パーティーのハンバーガー版である。すなわち、参加者は各々バンズを片手に、テーブルに並べられたハンバーグやベーコン、アボカド、チーズ(二種類)、トマト、オニオン、ズッキーニ、レタスなどから好みの具材を好き勝手に挟んで、ケチャップやマスタードを好きなだけかけてオリジナルのハンバーガーを製作し、思い思いにかぶりつくのである(下の画像参照)。

サイド・メニューもぬかりなく、奥さんが鯛のマリネとベビー・リーフのサラダを用意してくれたほか(これはパダワン少年には「不吉な味がする」と言って退けられた)、ドリンクはしっぽうさぎさんの御厚意で、コーラやスパークリング・ワインがたっぷりと用意された。

他には、ハンバーガーにはやっぱりフレンチ・フライがつきものだが、こればっかりはさすがに家ではおいしくできないので、ポテト・チップス(こちらもLightly SaltedとNew York Cheeseの二種類)で代用。でも、ルーブル美術館の隅っこにあるカフェ・マルリーのチーズバーガー(味もボリュームもばつぐんです)もポテチ添えだからこれでいいのだ。

これは自画自賛だがなかなかのアイデアで、四人で楽しくテーブル上をすっかり完食してしまった。バンズは8個用意したのだが、これも残さず平らげてしまった。はじめはベタにお鍋とか手巻き寿司とかを考えていたのだが、ある日天啓を受けてハンバーガー祭りにしてよかった。

びっくりしたのはパダワンくんで、ハンバーガーを二つまるまる食べてポテチも食べ、そのあと奥さんの用意したデザートのマロン・ケーキも、こぶりのものだったが三つ(!)完食していた。今まさに育ち盛り&食べ盛りなのであろう。昔見たTVCMで「130cmを超えたら食べ盛り」というのがあったが(それもハンバーグのCMだったような気がするなあ)、聞けばやっぱり今ちょうどそのくらいの身長ということだった。それにしても、30の声を聞いたおじさんにはびっくりするような食欲だった。

食後はパダワンくんが持ってきた花札をしたり(あらかじめいかさまで彼が勝つように仕組まれていました)、巨大トランプでババ抜きをしたり(これは真剣勝負でした)、「大人の科学」の投影式万華鏡で遊んだり、文字通り童心に帰って、とてもいい時間を過ごした。

なかでも、パダワンくん=小学二年生が「全部自分で組み立てた」(大したものです)と自慢の万華鏡を、彼の勧めにしたがってリヴィングを暗くして天井に投影して遊んだのは、非常に意義深い時間の過ごし方だった。

もちろん、万華鏡自体本当にきれいだったけれど、それよりもこのオモチャに夢中になっている少年の様子を観察する、というのが、まだ子供のいない僕にとっては新鮮な体験だったからである。天井の色とりどりの模様を見ているのもいいが、「この光景が彼の脳裏にはどんなふうに写っているのかな」と思いながら、パダワンくんのきらきらと(というよりは猫のようにらんらんと)輝く目を見ている方が、なかなか得がたい体験だった。

しかしこんなふうにして男子二人が隣の部屋で無邪気に遊んでいる間、奥さんとしっぽうさぎさんはダイニングで女同士の話に花を咲かせていた。ここにどこの家にも見られる男女の縮図があるような気もする。

追記:タイトルは、パダワンくんがうちのソファーを評して言った言葉、「これは愛と真実のベッドだ」からとりました。彼は昨夜、大人より先に食事を終えると、さっさとリヴィングに移動してソファーに横になっていたのですが、たしかに130cm間際のパダワンくんにはうちのソファーはちょうどいいベッドのようでした。それにしても、「愛と真実の…」とか「不吉な…」とか、子供がどっかで覚えてくるボキャブラリイっていうのは面白いなあ。

追記②:もしおうちで同様のことをなさる方がいらっしゃったら、ハンバーガーのパティ(ハンバーグ)は、焼く前はバンズ(パン)の1.2~1.5倍見当の大きさになるように成型されるのをオススメします。けっこう熱で縮みますので。

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ショコラ大戦

月曜日は祝日だったので、夫婦でJR京都伊勢丹のバレンタイン催事「サロン・ド・ショコラ」に行ってきた。いやはや、例年通りすごい人手(女子中心)であった。

バレンタイン直前の最後の祝日なのだから、混むのはわかりきっているわけで、男子たるものわざわざそんなところへ出かけていかなくてもよいではないか、と言われればそれまでなのだが、しかしそうはいっても今回のこの「サロン・ド・ショコラ」、なかなかマニアックな人間の心を捉えて離さない心にくいイベントだったのである。

そもそも、「サロン・ド・ショコラ」とは、年に一度パリで開かれる世界最大規模のチョコレート博覧会のことを指す。幕張メッセなんかでやるモーター・ショーのチョコレート版みたいなものである。この博覧会には当然世界各地からチョコレート業者が集まり、バイヤーや関係者らに交じって1800円くらいの入場料で入場した一般客は、無料で試食のチョコレートを好きなだけ食べながら、お気に入りの味を探すことができるのだ。それだけでもチョコレート好きには鼻血が何リットル出ても止まらなさそうなイベントと言えようが(いや僕はべつにそんなに好きじゃあありませんが)、会期中には加えてフランスやベルギーの大御所ショコラティエによって栄誉あるコンテストの賞が競われる。この勝敗の行方も大きな関心事となっている。

伊勢丹では今年、この本家の名前とかロゴ・デザインとかをまるまる借りてきた上で、その日本版、という体のイベントを仕掛けてきたのであった。

借りてきたのはもちろん名前だけでなく、本家に出品しているフランスのショコラティエや、世界的に有名なイタリアやベルギーなんかのショコラティエを、京都ではけっこう珍しい人も含めて、実際に何軒も集めてきて出店させており、そういう点でスイーツ好きにとってはなかなか本格的なイベントに仕上がっていたのである。

例えば、ジャン=ポール・エヴァンピエール・エルメピエール・マルコリーニあたりの有名どころは当然として、そのほかにも、塩キャラメルで有名なアンリ・ルルー、関西ではなぜか大阪・八尾の西武百貨店にしかないベルギー王室御用達のジャン・ガレー。そのほか、奥さんの友達グループで誰かがパリに行くとなると買出しを頼まれるコンフィチュールの名人クリスティーヌ・フェルベールさんなどなど、スイーツ好きなら一度は名前を聞いたことのある名前が並んでいる。どれも今では輸入業者がいるので、日本で買おうと思っても買えない、というほどのものではないが、一度に見て回れるとなるとなかなか楽しいものがある。

というわけで、ここまで「それらしく」作ってあると、やっぱりちょっと参加したいと思うのがマニアック人間の悲しい性である。

そこで、奥さんをその気にさせて、人ごみの中をかきわけかきわけ、最短時間で一定の戦果を挙げてきた。

結果から言うと、ピエール・マルコリーニは会期も終わりに近づきほぼ完売状態だったのでスルー。代わりに、というわけではないが、何年か前にイクスピアリのお店で奥さんに買ってもらっておいしかったピエール・エルメさんのものを自分用に買ってもらった。奥さんのお父さん用にはジャン・ガレー。アンリ・ルルーさんはちょっとエクスペンシヴだったので遠慮願った。さらにフェルベールさんのコンフィチュールにパッション・フルーツのショコラ・コンフィチュールというのがあったので我が家用に、と一瓶ゲット。

このほかにも実は、ピエール・マルコリーニも奥さんのお母さんが先日買っておいてくれたのをもらったので、非常に実りの多いバレンタインであった。

ところで、男子の僕がなぜこんなに詳しいかというと、当然、奥さんに教えてもらったからである。うちの夫婦は揃いも揃ってマニアックなのだ。僕自身は研究者なのでマニアックで当たり前なのだが、奥さんもなかなかどうして自分の興味の対象となると詳しいものがあって、特にスイーツの知識は門外漢の僕からしたらびっくりすることが多々ある。例えば、僕らの結婚式ではドラジェ代わりに「絶対」と言ってピエール・マルコリーニをわざわざ東京から取り寄せたほどなのだ。そんな奥さんに事ある毎に教授をされれば、もともと覚えのいい研究者体質のだんなさんはすっかり覚えてしまうというものである。今や僕もすっかり半可通である。

それはさておき、そんなこんなで家に帰ってきて、夜はのんきに「和田アキ子殺人事件」など見ていたら、同時間帯に、NHKでまさに本家「サロン・ド・ショコラ」のドキュメンタリーをやっていましたね。半分見逃してしまいました。後半分だけ観ました(冒頭の知識はそこで得ました)。隣で奥さんはずっと、TVに向かって「ぜったいあれおいしいよう」と叫んだり、「どうしてあそこに私がいないのよう」と言って泣いたりしながら観ていました。

画像は、マルコリーニさんのところのパフェ(以前大阪・心斎橋そごうの催事場で甘さにKOされたもの)と、今年お母さんにもらったボンボン・ショコラ(おいしゅうございました)です。

追記:今年の百貨店催事はどこも「チョコレート」ではなく「ショコラ」と書いていましたね。まさにショコラ元年という感じです。このままジャムはコンフィチュールになってしまうのか。

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アムロ、記憶を失う(プロジェクトTNT)

これは新年2日のできごとだが、5日にいきつけの内科医院(別にどこかが悪いわけではなく、新しい職場に提出する健康診断書を作ってもらいに行った。懸念していた体重はさほど高い数値ではなく、視力もさほど低い数値ではなかった)の待合室で「AERA」を読んでいたら、「今、若者の間でモンクレールが流行りなのである。10万円もするダウンが飛ぶように売れている」という一頁の記事があった。

それを読んで「やっぱりな」と思う。確かにモンクレールは高品質で(すごく軽くて温かい、らしいですね。ふん、着たことないもん)ファッショナブルだが、ファッション雑誌などがこぞって褒めそやしたことが大きいのだろう、冬の町を歩くと、びっくりするくらい多くの若者がここのダウンを着ているのを目撃する。他のブランドまでこのモンクレール人気にあやかって似たような形のダウン・ジャケットを出しているくらいだ。天下のAERAさんまでが一頁を割くのだから、もはやこれは社会現象だと思う(どうでもいいことだがこのモンクレール、まだ日本でなじみのない頃はモンクレーと表記されていた。MONCRERと綴るのだから最後のRには音節がないわけで、モンクレーのほうが音的には近い気がするが)。

そんなわけで、流行り物好きで変に服装に気を遣う32歳のデイ・トリッパーは、このシーズン、寒くなるのとほぼ同時にダウン・ジャケットが欲しくなっていた。そこでことあるごとに奥さんにアピールする「ダウン、ダウン」キャンペーンを張っていたのだった。テレビでダウンを着ているのを見ては「あ、このダウン、かわいいよねえ」と言い、町に出ては「みんなダウン着ているねえ」と言うという、それは健気でいじましいキャンペーン活動であった。

しかしこれはただの物欲のみによるものでもなくて、今まで冬の防寒着といえば、シンプルなステンカラー・コートとノースフェイスのゴアテックスのパーカしか持っていなかったから、真剣に「軽くて温かい」上着が欲しかったのも事実である。どちらも防寒能力は申し分ないのだが、32歳の肩こり気味の男には最近少し重たく感じられるのだ。

おまけに来年の冬は京都よりずっと寒い(気温にして3、4度違うかな)北関東にいるのだから、来年以降も活躍することは間違いないのだった。デイ・トリッパーはそのことも抜かりなく奥さんに伝えてみる。「向こうではね、空っ風っていうのが吹くんだって。そしたら寒いよねえ…」。

そしたらこのうっとうしい戦略に根負けしたのか(おそらくそうであろう)、はじめは「来年になったらね」と言っていた奥さんが、年末くらいから「2日のバーゲンに行ってみる?」と言い出した。デイ・トリッパーはすかさず「うん、いくいく」と即答。目をらんらんと光らせてその日を待ったのであった。

そして2日。バーゲンや福袋商戦のベテランならば朝10時には店の前に並んでいるというが、われわれ夫婦にはとてもその気概はない。僕にいたってはバーゲン初日に出かけるということがほとんど初体験ですらある。後日、朝のワイドショーで取り上げられていた、福袋ゲットに血道をあげるOL・主婦の「達人」「鉄人」の激しさを見たときには、夫婦揃ってドン引きすらしたものである。そこで10時半くらいにゆっくりと家を出る。

道中、予想していたことではあったが、多くのバーゲン覇者たちに出くわし驚愕する。時刻はまだ10時台であったが、すでに福袋を数個ゲットして地下鉄四条烏丸駅の階段を降りてくるお姉さんがいる。四条通の河原町~烏丸間の地下道では誰もが早足で歩いている。ナチュラル・ボーン早歩きの僕でもびっくりするくらいである。ここでも誰もが福袋を二個、三個と提げている。

そんなツワモノどもの中を藤井大丸に到着。11時前。ぐるっと店内を見て回るが、取り立てて欲しいものはない。奥さんが「ちょっと興味があったら、買うかどうか迷っていてもとりあえず持つのよ。持って歩くのよ」と指導してくれるが、特にめぼしいものはなく終了。まだバーゲン開始していないお店も多かった。女子のフロアが男子のフロアの数倍騒々しいのを見て、戦々恐々としながら建物を出る。

向かいのSHIPSも覗いてみる。ここは一回りくらい若い男の子でぎゅうぎゅう。変に前髪の長い、ジャニーズっぽいというかホストっぽいというか、僕が一度も通過していないヘアスタイルの若者ですし詰めになっている。これはとてもダメだ、ということで退散。でもブルーのカレッジ・スウェットを一着、はずみで買う。

その後、隣のナイキの福袋に少し後ろ髪を引かれながら、地下鉄を京都駅に向かう。来た時と逆の道筋を通るわけだが、今度は少し遅れを取った若者達がエスカレーターを上がってくるのに出会う。しかし彼らも手ぶらではないので、京都駅伊勢丹を通過した後、こちらに出てきたのかもしれない。いずれにせよ、2日の朝の繁華街はバーゲンの買い物客だけが行き来する不思議な町になっている。

京都駅伊勢丹で、ついについに、念願の、ダウン・ジャケットを買っていただく。しかも、レッド×グレーである。カラー・ヴァリエーションが豊富だったので、いくつか試着したのだが、これがいちばん似合っていたのだ。

実は、双子の弟である僕は、幼少のみぎりより赤い服を着たことがなかった。周囲の大人が区別しやすいように、二人のテーマ・カラーが決まっていて、兄は赤・暖色系、僕は青・寒色系の担当だったのだ。それが幼少期のみならず、この頃の刷り込みからはなかなか自由になれないもので、長じてからも僕は青・寒色系を着ることが多かった。そのほうが心が落ち着くのだ。思い返せば子供の頃、兄は毎年冬になると赤いジャンパーを着ていた。それがある年に新調した時、赤ではなく茶色になったことがあった。そのとき兄は「赤じゃないとイヤ」といって泣いたものだった。それほどまでに、幼少期の刷り込みというのは強いのである。

それがこの年になって赤色に初挑戦である。部分的なさし色とはいえ、赤が入っている服を着るのはとても新鮮な体験である。

このダウン・ジャケット、ラコステのものなのだが、クリエイティヴ・ディレクター(というのも何をしているのかわからん肩書きですが)は未だにクリストフ・ルメールなのだろうか、高いスタンドカラーと、胸元の縦位置のポケットは、一昔前に彼が作っていたブルゾンを彷彿とさせる。

うちの奥さんはこれを見て「ガンダムに乗る人みたい」という。そこで我が家ではこの日以降このダウンを「アムロ」と呼ぶようになる。「今日、寒いからアムロ着ていく」という具合である。着替えながら「ぶったね!二度もぶった!父さんにだってぶたれたことないのに!」などと若井おさむの真似をするのが現在のマイ・ブームとなっている。

2日はこのダウンを提げて実家へ帰る。半日だけのせわしない滞在であったが、わが三兄弟(3匹のこぶた)と父母、祖母、それから叔父母、雑誌でカットモデルなんかもしているイケメンの従兄弟2人が揃って、毎年楽しみにしている恒例の宴会が催され、楽しい午後であった。

おまけに僕は奥さんを連れて初めての帰郷なので、宴席でも色々と話題にされ、面映いやらうれしいやらである。

ところが、調子に乗って昼間からビールと日本酒をちゃんぽんにし、しかもかなりのハイペースで飲んだ(隣のおじさんがひっきりなしに注いでくれるから飲まざるを得なかったのである)のがいけなかったらしく、途中から記憶を失う。

記憶を失う、といっても突っ伏していたわけではなく、お酒のみの方は皆さん御存知のように魂の代行運転があって、記憶のない間も、(奥さんなんかに聞くと)普通に話をしていたのだそうである。さらに、「もうやめたら」というくらいミカンをばくばくと食べていたのだそうだが、その辺りの記憶は全くない。

そのとんでもない酔っ払いのまま、今度は奥さんの実家へと搬送される。恥ずかしいったらありゃしない、埒もない正月であった。翌日、奥さんから前の晩の行状を説明してもらうも、失われた記憶は戻らずじまいである。唯一幸運だったのは、奥さんの実家で熱い風呂に入ったら、頭痛も吐き気もなく翌朝真人間に戻っていたことである。

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アホになれる場所

先日お伝えしたとおり、昨夜は忘年会、いや新年会であった(高校生時分からの旧知の友人や兄弟が集まって宴を設けたのだが、以前ほぼ同様のメンツで、正月の3日に集まり、「ふつうに新年会しても面白くない。敢えて早くも三日目で年忘れといこう」と「忘年会」をしたことがあった。だから今回はその逆で新年会である)。

場所は、幹事のえびてつ氏の計らいで大津市のベルギー・ビールの飲める店。7時集合と言いつつ三々五々と皆が集まってくる。参加者は僕と奥さんを合わせて計7人。

メンバーがあらかたそろうと、マスターが「お祝いなんで」とシードルを開けてくれる。その時点で「ははん」と思ったのだが、続いて、前々からそうなるだろうと思っていた二人からこのたび結婚することになった、という報告があった。ついでのついでに僕の就職も祝ってもらい、楽しい祝いのウタゲとなった。

しかしまあ、久々に友人達と飲める喜びで、若干飲みすぎたかもしれません。ビールばっかりだったんだけど、銘柄をとっかえひっかえ、ジョッキとは言わないけどハーフ・パイントくらいのグラスで5杯か6杯は飲んだなあ。

さすがに何をしゃべったか覚えていないということはないけど、ひたすらアホになって、心に何の枷もはめることなく、思いつくままにしゃべっていたような気がする。日ごろ、社会的体面なんかをそれなりに気にしつつ対人関係を築いていると、こういう素の自分でいられる場所のありがたさが身に沁みて分かる。

この深酒のせいで、京都に帰ってくると無性にアイスクリームが食べたくなる。お店でおいしいコースを出してもらったのに、しかも〆にチョコケーキまで食べたのに、さらに駄目押しの抹茶モナカを食べてしまう我が愚かさよ。

この深酒は明けて今日も残り、朝は自分でも気づくくらい酒臭かった。さすがにむかついたり、頭痛がしたり、ということはなかったけど、酒量を減らすようになって弱くなったものである。

それはさておき、結婚されるお二人には心から祝福を申し上げます。前々から、ぴったりの二人だなと思っていました。末永く仲良くお幸せに。

アホになれる場所、と言えば、川端康成がこんなことを書いています。

「男が家庭を持ちたいってのは、思いきり阿保になれる場所がほしいからだ」(『化粧と口笛』より)。

結婚してみてこのことがよく分かります。我が家にも、ここでは書けないようなアホが時々出現しております。あなたのお宅にも出現するでしょうか。

追記:お店でいただいた「オルヴァル」というベルギー・ビールはほんとにおいしかったです。僕はふだんヒューガルテン派なのですが、それに通じるフルーティーさがあって、でもヒューガルテンよりしっかりしていて、上品な味がしました。

追記その2:明日より夫婦そろって温泉に行きます。大晦日までしばらく音信普通になりますので関係者の皆様御了承ください。

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ドリュー

ドリューはニューヨーク出身の、背の高い黒人青年だ。過去にベルリッツの語学講師をしていて、僕が出会ったときは「大学での非常勤の口を探している」と言った(もっとも、その発言は本気の計画というよりも口からでまかせの思いつきのように聞こえたが)。顔つきはタイガー・ウッズとソフトバンク携帯の予想guy(野口五郎)を足して二で割ったような男で、兄はジャズ・ミュージシャンだという。自身も楽器を弾くらしく、「マーカス・ミラーのベースはくそすげえんだぜ」と目を輝かせて話していたことがある。

僕とドリューとの出会いはいささか変わったものだった。

半年ほど前のある日、僕はスターバックスでコーヒーを飲みながら、当時担当していたクラスの英語の教科書の予習やら、学生が書いてきた英作文の添削やらをしていた。

その隣のテーブルに座っていたのがドリューだった。ドリューは僕から見て斜め向かいに座っており、僕の横には若い日本人女性が座っていた。

女性ははっとするほどの美人と言うわけではなかったが、整った顔つきをしており、スタイルも十人並みよりはずっとよかった。いささかメイクやヘアスタイルが、大阪の地にあっても派手好みといわざるを得ない部分があったが、身体にぴたっと張り付いたピンクのシャツと、ローライズのジーンズがよく似合っていた。

ドリューはその向かいで、黒い革のジャケットにジーンズ、NYCと綴られた黒のニットキャップというかっこうで座っていた。

僕は学生のひどい作文の添削に悪戦苦闘しながら、聞くともなく隣の会話を聞いていたのだが、これまた学生の作文に勝るとも劣らないひどいシロモノだった。

どうやら、その女性は「バツイチ」の看護師で、ドリューを「逆ナン」しようとしているのだということが会話の端々から分かったが、このナースと来たら、てんで英語がダメなのだった。そして残念なことに、ドリューも日本語が得意とはいえないのだった。そのせいで二人の会話は意思疎通のための試行錯誤に大部分が割かれていた。まるでお互いに落花生を剥いて食べさせあっているような会話だった。わずかな実を味わう間に、大量の殻が床に降り積もっていくのだ。

僕はその状態を若干もどかしく思いながらも、基本的には他人事であるのであくまで無関心を装い、自分の成すべきことである添削を続けていた。

ところが、話を聴くうちにどうしても首を突っ込みたくてしかたがなくなってきた。どうにもこらえがたい事態が発生したのである。

それは、ドリューの「You are funny」という発言ではじまった。

ドリューは「君は変わってる。面白い子だ」と言いたかったのだが、あいにくfunnyという単語は逆ナンナースのボキャブラリイにはなかった。

そこでナースは、文脈から推測した日本語の形容詞を次々に試してみることにした。

「なあに?なんていいたいの?『かわいい』?『きれい』?」

だがこれまた運の悪いことに、ドリューはそれらの日本語の形容詞を知らなかった。

「きれい…だったかな…思い出せない。日本語は勉強してるんだけどな」

そしてさらに都合が悪いことには、ナースの自己評価は他人よりも高めだった。彼女が思いつく形容詞は、掛け値なしの誉め言葉ばかりで、いくら試しても「面白い」にはたどり着きそうになかった。

そこで大学講師である僕がついに口をはさんでしまうことになった。

「No, funny means 面白い」

「That's it.」

こうして僕は、自らのいらぬおせっかいのせいで、非番の逆ナン・ナースと英会話講師の色恋沙汰の通訳を、都合一時間ばかりすることになってしまったのだ。

ドリュー「君はジュリエット、僕はロミオだ」

ナース「すてき」

鰤彦「いや、ロミオとジュリエットは最後に心中するぜ」

ドリュー「そうだな、日本人にとっていちばん有名なカップルって誰だ?」

鰤彦「ミッキーとミニーじゃないか」

ドリュー「よし。僕はミッキー、君はミニーだ」

ナース「かわいい」

という具合である。

ドリューは、後で分かったのだが大阪に来て間がなく、まだこちらに友人が少なかったのだろう、この会話をことのほか楽しんだようだった。ナースの逆ナンは、彼女から仕掛けたにもかかわらず、彼女が次のデートの予定をはぐらかす、という奇妙な事態に発展したが、彼はそれすらも楽しんでいるようだった。

彼女がようやくメールアドレスの交換をして去ってからも、僕とドリューはいきおい話を続けることになった。「オレは彼女には何か秘密があるんじゃないかと思っているんだ、どうだ」「他に男がいるんだろ」「そうかな?本当にそう思うか?」「いやどうかな。あるいは彼女は豊胸手術をしているのかもしれないぜ」「そうかな?あれは人工的なものか?」

話題は次々に移り変わり(「日本のすばらしいところは、誰も彼も教育水準が高いってところだ。向こうじゃあ大学に行くのも一握りだ。仕事だって天と地ほどの収入の差がある。政府は失業率の低下を自慢するが、問題はどんな仕事についてるかってことなんだ。」)、僕らはそれからさらに一時間ほど話を続けた。途中、ドリューは僕にコーヒーをおごってくれた。

ドリューは非常に知的で快活な青年だった。頭の回転は速く、物知りで有能な人物に見えた。しかしながら一方で彼の人生観は、彼の年齢にしては(僕より3つ年下だった)いささか浮ついたところがあるといわざるを得なかった。彼は横浜の英会話学校でしばらく働いた後、大阪に来て今はバーの仕事をしているといった。「毎晩のように飲んでいる。パーティーさ。でもオレはそんな生活はもうすぱっとやめるんだ。すぱっと」。

しかもドリューは女性に飢えているようだった。会話の最中も日本人女性にひっきりなしに声をかけては断られ、をくりかえしていた。「お嬢さん、こっちに来て一緒に座りませんか?」「そうですか、ではまたの機会に」「ああ、あの二人組はいい女だったぜ、そう思わないか」。この落ち着きのなさは僕を戸惑わせた。何か有効に活用されるべきものが浪費されているという印象を与えた。

やがて時が来て、僕も店を出なければならなくなった。別れ際にドリューは僕にもアドレスをくれた。「思いがけず無料の英会話レッスンをしてくれてありがとう。今度彼女と話すときは同時通訳はいないよ」と僕はいった。ついでに「早く腰を落ち着けてまっとうな職につくんだ」と言いたいような気もしたが、所詮スターバックスで出会っただけの赤の他人だ、かまうことはあるまい、と思い直した。

僕が教科書やらをまとめているうちにドリューも席から立ち上がった。これからヨドバシカメラにコンロを買いに行くんだ、と言っていた。店員と会話できるか、と僕が聞くと、ああ、大丈夫だと思う、とだけ答えた。

僕は彼が、異国の地で、コンロもない家に住み、毎日外国人の友人とパーティーをしているんだな、と思った。彼は手早く荷物をまとめると、大きすぎる背中を丸め、窓の外の地下道の入り口に消えていった。その身振りにはどこかやるせないといった印象が漂っていた。

それからドリューとは一度もメールを交わしていない。

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クマさん真夜中の大増殖

さっきの書き忘れというか昨日のできごと。

昨日は大阪で講義(夜の部)。10時15分ごろ帰宅。夕食は奥さんが僕のオーダーに答えて作ってくれたきのこの和風スープ・パスタ。経験的に和風パスタって味加減が難しいのだけれど、ゆうべのは完璧。唐辛子とだしが利いていて美味。

さらに「今日は2部構成よ」といって奥さんがオーブンでグラタンのようなものを焼き始める。が、グラタンではなく、「キッシュの中身。ふつうパイ生地に乗せるけど、ローカロリーにしようと思ってグラタン皿で焼いてみた。これもキッシュの一種なのよ」(ダジャレじゃないですよ)とのこと。キッシュの中身だけなので「ッシ」と命名する。これも美味。サツマイモとブロッコリー、たまねぎが美味しくいただける。

さらにさらに昨夜は「これからケーキを焼こうと思ってるんだけど」と奥さんはのたまった。そして夜中の11時ごろからやにわにバターをこね始めた。しっぽうさぎさんのところで購入したクマさんのかたちのケーキ型(ぶさいくかわいいクマさんが人形焼のようにいっぱいできます)を試してみたいらしい。バター、砂糖、卵、小麦粉、と順にこねて、焼いて、できたのは1時ごろ。家中に焼きたてのケーキの甘い匂いがぷーんと立ち込める。

型をひっくり返して、クマさんたちとご対面。ところが、気泡がたくさんできるタイプのケーキらしく、顔がもうひとつ顔らしくなっていなかった。奥さんはショックだったらしく、「今度はもっとねっとりとした生地のケーキでやるわ」とリベンジを誓う。でも味は別問題なので、二人して焼きたてのケーキを一個ずつつまむ。めちゃくちゃおいしい。

昨夜はそのほかにもリンゴを丸々一個ちかく食べてしまい、飽食の秋だった。1時過ぎからお風呂に入り、就寝。寝る前まで家の中にケーキの匂いが留まっていた。奥さんの焼く手作りケーキの匂いの中で眠りにつくのは、幸福な体験であることよ。

明けて今日、朝ごはんはそのクマさん。共食いではあるが数個食べてしまう。お昼はこれも僕のオーダーで、奥さんは決して食べない納豆ご飯。お腹いっぱいになったところで、論文の続きに取り掛かる。いいかげんけりをつけたいものだ。

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ボジョレー・元ヌーボーと暗黒城の魔術師

風邪気味である。大学講師みたいな不特定多数と同一空間を占めることが多い仕事(客商売ともいう)は、季節の変わり目ともなるとどうしたって風邪のウイルスにさらされることになる。ひとつの部屋に50人から人がいるんだから、誰か保菌者がいてもおかしくない。これが立派に健康管理している清潔な大人の集団ならまだましだが、連中ときたら歩く培養シャーレみたいなものだから余計にたちが悪い。

そんなわけで、鼻水、関節痛、若干の頭痛と腹痛に襲われている。

おまけに論文を抱えているので、この三日ばかり自己カンヅメにすることにした。全然外に出ないで論文ばかり書いている。夜は早寝で(11時ごろだけど)ベッドの中で読書。先日購入した『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』を読む。ハーバードの心理学者の書いた本で、心理学的な見地からの分析が面白い。多少、結論をもったいぶって後回しにしているようなところとか、堂々巡りをしている部分とか、論旨がすっきりしない点はあるけれど、余暇にはちょうどいい。しかも、現在の論文に使えるヒントもある。

思えば、いっぱしの文学少年(そんな表現があるか分からないけど)だった子供の頃は、読書といえばベッドの中で行うものだった。夜9時過ぎに2階の自分の部屋に上がって、枕もとのスタンドの電気だけで好きな小説を読みふけるのがたまらなく楽しかった。暗がりの中で空想をどこまでも広げていくことができた。そんな幼少の体験を思いがけず追体験する。

子供の頃の読書体験といえば、普通の読書に加えて、ゲーム・ブックなる読者参加型の本にはまったのを思い出す。内容はドラクエやFFの元ネタともいうべき、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」的「剣と魔法と竜の世界」。サイコロと紙と鉛筆を片手に、兄弟三人して夢中になったものだ。

なかでも兄弟のブンガク的趣味にぴったりはまったのが、二見書房から出ていた「ドラゴン・ファンタジー」シリーズ。J・H(ハービー)・ブレナンという作家の作で、物語はというと、アーサー王の治世、魔法使いマーリンに呼び出された主人公ピップが、エクスカリバー・ジュニアという剣を片手に、様々な難題をクリアするというもの。毎回そのタスクは変わるが、この基本設定は同じだった。

この作品の魅力は、そのユーモア溢れる語り口もさることながら、フーゴ・ハル氏(本名奥谷晴彦氏。ペン・ネームはダダイズムのアーティスト、フーゴー・バルからもじっている)のイラストにあった。陰鬱で、リアリスティックで、それでいてユーモアがある、その絵に兄弟してノックアウトされたものだ。

久々に思い出したところまた読みたくなったので、この際まだ手に入るようなら全巻大人買いしてやろうかと気になって調べてみたら、あいにく絶版らしい。しかし、同じことを考える人は多いようで(どうも、1980年代にブームになったこのゲーム・ブックという形態が密かに復刊され、当時のファン、つまり30代男子を中心に静かな再ブームを呼んでいるらしい。しかしゲーム・ブックがあまた存在した中でこのシリーズが復刊されたのは、それだけこの作品の質が高かったということだろう)、創土社から「グレイルクエスト」シリーズの名で全巻復刊の動きがあるらしい。すでに第一巻『暗黒城の魔術師』『ドラゴンの洞窟』は出版されていたので、アマゾンで即購入してしまった。何をしてるんだか。

この数日間のその他の動き。といっても外に出ていないので奥さんの手料理について。

火曜日の夜は親子丼、もうすぐ京都を離れるからその前にブランド野菜を、ということで金時人参と九条ねぎのお味噌汁、じゃがいもとスナック(スナップ?)えんどうのサラダ。

水曜の夜はパプリカと骨付きチキンのトマト煮ローズマリー風味、ブリー・チーズとパン。

今晩は徳島のサツマイモでリゾットと、昨年のボジョレー・ヌーヴォー(もうヌーヴォーじゃないんだけど、大丸の売り子さんが「よく熟成されてますよ」と気の利いたことを言ったので、人とは違う道をゆく奥さんが面白がって買ってきたらしい。要は不良在庫か)を使った「ロールじゃないキャベツ」。ル・クルーゼの鍋を使うレシピだけ集めた料理本に掲載されていた逸品で、要は巻く手間をオミットしたキャベツとミンチ肉の煮込み。味はロール・キャベツそのもので、僕が気に入っているので時々作ってもらう。キャベツがたくさん食べられる。

奥さんは今日はほかにも黒糖とサツマイモのパウンド・ケーキを焼いていた。焼き立てを一切れもらったが、黒糖の香りがすごくはっきりしていておいしかった。

明日も自己軟禁状態である。気合入れてがんばろう。

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足の弱いサル

昨日ふと思い立って、ミクシィ(&グーグル)で大学時代の先輩の名前を検索してみたところ、マスダさんという先輩を見つけた。嬉しくなりメッセージを送ったところ、マイミクに追加させてもらえたようで、これでマイミクさんがようやく10人になった(マイミクさんの多さって、人それぞれでいいと思うんだけど、少ないと友達少ないのかな、俺これでいいのかなと不安になりますね)。

マスダさんは現代音楽の専門家で、彼が院生(&僕が学生)の時お世話になったのだが、現在大阪府内の某大学で講師をされていることがわかった。プロフィールを見ると「音楽周辺のことを書いたりしゃべったり酒を呑んだりすることを生業とする男であります 」と書いてあって、昔と変わっていないようで嬉しい。僕がこっちにいるうちに飲もうというメッセージなど交わす。

本当に彼は「酒を飲んだりすることを生業とする」人であった。その頃僕はサイードやらイーグルトンやらが日常会話にぽんぽんと出てくる、いわゆる「文芸サークル」に属していたのだが、これが本来の活動よりもお酒を飲む方が盛んであったようなサークルであり、マスダさんはそこの中心的ムードメーカーだった。ここで僕は先輩の薫陶を受け、国立大文学部の学生らしく、いわゆる「現代思想」的なものにも目覚め、かつ居酒屋にも目覚めたのであった。

サークルで行きつけの店(学生に優しい、大衆的価格の居酒屋)に行くといつも、マスダさんは九州男児らしく早々にビールを切り上げ、おばちゃんに「日本酒熱燗で二合」と頼んでいたのを思い出す。すると一合のとっくりが二本出てきて、そうなるとそこからはもう、なんだか無限ループ状態の開始の合図で、その「日本酒熱燗で二合」というのが、10名程度の飲み会で、いつまで続くかもわからないくらい続くのだった。大衆的で大味で雑なつまみを好き勝手に頼みつつだらだらと酒を酌み交わし、大体解散するのはいつも午前様だった。

思えばあの頃がいちばん大学生らしい飲み会をくりかえしていた時期だったなあ。みんながたむろする部屋があって、そこで誰かが声をかけて、するとすぐに10人くらいが集まって、6時を合図にいつもの店に移動して、それからみんなで大きな机を囲んで笑いながら飲み食いしていた。その大所帯に参加していることは、今となれば心安らぐことであったなあ。

聞けばあの頃の先輩諸氏が皆それぞれにいまや大学のポストにつかれているとかで、十年一日の感あり。いちばん下の僕が講師になるのだからそれもまあ、当然か。

話は変わるのだけど、そのマスダさんの日記に、原稿仕事(僕らの仕事にはつきものでございます)に追い立てられると、逃避行動の一環として、ウィキペディアの記事を読みまくってしまう、というのが書いてあった。そこにマスダさんのマイミクの皆さんからも賛同の返事があって、皆さんそれぞれに追い詰められると、戦国武将関連の記事とかAV女優関連の記事とか落語家とかプロ野球選手とか、大阪市内の道路計画とか、リンクを辿って延々読みまくってしまうらしい。

僕は全然そんな経験がないので(追い詰められると大体外出して町をぶらぶらします)、「へえーそんなものか」と思って読んでいたのだが、ものは試しと思ってウィキペディアの「007シリーズ」の記事を読み始めたら面白くて止まらず、やっぱり読んでしまった。日本を舞台にした快作(怪作?)、シリーズ第四作目『007は二度死ぬ』で姫路城ロケをしたんだけど、忍者の訓練シーンを撮影する際に手裏剣で外壁にボコボコ穴を開けてしまって、それ以来姫路城が映画撮影禁止になったとか、面白いエピソードが満載なのだ。

何でそんなことをしたかというと、今日の滋賀県にある某大学での講義で、欧米の映画における間違った日本人表象について講義をする予定で、昨日からDVD編集(よせばいいのにチャプター切ってメニュー画面までつけてしまった)をしていたのだ。他にもセシル・B・デミルの『チート』(ヒロインに焼き鏝を押す残酷な日本人として早川雪州が「ハカ・アラカウ」という役名で出演)、『ティファニーで朝食を』(ミッキー・ルーニーが出っ歯で眼鏡の日本人大家「ユニオシさん」として出演。なぜか字幕は関西弁)、『八十日間世界一周』(鎌倉の大仏の隣が平安神宮で、その隣が歌舞伎座。この歌舞伎座は花道が二つあり、中では大道芸をやっている)などもあわせてDVDを作成。

こういう映画を観ると何だか頭の地球儀がグネグネと地殻変動を起こすような気分になる。しかしこれらの作品も『007は二度死ぬ』に比べればまだましである。何せ、先にも書いたように、姫路城は忍者の訓練場だし、銀座には人力車が走っているし、結婚式の場面では仏前と神前がごっちゃになっているし、なんだかもうむちゃくちゃである。

といいながら、僕らも『007』のシリーズはアメリカ映画だと思っているのだから、人のことは悪くいえない。あれは、配給はUA、MGMなどアメリカの会社が担当しているが、製作はイギリスのプロダクションなのである。

タイトルだが、『007』のタイトルをもじって何かつけようと思ったところ、こんなのしか思いつかなかった。後は『007は二度寝る』とか『寝るのはまくらだ』とかそんなくだらないのしか…。

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プラモデル再考(2)

プラモデルの話。

思うに、プラモデルって僕らの世代(今30歳前後)にいちばん流行ったような気がする。何せガンプラ世代だし『プラモ狂四郎』も愛読していた。そのせいで何十体というロボットを作ったけれど、そのことが僕らの世代に特有の経験というか、それに伴う世界観というか認知の枠組みを与えているんじゃないだろうか。

つまり、例えば、大雑把で極端な仮説であることを承知の上で、今の子供達がコンピューター・ゲームで育っているとすると、彼らの遊び経験というのは、数値に換算されるデータと、それに基づくアクションとで構成されるダイナミックな世界経験ではないかと思うのだ。その一方で、プラモデルというのは同じく構造的ではあるけどもっと静的なものだ。そして、数値に換算されない部分を常に残している。この違いが、二つの世代のものの考え方に影響を与えているということはないのだろうか。

同じことを言い換えるなら、例えばロジェ・カイヨワが著書『遊びと人間』の中で定義している、遊びの四大要素を持ち出してくるといいかもしれない。それは次のようなものだ。

①競争:スポーツなどの勝負の要素

②運:ギャンブルの要素

③模擬:真似事遊び、ロールプレイ

④眩暈:ジェットコースターの例

このうち、プラモデルがどのような要素を提供するかというと、それはひとつにかかって③の模擬、それも視覚的な模擬でしかない。一方で、コンピューター・ゲームには①~③の感覚がもれなくついてくる。ひょっとするとレーシング・ゲームなんかは④もあるかもしれない。

もちろん、僕らの世代もプラモデルしか遊びがなかったわけではないし(チョロQとかミニ四駆とかもあったし、サッカーも野球もあった)、今の子供だってそうだろうが、この二種類のホビーの圧倒的な質的差異を考えると、そこには何か影響があるに違いない、という安易な仮説を立てずにいられない。

こんなことを考えるのはなぜかというと、最近また、ガンダムを買おうかと思っているのだ。僕はわりとええかっこしいなので、今までは人目を気にして、三十路の大人がいい年してガンダムなんて、と自己規制をしていたところがあったのだけれど、やっぱり自分の好きなものは買えばいいんじゃないか、と思い始めている。

といってもプラモデルは作るのは億劫なので、完成品にしようかと思っている。僕の実兄は今も昔もせっせと細かい手仕事をしながらガンプラを作っていたが、僕は塗装とかあんまり好きではないので、それなら出来合いのものの方がいい。

しかも、最近の完成品はとてもよくできているのだ。HCM proの『逆襲のシャア』シリーズとか、GUNDAM FIX FIGURATIONのジム・スナイパーカスタムとか。先日りんくうアウトレットでこのジム・スナイパーカスタムを発見した時は本気で迷った。

問題は、③模擬でしかないプラモデル(というか製作の過程もすっ飛ばした完成品)は、買った後の遊び方が全くないということだ。「アメトーク」のガンダム芸人さんの回(岡田斗司夫氏のコメントが「そう見るか」という感じで面白い)みたいに、せいぜい手で持ってごっこ遊びするしかない。そんなこと一人でしても仕方ないので、どこかに飾っておくしかない。でも飾り物と化した瞬間に、品物の費用対効果がぐっと下がるような気がする。時計や靴みたいに、使えないと面白くない。

僕のマイミクさんや友人知人は皆、自分の揺るがぬ趣味を持ってらして、このような小さい悩みに逡巡懊悩拘泥することなく突き進んでらっしゃるようにみえるので大変羨ましい。

森男氏はプラモデル作りもかなりの腕で、昭和の香り漂うオールズ・モービル世界に邁進してらっしゃるし、ReprobateAngelさんとうちの実兄はバイクでレースやトライアルに精を出している。西宮在住のチキン・リトル似の実弟は「集中力が切れてからどれだけできるかが真のゲーマーだ」という迷言を残したゲーム・マニアだし、しっぽうさぎさんのところのパダワンはレゴ少年、そのほかいっしょにバンドをやっていたシンガー・ソングライターや、自転車とアウトドアの専門家もいる。

皆さん、僕から見るといい意味で「なりふりかまわず」趣味に精進してらっしゃるようにみえる。そこへいくと僕の趣味ってなんなんだろうか。写真は確かに好きだし、靴&スニーカーも音楽も好きだけど、「これ」という決め手がない。みんな初心者レヴェルでさまよっている。

もっとも、自分の場合は最も好きなことを仕事にしてしまっているので、他に自分を見出すことのできる場所が見つからないのかもしれないけど、なんだか不毛な気もする。

この秋冬はひとつ、何かに年甲斐もなく凝ってみたいなあ。といいつつ、論文執筆で大半が過ぎていくんだろうな。

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