深夜の替え歌(2)(っていうか歌詞の順番が混乱しちゃった歌)
ウルフルズの『バンザイ 〜好きでよかった〜』から。
♪スゲェスゲェ幸せな気分の時は
帰り道で君を思い出す
コンビニをうろうろしながら
心の中でかみ殺す♪
…ええ、ええ、もう寝ますとも。
ウルフルズの『バンザイ 〜好きでよかった〜』から。
♪スゲェスゲェ幸せな気分の時は
帰り道で君を思い出す
コンビニをうろうろしながら
心の中でかみ殺す♪
…ええ、ええ、もう寝ますとも。
今日は仕事納めですね。
都並は例によって年末年始モードに入ると電脳空間から遠ざかるため、今年は今日が最後の更新となります。次回は1月の…8日とか9日になるんじゃないでしょうか。
ということで、皆様(という名の仮想読者の方々)にはここでご挨拶を申し上げておきます。
今年一年間はまことにありがとうございました。大変に忙しい1年でしたが、なんとか乗り切れたのはひとえに皆様のおかげです。
また、2009年も何卒お引き立てのほどをお願い申し上げます。2009年は都並も、さらなる補強を行って、一回り大きな人材になりたいと思います。よろしくお願いいたします。
しかし今年はいろいろあったなあ…。学会の主催校・実行委員をやったり、名古屋では憧れのDB先生に会えたり、スターウォーズの公開30周年記念イベントがあったり…なんとなくはじめたミニカーのコレクションもあっという間に増えたし…。
ということで、今までやったことがないのだけれど、極私的「2008年のベスト○○」をここに書きつけておこうと思う。もし来年も、それ以降もこの気まぐれが持続したら、それなりの備忘録にはなるだろう。
1)2008年のベスト・ムーヴィー
第1位 『イントゥ・ザ・ワイルド』
第2位 『潜水服は蝶の夢を見る』
第3位 『ノー・カントリー』
寸評)今年は結局忙しくて、『TOKYO』も『トウキョウソナタ』も未見、『アイアンマン』もこれから…という体たらくなんだけど、観たものの中で言うと、なんといっても『イントゥ…』の鋭利な仕上がりと、その製作姿勢の気迫が凄かった。かつてないほどインヴォルヴされた映画だった。第2位も詩的で美しく、人生の美しさを謳い上げた傑作だと思うけれど、『イントゥ…』が真正面から見据えたネガティヴィティのインパクトには勝てなかった。第3位は職人技の凄さを見せ付けられた。
2)2008年のベスト・ミュージック
第2位 R.E.M.『アクセラレイト』
第3位 ローリング・ストーンズ『ラヴ・ユー・ライヴ』ほか
寸評)今年はあんまりポップ・ミュージックを積極的に消費しなかった。オアシスもコールドプレイも新譜を買わなかった。その中でも第1位のリトル・ジャッキーは、キャッチーさといなたさとが絶妙にミックスされて、ドライヴのBGMとしても最適。いいセンスしていると思う。
第2位は『モンスター』以来のピーター・バックのギターばりばり弾きまくりがうれしいR.E.M。でもこの人たちの場合、反対にスロウな曲はそろそろマンネリしてきた。
第3位は、恥ずかしながら(いや別に何も恥ずかしくないけど)職場のイギリス人の先生に勧められて初めて聞いたのだけれど、いや、凄い。特に「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「ブラウン・シュガー」「悪魔を哀れむ歌」の流れが最高。そのほかはGラヴ、ベイカーズ・ブラザーズあたりが次点かな。
3)2008年のベストお茶菓子
第1位 松屋長崎のマドレーヌ
第2位 みよしやのみたらし団子・かざりやのあぶり餅・出町ふたばの豆餅
寸評)お酒を家でほとんど飲まなくなったので、代わりにお茶菓子を食べることが増えた。移動の多い仕事を生かしてあちこちでお菓子を試してみるのだけれど、やはり自分が年をとったせいか、京都と東京の和菓子に軍配が上がる。ここにあげたのはどれも伝統のある老舗である。特に第1位の松屋長崎の、予約しないと買えないマドレーヌは、聞けばおじいさんが独りで作っているそう。絶対になくならないでほしい味である。
といいつつ今個人的には根津のたいやきが食べたい。あの薄い皮、たっぷりのあんこ…ああ、たまらないな。
…さてさて、などといいつつそろそろ2008年の太陽も沈みかけているようです。皆様それではまた来年お会いしましょう。
都並はこれから髪の毛を切ってもらいに行きます。今晩のごはんは奥さん手製の豆腐ハンバーグです。明日からは大掃除とたまったDVDの鑑賞に精を出し、大晦日からは日光・鬼怒川に出かけてきます。
年が明けたら京都に帰り、バーゲンでピーコートの掘り出し物を探し、リコーのGRデジタルⅡを買って、でもって帰りの新幹線ではそれをうれしそうにぱしゃぱしゃやりながら北関東に帰ってきます。
それまでごきげんよう。2009年が皆様にとってこれまで以上にすばらしい飛躍の年でありますように。
(この日記の内容は7月14日に更新されました)
勤めている大学ではもうすぐ学期が終わる。
ということで、決してシラバスどおりに進んでいるとはいえない授業の最終的なつじつま合わせや期末課題の作成や、その他諸々突発的に襲ってくる大学の雑務に終われ、「一週間に三回」を目標にしているブログがなかなか更新できない。
それでもとりあえず今は忙中閑有りという状態で、ようやく日記が書けている。
なぜ日付の変わるこんな時間にPCに向かっているかというと、明日立教大学で行われる黒澤明のシンポジウムに聴講に行くことにしているのだが、その行き帰りに電車の中で聴くために、iPodの内容を更新しているのである(追記:僕の使用している旧nanoは、奥さんが二年ほど前にお友達の結婚式の二次会のビンゴの景品として無料でゲットしてきたものであり、その時の同梱のiTunesを更新しないままに使っていたので「同期」ではなく「更新」であった)。
先日、家の近くの外資系ではないCD店でG・ラヴ&スペシャル・ソースとザ・ベイカー・ブラザーズの新譜を買ったのはいいけれど、これまた落ち着いて聴くひまがなくて、まだ封も切っていなかったので、ようやくの作業に入っているのである(追記:ザ・ベイカー・ブラザースのウェブサイトには「Mixer」というページがあって、これがけっこうおもしろいです。ウェブ上の擬似ミキサーのフェーダーを上げ下げして、ちょっとしたダブっぽい遊びができます。ダブといってもミュートとかディレイとかはないけれど、演奏気分が味わえるというか)。
それにしても、CDを店頭で買って、家でPCに挿入して、iTunesにインポートして、iPodで聴く、というのは、どこかで時代遅れなプロセスのような気がする。というのも、最初からオンラインで楽曲のファイルを手に入れる、という選択肢もあるのに、なぜか未だに店頭でCDを買ってしまっているからだ。
そういえばこのブログの写真も、基本的に自分の携帯からPCのアドレスにメールしているのだ。カード・リーダーを使えばもっと簡便なのだとは分かっているのだけれど、なんとなくリーダーを買うつもりになれないのである。
こうして、生活のプロセスの部分部分から、だんだん時代遅れになっていくのだろうな、と思う今日この頃。
7月14日追記:
ここまでは11日の記入(カッコ内の追記部分は14日)。実はこの後が大変だった。
ど古いヴァージョンのiTunesに曲をインポートして、さて、iPodに入れよう、と思ったら、iTunesがiPodを認識しないのだった。
これはどうやら、先日、我が家の旧nanoくんをJRの車両内で落っことしてしまったことが原因のようだ。
そこでネットで色々調べてみて、windows上でというか元のPC側で色々できることを(コントロール・パネルを開いたりして)試行錯誤してみたけれどもうまくいかず、結果「iPodを復元」するしかない、ということになった。
そこまでは別に良かったのだけれども、我が家のど古いiTunesでは、どこを調べてもiPodの復元なんて機能が見つからない。ということは、どうやらiTunesをアップデートしなければいけないようだ。
しかし僕が今までiTunesをアップデートしてこなかったのは、単なるものぐさではなくて、ちゃんとした理由があるのである。そもそも我が家のPC自体が非力なので、極力重いアプリケーションを入れたくないのである。いや、新しいiTunesが今のど古いのに比べて重たいかどうかはわからないのだけれども、windowsの開発の歴史はアプリケーションの重厚化の歴史だという先入観がある。
しかしそうはいってもここはiPodのため、更新しないわけにはいかない。ノー・ミュージック、ノー・ライフ。
と思ってニュー・ヴァージョンをダウンロード、アップデートしてみたところ、案の定プロセスの途中で止まった。
仕方ないのでインストール先を変更(ハードディスク内のCからDへ<正しい対応なのかわからないけれど、Cばっかり使うのでDはやたらと空いている)、今度は無事成功。
そこから新しいiTunesを色々と触って機能を覚えて、無事聴ける状態に持っていったら、午前2時を回っていた。とほほ。お友達が難なくiPhoneを入手してほくほくしている一方で、この時代遅れぶりはどうだろうか。
…などと気を落としつつ、翌日。ソフトウェアを1.3.1に更新した旧nanoくんで音楽を聴いてみたら、なんと音質が向上していた。
いや、正確には向上といっていいのかわからない。単にイコライジングの問題なのかもしれないのだけれど、以前より明らかに低音が出て、それもブーミーじゃなく、特にベースの音がいい感じに太くなっている。キックもそれにあわせて心地よい重量感を伴うようになった。その他の楽器も心なしか空気感が増した。
いやはや、これはありがたい進歩である。これまで、B&OのA8(どうでもいいけど、2001年に初めて香港で買った時は一万円を切っていたのに今や1万7千円台。nanoくん本体と同価格帯になってしまっている)で聴いていると、特にJRの車内など騒音の大きいところでは、どうしてもベースが弱く、キックも硬質なものに聴こえていたのが、非常に心地よく聴ける。
ということで、機械音痴ゆえに苦労したけれど、怪我の功名というか、終わりよければすべて良し、ということであった。
今日から3日ほど、早めの盆休みを取って帰省してまいります。帰ってきたらまた更新いたします。
全然関係ないけど、コカコーラから出ている「ミニッツメイド」という果実系飲料のCMソング、以前から「空耳」が聞こえて仕方ありません。
最近のヴァージョンだと、サイトによると「Blooming」篇というタイトルらしいのですが、小さな女の子が部屋の中でバレエを踊っていて、すると彼女の足元にはつぎつぎ花が咲いていくという(僕も昔夢の国の王子様だった時はおんなじように花を咲かせることができたのですが)あれです。
このCMのバックグラウンドに流れている、女の子が歌うフランス語の歌、最初から4小節ほど待ったあたり(15秒ヴァージョンのほう)で耳を澄ましていると
「あなたも今度それを乞う」
という予言的な歌詞が聞こえてまいります。映画『ピアノ・レッスン』の有名な現地民のせりふ「あんなところは生きて通れねえ」ほどのインパクトはありませんが、何回も聞いているとじわじわ効いてきます。
ココで試聴できるので、興味のある方はどなたかこの「空耳」を共有してください。そして聞こえたら「うん、聞こえた」と書き込みしてくださると勇気が出ます(なんのこっちゃ)。
じゃ、行ってきます。タモリ倶楽部に送ろうかな。
風邪を引きました。
たぶん熱はないんだけど、どうにも咳が止まらず、頭がくらくら、身体も少しだるい、というありさまです。どうも、土曜日に職場の同僚の先生が声を完全に枯らした状態でこられていたので、そこからいただいたみたいです。
しかしまあ、この稼業の救いは、そろそろ授業も終わりかけであるところ。といっても、優に3桁、下手すると150は超えているなという数のレポートを平積みにしたままで(後10日ほどで評価しないといけません)、のんびりする余裕は全然ないんだけど、それでも、まだ日も昇らないくらい朝早くから出かける必要はそろそろ無くなってきたのである。
そんなわけでここはひとつ養生しよう。もう少ししたら近所の医院の午後の部の診察が再開されるので、そこに行ってきて薬をもらってきて、それ飲んで良く寝ることにしよう。
ということで今日は、病院にいくまでの間、さしたる話題もないので、最近色々と見たり読んだり聴いたりしたものの感想を書き留めておく(ミクシィのレビューに書こうかとも思ったけど、『かもめ食堂』のDVDのレビューに2000人も書き込みがあるのを見た日には、そこに加わることの意味を考えてしまうよ)。
1)『グエロ』。
ベック、というヒップホップとカントリーとブルーズとフォークをごちゃまぜにした曲を作るアーティストの、ひとつ前のアルバム。新譜はこちら。レンタルに出ているのを2TAYAでたまたま見つけて借りてきた。
この人のは、『オディレイ』『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』は持っていたが、弟が『ミューテーションズ』を買ったのを借りて聴いてみて、「なんか、好きじゃない方行に行ったな」と思ったので、しばらく関心を持っていなかった。
それが今回、なんとなく聴きたくなって借りてきたら、『オディレイ』に近いノリになっていて、とてもよかった。なつかしのブレイク・ビーツとラウド・ギターが全開だった。新譜も買ってみようかと思った。
『オディレイ』に近いのは、それもそのはず、調べてみたら、僕の大好きなイールズなんかとも組んでいるダスト・ブラザーズとふたたびタッグを組んだアルバムということではないか。そういわれてみれば、イールズの『エレクトロ・ショック・ブルーズ』の収録曲にそっくりのビートを使った曲がある。
この人の曲は、使い古したスニーカーやらブーツやらをちまちまと砂漠の中にどこまでも並べていくような、「ぶつ切り」感や「ちまちま」感があって、それが時々うっとうしくなるのだが(たぶん、ビートにしても上物にしてもメロディにしても、小節単位のループが多いからだろう)、それが変に心地よい時がある。今回は、はまった。レンタル待ちのブレイクビーツ、『グエロ』、好盤である。
2)『長いお別れ』
この『グエロ』を聴いていたときに読んでいたのがこれ。言わずと知れた、レイモンド・チャンドラーの不朽の名作探偵小説。名探偵(?)フィリップ・マーロウをエリオット・グールドで、先日亡くなったロバート・アルトマンが映画化もしている。
今回は、もうすぐ村上春樹訳が出るというので、その予習のために読んだ。村上春樹は以前、『羊をめぐる冒険』とか『ダンス・ダンス・ダンス』の執筆の際に、「ハードボイルド探偵小説のフォーマットを換骨奪胎して用いた」と何かで語っていたことがあり、また今回の翻訳に当たっては、「『長いお別れ』(=『ロング・グッドバイ』)は、先行して世に出た『グレート・ギャツビー』とともに、小説家としての自分にとって最も重要な作品のひとつ」というようなことを語っていたこともある。
そんなわけで、『長いお別れ』を読めば、村上春樹の小説作法みたいなものがつかめるかなあ、という期待も込めて読んだわけである。
結論から言うと、「ハードボイルド探偵小説のフォーマット」が彼の作品に生かされている、というのはとてもよくわかった。特に、『ダンス…』の「僕」の行動原理にこのフォーマットが生かされているように思う。決して焦らず、何があっても動じず、冷静に行動していく主人公像というのはここから来ているのか、と思う。
が、文体、という点から言うと、村上春樹とチャンドラーの文体はまったくかけ離れているようにも思う。村上の多くの小説における文体は、語り手である「僕」に原則的に常に焦点化し、「僕」の内面の心理を詳らかにする文体だが、『長いお別れ』の文体は、登場人物の内面にほとんど踏み込まない「キャメラ・アイ」的な文体なので、しばしば人物の心情が不明瞭だ。そこに第二次大戦後の実存主義的な憂いが主題のひとつとして盛り込まれているので、「心が読めない」人物ばっかり出てくるように思う。しかも困ったことには、肝心のフィリップ・マーロウですら、何を考えて捜査をしているのかわからないときがある。それが幕切れになって「そうだと思ったぜ」みたいなことを言われるので、読者としては煙に巻かれたような気持ちにもなる。
しかしその不明瞭な精神性において、『長いお別れ』のマーロウと、村上作品の「僕」(の多く)は共通したものを持っているように感じるのも確かだ。それは、「超然としたロマンチシズム(detached romanticism)」とでも呼ぶべきものだろう。二人は二人とも、誰かに対して強く感情的連帯を示したりすることはない。常に他者とは一定の距離を置き、感情の起伏を抑え、冷静さを保とうとしている。しかしその信条においては非常にロマンティックな観念を持っている。それが両者の共通性ではないだろうか。
…というようなことを考えた。さて、これが村上訳でどのようになっているか確かめてみよう。
3)『かもめ食堂』
先日の新年会でマイミクのえびてつ氏がフィンランドに行くという話を聞き、その際話題に上ったのがこのオール・フィンランド・ロケの日本映画。気にはなっていたのだが観るチャンスを逃していたので「よーし、そんなら見てみるか」ということで、奥さんとDVDで試聴。
端的に言って、とっても変わった映画だと思う。
古典的ハリウッド映画の規範のひとつである、プロットの因果律(原因と結果の連鎖)の構造がほとんど見受けられないのだ。
どういうことかというと、ふつう、「フィンランドで日本食の食堂をはじめました」>「お客さんが来ません」という展開が続いたら、大方のハリウッド映画は「お客さんが来るよう工夫をしました」>「うまくいきません」>「さらに工夫しました」>「成功し、お客さんがいっぱい来ました、よかったね」という展開をするはずなのだが、この映画ではそれが全くないのだ。
確かに「お客さんが来ない」>「片桐はいりの提案で、フィンランドの食材でおにぎりを作ってみる」という展開はあるのだが、その後が、「フィンランド人青年に食べさせました」>「失敗でした」という展開になってしまうのだ。その後、確かに食堂は満員になるのだが、その理由はほとんど語られない。
そもそも、日本人女優三人の過去も一切語られないのも変わっている。普通の映画なら、「日本でこういうことがありました」>「だからフィンランドに来てがんばっています」というエピソードを加えて、観客の登場人物に対する感情移入を促すものなのだが、この映画にはそれがない。脇役にしても、映画の早い時点で日本かぶれのフィンランド人青年が出てきて、以降彼は食堂の常連としてほぼ出ずっぱりになるが、彼の過去や職業についても同様に何も語られない。そればかりか彼は、前述のおにぎりを食べたほかは、物語の展開にもほとんど何の貢献もしない。ただそこにいるだけだ。
そのようなわけで、この映画はことごとく「王道」の物語からは逸脱しているのである。この映画の筋を思いっきり大胆に要約すると、「ただ、女性三人がマイペースに仕事した。なんだか知らないが食堂が流行った」ということに過ぎない。それが変わっているのだ。
しかし実のところ、これがこの映画のテーゼなんであろう。「原因」と「結果」なんて理屈っぽいことは窮屈で仕方ないわ、マイ・ペースでいきましょう、そしたらなんとかなるわよ。この映画はこういわんとしているのかもしれない。そこが、そのいい意味での「ゆるさ」が、この映画の支持者を増やしていったのかもしれない。
フィンランドと言えば、小津安二郎の遠隔地のファン、カウリスマキ兄弟の本拠地である。彼らは(それと、彼らのお膝元ヘルシンキで、彼らの映画の常連俳優マッティ・ペロンパーを使って短編を撮った盟友ジム・ジャームッシュもまた)、ハリウッドの「王道」の物語に挑戦し続けている「作家」たちである。その本拠地でこのような映画を撮ったということは、この狙いが確信犯的なものであったということの証拠に他ならない。
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いやあ、今朝はびっくりした。京都もついに初雪ですか。朝起きて外を見て、北山のいただきが残らず真っ白になっているのを見て、思わず奥さんを呼びました。
いや、朝起きて外を見て、というのは実は正確な表現ではなく、月曜日の朝はいつも早く、6時半起き、7時半出発なのだが、このごろは6時半というとまだ真っ暗である。空が白んですらいなくて、カーテンを明けて町を見下ろしても、真っ暗な中にぽつぽつと明かりが灯っているだけで、完全に夜の雰囲気である。
それが、顔を洗って髭を剃って(髭剃りほど面倒くさいものはないよね。いっそ永久脱毛しようかと思うよ)、ごはんを食べて、としているうちに次第に明るくなり、北側の窓一面に白い山の峰が見えたときの驚きよ。
そんなわけで今日は覚悟して家を出たのだが、地表はそんなに寒くなかった。マッキントッシュのキルティングで大丈夫だった。今年はどうも暖冬みたいですね。
この週末の動向。
土曜日は普通に仕事。奥さんにこのところお土産を買って帰っていなかったので、ヴィタメールで奥さんの好きそうなミルク系やジャンドゥーヤ系のチョコレートを見繕って買って帰る。帰ってくると奥さんが「京野菜たっぷりメニュー」と称して色々作ってくれていた。「金時人参のお味噌汁」、「壬生菜の胡麻和え」、「万願寺唐辛子とおじゃこのたいたん」、「ジャガイモのグラタン風」、後はチキンソテー、という贅沢なご馳走である。またもや満腹食べてしまう。
夜は奥さんと『ヘイフラワーとキルトシュー』という子供映画を観る。主演の姉妹役の子役が『バカ姉弟』とか奈良美智を地でいくかわいさで、ふたりして女児がほしくなる。主人公の家族設定は、因果関係があるのかないのかトトロのさつきとメイの家と同じで、お父さんが研究者と言うのも同じ。研究者のお父さん(ジャガイモバカ)に非常にアイデンティファイする。
因果関係といえば(閑話休題)、今読んでいる『長いお別れ』に億万長者の「ハーラン・ポッター」という男が出てきます。そのほかにも「ローリング」という苗字の夫妻が出てきます。J・K・ローリングさんはハリー・ポッターで億万長者になったわけだけれど、何か関係あるんだろうか。
それはさておき、日曜日は大阪でお買い物。知人のお子さんへのクリスマス・プレゼントなど買う(奥さんはこの前からこればっかり)。
夕食はなんばパークスに移動して「クア・アイナ」。鮎彦には悪いけれど、やっぱりここのハンバーガーがいちばんだと思う(ハワイアン・コナビールもうまい)。アボカド・バーガー1/3LBを完食して、奥さんのチーズ・バーガーも半分もらう。モーガン・スパーロックの気分。
帰りになんばCITYの中のポール・スミスでかわいいニット・カーディガンを見つけて、物欲の虫が騒ぎ出す。が、買わずにがまんして帰ってくる。
夕食は5時過ぎだったので、帰ってきて、「世界ウルルン滞在記」を見ているうちに空腹になる。ヒューガルテンを飲みながら、うすピーとかプリンで夜食。いちばん太るコースである。ところで、「ウルルン」の阿部サダヲの人形アニメは最高でしたね。きらりと光るものを感じました。
明けて月曜日。朝から、買い換えなければと思いつつだましだまし使っていたB&OのA8(イヤホン)が完全にダメになっていることに気づき、ひたすら凹む。右耳が全く聴こえなくなっていたのだ。この出費でポールさんのカーディガンは遠のいたな…でも欲しいよう。
しかし僕にとってはポータブル・プレイヤーは必需品なので、そんなことは言っていられない。大阪での授業が終わってからその足でヨドバシ梅田に代替品を検討しに行く。あそこなら試聴もできるので(自分のプレイヤーで音を聴けるのでリファレンスにちょうどいい。インナーイヤータイプはおぞましいくらい汚れているけど)、この際商品コンセプトが似ているオーディオ・テクニカなども検討しようと思ったのだ。
しかし、結果からいうと、僕はA8に軍配が上がるような気がする。商品の高級感もA8のほうがいいし、音は好みだが、オーディオ・テクニカのものは高音域がちょっと派手に化粧してあって、ドラムの金物とかが落ち着かない。しゃかしゃかしているのだ。A8とほぼ同価格のものだと高音も落ち着いているが、今度は低音が物足りない。
しょうがないのでBEAMS京都店に電話をかけて、A8をとりおきしてもらう。LOMO LC-Aとあわせて、これで3万円近い出費である。懐に木枯らしが吹き込んでくる。
などと言いながら、妥協できない人間の業だと思うことにして、寒風の中新風館までいっちょ取りにいってきまーす。
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表題の通り、自分の持ち物が次々こわれてしまって、出費が無駄にかさんでいる。こういうのって必ず五月雨式に来るよね。
まずはLOMO(いっときブームになって、一部で根強い人気のロシア製のトイ・カメラ)LC-A。奥さんと付き合い始めて最初のクリスマス(6年前)にプレゼントでもらった思い出の品(ひゅーひゅー)。写真が何でもヌーヴェル・ヴァーグっぽく撮れるので気に入って撮っていたが、シャッターの接触不良で、ぱちりと音はしても撮れてない、という状態に。
この症状が巷に存在するのは知っていたが、まさかと思い充分確認せずに9月の新婚旅行(ニース・パリ)に持っていって、「わあいわあい」とフィルム8本撮ったのだった。ところが帰って来てフィルムをプリントに出したら20枚も撮れてなかった。これにはびっくりした&めっぽう凹んだ。デジカメで押さえも撮っておいたからよかったけど(デジカメだけで400枚くらい撮ったというのはないしょです)。
というわけで現在、愛機LOMO LC-Aは東京の鈴木商店さんという専門にやってくれているところで修理中。修理費は見積もりで12,500円。確か購入時の価格は14,000円くらいだったような…(と、涙をこらえる)。でもそんなことも言ってられない。なにせこれがいまや生産中止モデルで、こんなチープなカメラでもプレミアがつくらしく、市場価格が今では購入時の倍以上になっているのである。そんなわけで「新品を買うよりは安い」と思ってがまんする。思い出の品でもあるし、他にない写り味を持ったカメラだから、他の機種に変えるつもりもないし…。
改良を加えた新型も出ていて(LC-A+)、これなら買ってもいい、とも思うんだけど、これも3万円超するしな…。新型だから生産地(旧型はウィーン、オリジナルはレニングラード)も工場も違うかもしれないし、部品の精度が違うと旧型と同じ写りかどうかわからないしな…(機械にこだわる人の良くない心理。僕の持ってるのもウィーン・ヴァージョンだけど)。
といいつつ、このカメラだけならまだしも、先日追い討ちをかけるように、iPodのイヤフォンとして愛用しているB&OのA8もこわれてしまった。以前から左耳の外耳にかける弧状のパーツの先端が外れてしまっていたのだが、音質には問題なかったのでだましだまし使っていた。それが右耳部分の接触不良が発生し、右耳だけ音量が小さくなったり、音が途切れたりするようになった。荒っぽい使い方をしているから仕方ないといえば仕方ないのだが…。
これも日本の本社に修理費の見積もりというか概算をメールで尋ねたら、12,000円近くかかるという。修理期間は10日前後。本体価格が14,700円なので、送料も加えたらそんなに変わらない。奥さんと相談したところ「じゃあ、新しいの買うほうがいいね。また壊れるかもしれないし」と僕と同意見。そんなわけで買えるところを探す。
B&Oは大阪では扱っている店があるんだけど(ミナミのヤマギワさん)、そこまでそれだけのために行くのも億劫だし、交通費もかかるし、扱いのあるBEAMSさんで取り寄せてもらうことにする。BEAMSさんなら御池の新風館にお店があるので自転車でいける。さっそく電話し、金曜日には手に入るとのこと。早くてよかった。
この手続き中、代替品として使えるなら、という思いからiPodの付属イヤフォンを使ってみたが、これはあんまり好みの音質ではないとわかる。中低域というか、ベースのあたりの音域(400~800Hzくらいかなあ)がブーミーで、いっぽう低音・高音は弱いので、いかにも安っぽい音がする(音波に高いも安いもないから、「安っぽい音」というのは後天的・文化的に構成された認知的枠組に過ぎないとは思いつつも)。ベースが前に出るので勢いのある感じにはなるんだけど、もこもこぶんぶんという音感。残念ながらやっぱり付属品という感じ。そんなこと言ってもお弁当の割り箸に文句を言うようなものだとは思うけど。
いっぽうB&Oは、バスドラなどの低音がしっかり出ている反面、ベースあたりの音域は控えめなので、音空間がすっきりした印象になるし、高音域の再現度が高いので、緻密な描写になる。ベースが弱いのでロックとかには不向きという人が多いし、一方でヒップホップとかだと曲によってビートが強すぎるときもあるけれど、僕はこれに馴れているのでこちらの方が好み(付属品は付属品で満足して聴いてらっしゃる方もいるので、好みの問題ですよね)。
そんなことより何より、白いイヤフォン(付属品)は、僕にとってはハウジング(外径)が大きすぎるのだ。そのせいで、一時間も聴いていると耳が痛くなってくる。電車の中とかでiPodユーザーのみなさんが何気にこれを使ってらっしゃるのを目撃しますが、痛くないですか皆さん?僕は痛いです。A8と比較すると1、2mmの違いなんだけど、A8はジャスト。ぜんぜん痛くない。やっぱりアメリカ人の雑な耳のサイズに合わせてあるんだろうか(白いイヤフォンが痛くない、という人ごめんなさい)。
そんなわけで、A8を再購入決定。実はA8くん、これで三代目である。初代は、9.11の次の日に関空を発った思い出の香港旅行で、日本円で9,000円くらいだったので「やっすう」と思って購入。何年か前、郷里の浜松のバスの中で紛失。二代目は、まだ大阪・梅田(中ノ島)のリーガロイヤルの中にお店があったときにそこで購入。Tシャツとジーンズでリーガロイヤルの中を闊歩して少し恥ずかしかったのを覚えている。そのときは14,000円程度。少しずつ値段が上がっている。三代目くんとは、長いお付き合いになるといいなあ。
それにしても、これじゃなくっちゃあ、という愛機がある、こだわるタイプの人間というのは困ったものだ。
A8がこわれたと分かった時、正直、もう少し廉価のオーディオ・テクニカ(デザイン・コンセプト的にはA8にとてもよく似た製品を、ある範囲の価格帯で数種類出している)のものにしようかとも思ったけれど、「ひょっとして、音質が納得いかなかったら…そこそこいいかもしれないけど、満足できなかったら…。もし音質がA8を上回っていたとしても、デザインを好きになれるだろうか…耳かけのアーム部分の強度は大丈夫なのだろうか…」などという思いがぐだぐだと頭の中を駆け巡ってしまい、決断することができなかった。要は、100%(大阪弁で言うところの「100パー」)A8に満足しているのだ。そして僕は変化を求めてはいないのだ。そしてそれより大事なことは、僕は質の低い経験を求めてはいないのだ。
いったんこんなふうに、自分の中で「気に入らないものを避けよう」という意識が働くと、いちいち日常の行動が不便である。例えば、スーパーのコーヒー豆が買えない。チェーン系居酒屋にいけない。べ○トンやコ○サで買い物ができない。ガ○ト(ファミレス)にいけない、などなど。いちいち行動に(たぶんに資本主義的・権威主義的な)こだわりがあるのだ。
といっても、全てのロウブロウなものがダメなわけではない。ユニクロや無印良品の下着や靴下は買うし、時々他の衣料も買う。マクドナルドのチーズバーガーや日清のカップヌードルも食べる。学食や駅の立ち食い蕎麦屋にも入る。
何が違うのかというと、付け焼刃の心理学の用語を使うならば、認知の枠組みの問題なのだろう(ここからくだくだしいし理屈っぽいので読みたくない人は読まない方がいいです)。
つまりユニクロや無印は、僕の中の「リーズナブルな価格の、シンプルな衣料のチェーン店」という枠組み(スキーマ)において、デフォールト値として設定されているものなのだ。この二者に関して言えば、商品にコンセプトというかフィロソフィがあるし、コスト・パフォーマンスも優れているし、その意味において、前述した認知の枠組みを僕自身が積極的に適用する限りにおいて、行動に影響をもたらさないのである。
チーズバーガーやカップヌードルもしかり、学食や立ち食い蕎麦屋もしかり。これらの店はそれぞれ「ファーストフード」「低価格の食堂」というカテゴリにおいて、僕のデフォールト値に設定されているものだ。だから、このカテゴリを今から採用しますよ、という心構えが僕の側にある限り、問題ではない。そこでは僕の期待×価値モデルに見合った結果が概ね得られるからである。
問題は、僕の認知的カテゴリないしスキーマを攪乱し、期待×価値を混乱させる諸々のもの、および期待×価値に見合わないアンダーアチーバーたちである。カップヌードルなのに本物のラーメンらしくしようとしてみたりとか、おしゃれな居酒屋ふうなのに料理が高い、少ない、まずい、とか。その手のものはたいてい期待した結果をもたらしてくれない。そういうものにかかずらって人生の貴重な時間を無駄にしたくない。そんなわけで退ける、足を運ばない店がたくさん出てくるわけだ。
…といいつつ、毎日の消費行動に呻吟懊悩しつつ暮らしているのである。たまに「何のこだわりもなく、シマムラとかで服を買って、コンビニ弁当を食べて、家ではジャージでテレビを観て、それで満足ならどんなに楽か」と本気で思う。でもそういうわけには行かない。この脅迫観念的な行動様式をなんとかできないものか。
いっぺん、頭かちわった方がいいですね。
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この数日間の動向。
金曜日は一日中、秋晴れの気持ちいい一日が少しずつ過ぎ行くのを12階の窓から眺めつつ、わき目もふらず(矛盾した表現)論文仕事をしていた。奥さんが「ロンドン塔に幽閉された王子じゃないんだから、たまには外に出ないと身体に悪いわよ」というので、夕方4時半ごろ、ちょっと論文が一段落した隙に外に出かける。
しかし時すでに遅し。もう日は大分翳っていて、僕専用自転車「朝びらき丸(別名こぶりちゃん)」でいくら走っても国道沿いの高いマンションの影から抜け出せない。「汝光のあるうち光のうちを歩め」とはこのことか(違いますよ、念のため)。
仕方ないので、先日ラジオで聞いて以来気になっているビートルズの『ラヴ』("Sun King"のテープ逆回しを使った曲"Gnik Nus"が日本語表記だと「グンキ・ンサ」になってるのはしゃれが効いていて面白いですね。ふつうに読むと「グニック・ナス」だけど)を買いに行く。家からだと京都LOFTのHMVの方が、PARCOのTOWER RECORDSよりちょこっとだけ(ほんとにちょこっとだけど)近いのでそちらに。
試聴コーナーに行って驚いた。U2も、キング・クリムゾンも、オアシスも、ジャミロクワイもみんなベスト盤を出しているとは知らなかった。何か清算の時期に来ているのだろうか。オアシスとU2は以前もあったんじゃないかと思うしあんまり興味ないけど、ジャミロクワイは買ってもいいかもなあ、iPodで聴くともなしに聴くのにいいし(『スペース・カウボーイ』と『キャンド・ヒート』からは一曲ずつしか入ってないんですね)。
けれどもお小遣いは限られているので、『ラヴ』のみ、それも通常盤を買う。以来気に入って毎日聴いている。『イエロー・サブマリン・サウンドトラック』の時よりもリミックスの音感が好みだなあ。ピーター・コビンのもよかったけど、ちょっとハイファイ過ぎたかな。こっちのマーティン親子のテイストの方が、ちょっとベース・バスドラ出過ぎの曲もあるけど、ロック感というかボリューム感がある。それよりなにより、マッシュ・アップが面白い。「レディ・マドンナ」に「ヘイ・ブルドッグ」のピアノ・リフとか、そうきたかって感じで思わず興奮する。それから、『イエロー…』の時も(渋谷陽一さんか松村雄策さんが)言われてたけど、リンゴが基本的にはファンキーなドラマーだというのがよく分かる。初期の曲はたどたどしいけど、それはチャーリー・ワッツもいっしょだし。
ついでにLOFTをぶらぶらしていたら、家具売り場で「e.m.o.」というところのフォールディング・テーブルを見つける。いわゆる北欧風で、リヴィングのコンセプトにも合うし、サイズ的にもいい感じ。そのうえ安い。うちにはソファー前にテーブルがないのでずっと探していた。奥さんに写メール、同意を得て購入する。
いやあ、よかった。ソファー前のテーブル、転居以来ずっと欲しかったけど、置きっぱなしだと部屋が狭く感じるし、折りたたみではいいデザインのがないしってことで、夫婦して買いあぐねていたのだった。そのせいで、これまでは奥さんの友達なんかが来たときにもくつろいでもらう場所がなくて、申し訳なかったんだけど、これでようやく安心。これは日曜日から導入。食後のフルーツやお茶なんかに最適です。ホット・カーペットでお鍋もできます(>関係者諸氏)。
明けて土曜日は大阪某所で講義。起きた時から一日肩が凝っているという辛い一日だった。まだ少し風邪気味だったのかも。しかしそんなことは気にせず、仕事終わりに奥さんと四条烏丸で待ち合わせ。書店で『ラヴ』の特集がある「レコード・コレクターズ」と、映画特集の「BRUTUS」を買った後、食事へ。ところが、錦魚亭というお気に入りの京風おばんざいとお魚の店(魚力さんという錦市場の魚屋さんの経営)に行ってごはん、と思っていたが、行楽シーズンの週末ということで満席。そりゃそうだ。予約しない僕がバカでした。仕方ないので家の近くの別の店へ。特筆すべきことのないお店でした。次回リベンジを誓う。
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今日は奥さんの高校時代からの御学友の結婚式。朝から奥さんは美容院→着付けと大忙し。僕もお手伝いでスターバックスにお昼代わりのスコーンなど買出しに行く。朝のうちは天気がもっていたのだが、着物を着付けてもらった後で小雨が降り出した。せっかくの結婚式なのにお気の毒だと思う反面、自分の時も春雨の一日だったけれど、そのことで特に悔しい思いをしたわけでもないので、まあ、大丈夫かな。
今日ご結婚されるお友達は、なんと高校時代から10年以上の付き合いを経て結婚されるそう。うちでも6年目に結婚したけれど、二桁というのは凄い。こうなるとひとつの偉業だと思う。
奥さんは12時過ぎに、いっしょに式に参加する別の高校時代の友人を迎えに、京都駅へ向かった。送り出してから、朝からベランダに干していた洗濯物を取り込み、乾燥機に放り込む。自動設定で動かしたら「100分」とかいう数字が出て面食らう。うちの洗濯乾燥機は某N社の省エネ・低騒音モデルで、乾燥もとってもジェントルにしてくれる。そのおかげで時間がかかるみたいだ。
独り自宅にいると、霧雨のせいか凄く静かだ。今日は家の前の国道の交通量も少ないのだろうか。霧雨が音を吸い取っているのだろうか。乾燥機の低い唸りだけが聞こえてくる。それにあわせて、頭の中でさっきラジオで聴いたニュー・ヴァージョンの『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』(なかなかいいリミックスですね)が流れている。
思えば、ポールもリンゴももう還暦を過ぎているわけで、よくやるなあ。人の人生というのは、思ったより多くのフェーズがあって、たくさんのことが出来るんだなあ。そう思うと励まされる。今読んでいる『ひとつ村上さんでやってみるか』の中で村上春樹が、ストーンズが還暦過ぎてまでやっているとは思わなかった、と書いていたが、ポールもリンゴも、ストーンズも、そして村上春樹(うちの父親とひとつ違い)も、みんな還暦前後なわけで、彼らはみな、一塊の業績を残した後で、まだ充分に元気そうだ(若死にしたジョンとブライアンはしょうがないとして、ジョージはもう死んでしまったけれど)。僕も、というのはかなり気が早いが、彼らくらいの生産性のある生き方がしたいものだ。
この2、3日の動向。
水曜日の夜と木曜日にかけて、奥さんの手作りの芋ごはんを食べた。例の、徳島で仕入れてきた「高系14号」なる特急電車みたいな名前のサツマイモを使ったらしい。とても柔らかくて香りが高く、甘い。水曜の夜はこれにおかずがカレイの煮付け、壬生菜とお揚げさんの煮びたし。木曜日は鰤大根(共食いである)。お母さんがどこかで安くで見つけてきたブリのアラを、T-FALのソースパンで奥さんが二日かけて煮込んだ。これはちょっとプロ並みの出来だった。実家の方からも「美味しかった」とメールが来るくらい。
木曜の滋賀県の某大学での授業は、個人的にはまあまあ、成功。後期の授業も半分くらい過ぎて、いつも来ている顔ぶれがだんだん分かってきた。そうすると、その常連さんを目がけて授業をすればいいので、それでずいぶん進行が楽になる。逆に学期の初め、教壇に立って虚空を見つめるのは落ち着かないものだ。まだ学生も「このセンセイはどんな人だろう」と思っているので、リアクションが薄い。だんだん慣れてくると、誰かリアクションのいい学生が分かってくるので、その学生を相手に話しているつもりで話せば良い。最近は前の方によく笑ってくれる女子学生がいるので、とても気楽だ。
加えて、この木曜日の講義は、「英米映画における日本人の表象」というものを扱ったので、学生にもとっつきやすかったのではないかと思う。DVDの編集もきちんと生かせたし。
木曜日は移動中iPodでずっとオアシスの『真実を信じてはいけない』とU2の『核爆弾の分解方法』(なんていうナイーヴなタイトルかしら)を久しぶりに聴いていく。そしたら、ここのところ何だか元気がなかったのだが、妙に元気が出た。オアシスもU2も、思えば10年来の付き合いで、その彼らの最近のがんばりに触れたのがよかったのかもしれない。
前者は、ひところのプログレ的ギターソロもなければ、ちょっとスウィングしたブレイクビーツ的リズムもなく、カッティングギターと四拍子のどすどすと前進するリズムで押していくアルバムだけど、乾いた感じが大人っぽくていいと思う。ガレージっぽい、というか。以前ブログのタイトルに引用した曲は『水戸黄門』みたいだけど。
逆に後者は、買った当時は「なんだかなあ」という感じだったのが(U2にしてもR.E.M.にしても、付き合いが長いと「なんだかなあ」と思ってもそれで嫌いになることはなく、そのまま聴いてしまうけれど)、遅まきながらグラミーを取ったというので、最近聴きなおしている。マルーン5といい、こういう「均整の取れたバンド・サウンド」ってグラミー受けがいいのかなあ。でも、「種の起源」とか「眩しい灯の都市」はいい曲ですね。ギターのメロディがとってもセンチメンタルで。
金曜日は一日家にいて論文仕事。大きな山をひとつ越えて、新しいチャプターに入ったところなのでなかなか捗らない。奥さんは仕事の後、イタリアンのお料理教室(京阪三条の駅前の某レストランのシェフが講師)。そのシェフが載っている「SAVVY」を買って帰って、ホットカーペットの上で嬉しそうに読んでいた。
夜は二人で『エターナル・サンシャイン』を観る。以前から気になっていたけれど、観るチャンスがなかったので、一念発起してツタヤで借りてきた。大感動作というわけではないけれど、結構気に入る。
監督がMTV出身のミッシェル・ゴンドリー(ストーンズの「ライク・ア・ローリング・ストーン」のドラッギーなPVを手がけた人ですね)、脚本がチャーリー・カウフマン(同じくMTV出身のスパイク・ジョンズと組んだりして変な作品を作っている鬼才)、音楽がジョン・ブライオン(フィオナ・アップルやブラッド・メルドーをプロデュース)というお気に入りのスタッフぞろいなので、テイストが受け容れやすいのかもしれない。今までいろんな映画を観たけれど、感覚として、「ベッドの中で見る夢」にいちばん近い映像を見せてもらった気がする(『ウェイキング・ライフ』もいいけど)。そういう意味でパーソナルな感覚を抱くことができる作品だった。
でも(いちいち改行して書くけれど)、キルステン・ダンストは要らない。この人にぜんっぜん魅力を感じないので、下着姿とかまず要らない。どうしてこの人はこんなに映画に出るんだろう。ニコラス・ケイジと別の意味で不思議。『スパイダーマン』のウェディング・ドレスで駆け出す場面なんか冗談かと思ったよ。
閑話休題。土曜日は大学ではないガッコウでの仕事。寒くなったのでマフラーを押入れから出してくる。この日の移動中はブラッド・メルドーのヴィレッジ・ヴァンガード(本屋ではない)でのライヴ盤をエンドレスで聴きながら『ひとつ村上さんでやってみるか』を読んでいく。ライヴ盤ってあまり聴かないのだが(このアルバムではジャズらしくピアノがステレオの左、ドラムが右に振ってあったりもするので余計にヘッドフォンで聴く気がしない)、たまに聴くと会場の拍手とか叫び声があって温かい気持ちになれる。
ブラッド・メルドーは、レディオヘッドのカヴァーから入ったのだが(神戸三宮のスターバックスで、「エクジット・ミュージック」のカヴァーがかかっていて、思わずバイトの女の子に「これは誰のカヴァーですか」と聞いた)、知的かつ冷静なわりに疾走するクリスプなインプロヴィゼーションが気に入っている。ドラマーはアルバムによっては「どうだろう」と思うところもあるけれど、このアルバムでは気合の入ったところを見せている。ベーシストは、いつもながら目立とうとしない寡黙なお人だ。メルドーは『ハウス・オン・ヒル』もまだ買っていないので買っておこう。
土曜の夜は豚汁、タコとカニの酢の物、ほうれん草のおひたし、村上重の柴漬け、さつま揚げ。『宮廷女官 チャングムの誓い』は最終回。なんだかあっけない終わり方だった。長らく家族ぐるみで観ている番組が終わったので少し気が抜ける。
明けて日曜日。奥さんを迎えに行くまで論文の仕事。
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あけて今日は月曜日。6時半に起きて大阪の某大学にて午前中講義。
お昼に梅田に帰ってきて、簡単に昼食の後、どうせ読みたくなるに決まっていたので紀伊国屋書店でカポーティの『冷血』を買う。そこからNU茶屋町のタワーレコードに移動して、件の村上トリビュートアルバムを購入。まだ聴いていないけど、どんなんだろうか。村上春樹の作風とマッチしているのだろうか。非常に楽しみ。どっちにしても、家でかけられるCDであればいいなと思う。自分の好きな音楽は、家で落ち着いて聴けるようなものではないので。あわせて、690円だったので『ガープの世界』(もっとも好きな映画のひとつ。どうでもいいけど、『フォレスト・ガンプ』ってこれのぱくりだよな)のDVDを購入。大好きな映画がこの値段で観られるのは嬉しい限りだが、安売りされていると思うと複雑な気分。
そこから京都に戻ってきて、京都シネマにて『カポーティ』鑑賞。開場から15分ほど間があったので、暗くなるまで『冷血』を読む。世紀の文豪の代表作を、こんなこというのもなんだけど、文章はクリスプで的確で詩情があって上手だ。訳もうまい。非常に惹かれるものがあるんだけど結構大部だし、今は論文で忙しいので、ちょこちょこ読んでいくしかないか。まだフランス旅行の帰りにCDGで買ったオースター(これもいつものオースター節全開で面白いですよ)も読み終わってないのに、どうするか。
映画はすごい。引き込まれる。これはいやはや、大した作品だ。なんだか打ちのめされて、早く奥さんに会いたくなり、その旨メールする。ここでもフィクションとノンフィクションの境界について考える。
帰ってきて、部屋干しの洗濯物を乾燥機にかけつつ、これを書いています。
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