帰還
気がつけば、いや自分でもわかっていたんだけれど、約二ヶ月間このブログを放置していました。
その理由はというと、何せ忙しかったのです。
誇張ではなく、この3ヶ月間というもの、寝ている時間(たぶん、一般人の平均より睡眠時間は長いけれど)以外は常に何か「仕事」をしている、という状態で、これは僕みたいな、もとがマイペースかつ牧歌的な人間には、とってもきついことでした。
僕は、できれば毎日笛を吹いたり羊と遊んだり、歌を歌ったり釣りをしたりして過ごしたい、そしてできればきれいな夕焼け雲や砂浜の貝殻や木々の梢の葉のかたちを、まるで初めてこの世界で出会った美のように、はっという驚きをもって愛でつつ暮らしていきたい、という「走れメロス」かムーミン谷のスナフキンみたいな人間なのです。
それがこの3ヶ月というもの、人が違ったように働いています。いやはやまったく、とんでもないことだ。「若い頃に無駄に過ごした時間が、人生で唯一の自由であるかもしれない」という名言がありますが、何となくこの言葉の重みが理解できる今日この頃です。
しかしこれから先、直ちにこのワーカホリックなスタイルを改善できそうな見込みもないので、これと折り合いをつけていかなければならないんだろう。ひとかどの人間になりたい、とは思わなくても、せめて人並みでいたい、と思ったら引き受けなくてはならないことなんだろう。
…などと繰言を言っても仕方ないので話題を変えて。
この忙しさの中で、父親になりました。
6月7日、晴れ渡る五月晴れ(6月だけど)の日に、娘を授かりました。
これは、当然のことながら、僕の人生観というか世界観にとって大きな衝撃で、彼女の存在は、その誕生の直後から、我が目で眺める世界の意味合いを完全に変えてしまいました。
この、まずまずありきたりな人間に起こったまずまずありきたりな事件が、これもまたありきたりな感じで当事者に及ぼすインパクトというものが、ありきたりであるがゆえにそれだけいっそうものすごすぎて、それがしばらく日記に向かえなかった理由でもあります。
このありきたりな衝撃をどう伝えればいいのか、うまく表す言葉がないのですが、それでもよく覚えていることを書いておきたいと思います(きっとそれもありきたりな文章になるだろうけど)。
6月7日、朝方に娘が生まれて、僕と奥さんは産院の個室に帰ってきて、まだ娘は新生児室にいるので、仮眠をとろうとしていたときのことでした。
この日の空は、先ほども書いたように清々しく晴れていて、部屋の窓からは故郷の田んぼの青々とした苗が一面に広がり、それが風に波打つのが見えました。窓を網戸にすると、その田んぼの上を吹き渡った風は、僕らのいる部屋の中にも入ってきました。
そこで僕は部屋のソファー・ベッドに寝っ転がって、エアコンなんかつけずに、このなじみのある、故郷の町の春の風に吹かれながら、仮眠を取ろうと思いました。
そのとき、その風が、においや湿度までよく知っているはずの風が、今までとは全く違ったように感じ、僕はびっくりしました。
これまで、僕と奥さんは、春秋の気候のいい時期には、よく連れ立って公園にピクニックに出かけてきました。そこでこの日のような春の風を感じると、なぜかしら懐かしく感じたものです。つまり春や秋の好天は、自分史の中の、そしてたぶん幼い頃の、同じような好き日の記憶を思い起こさせる「よすが」というか、ノスタルジーをかき立てる記念品のような機能を担ってきたのだと思います。そしてそのノスタルジーには、もう遠い日に帰ることはできないんだ、という諦念がつねにない交ぜになってもいました。
それがこの日の風の感じ方は、全く違っていました。今までのように郷愁の念を誘うものではなく、今この瞬間のための全く新しいもの、まだこの風についてよく知らない、生まれたばかりの娘の、今この日のために吹いているんだなあ、というように感じられたのです。
この感覚の違いは圧倒的で、単純な都並をある意味うちのめしました。
「ああ、これから毎日見聞きする全てが、すでに素性を知り尽くした陳腐なものであるにもかかわらず、まったく新しい感覚を伴ってやってくるんだ。…なんてことだ、あの退屈で垢抜けないショッピング・モールさえ、新鮮味をもって見られるに違いない」
この感覚に含まれていたのは、ある意味畏怖とでもいうべき感覚でした。
ブログを更新しないうちに僕自身はまたひとつ歳をとり、村上春樹の短編で「人生の折り返し地点」と言われる35歳になったわけですが、35年間かけてやってきたことを、またいちからはじめるルーキーが誕生して、なんだか巨大な運動場のトラックを一周して戻ってきたような気持ちになりました。一周してきたところで、その新しいランナーと併走することになったわけです。
この新しいランナー、まだ足取りも覚束ないのですが、この選手と併走していくのが取り急ぎ僕の使命なんだなあ、とそんなふうに感じた、6月の朝でした。
以上、まずまずありきたりな人間に起こったまずまずありきたりな事件がもたらした、まずまずありきたりな衝撃について書いてみました。まあしょうがないよ。ありきたりなところから非凡な結果が出てくるわけがないよ。
追記:娘のブログ・ネームですが、僕が鰤彦、奥さんが鰆、なので、悩んだのですが(魚偏の名前は世田谷区の長谷川さんにたくさん使われていることもあり)、「めろちゃん」にします。別名銀むつ、西京焼にするとおいしい魚です。



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