渋谷に2時、映画館が満席で

Fl000019 タイトルそのままの記事です。

うれしいクリスマスの三連休。そこで、日ごろからそんなにきっちりと畳み込んでもいない羽をぐんぐんと伸ばす。休むのと遊ぶのは都並の得意分野である。

まず土曜日は、渋谷まで映画を観に出かけた。お目当ての作品は『バレエ・リュス ~踊る歓び、生きる歓び』。渋谷シネマライズXにて上映中である。

以前の記事でも書いたとおり、かつて都並は、縁あって兵庫県立芸術文化センターに所蔵の「薄井憲二バレエ・コレクション」の関係の仕事をしたことがあった。そのときの仕事はというと、同コレクションの専属キュレーターで舞踊研究家の女史のアシスタントだったのだが、その際に同女史は僕に「バレエ・リュス」の何たるかについて惜しみないレクチャーを授けてくれて(それも同女史のバレエ・リュスへの愛ゆえであったと今ではよくわかる)、それ以来、僕個人としても、芸術史に燦然と輝く芸術家たちが奇跡のコラボレーションを行ったこの類まれなるカンパニーに興味を持ち続けてきた。

それが、マイケル・ムーア以降、といっていいのだろうか、昨今のドキュメンタリー・ブームで(これは、教える側としては歓迎すべき傾向だと思っている。良質のドキュメンタリーのDVDは、講義のための材料としては最適だからだ)映画化されたという。これは観に行かなければならない(もっとも、都並がはじめてこの映画の存在を知ったのは、奥さんの買い物に付き合って出かけた、「ドレステリア」の店内のポスターだった)。

ということで、渋谷で2時の回に間に合うためには家の前の駅を12時に出なければいけない、という悲しいスケジュールだったが、いそいそと支度して出かけた。

またこの日は、帰省中の奥さんが帰ってくる日でもあり、ついでに彼女を東京駅まで迎えに行くことにした。

しかしお目当ての渋谷シネマライズXは(なんだか子供向けTV番組のヒーローみたいな名前だ)こちらの予想に反して混んでいて、着いた時には2時の回は満席売り切れだった。いや、正確に言うと、券売の窓口で目の前で最後の一枚が売り切れてしまったのだった。この映画館、もとより38席しかないミニミニシアターなのだが、まさかバレエの映画が売り切れるとは思わなかったので困ってしまった。

しかしよく考えれば、バレエのファンはもとより、実演家の方が東京には日本でいちばん多くいらっしゃるわけだから、このような事態は予測してしかるべきだったのだ。

しかたがないので都並は、気持ちの上では半分拗ねながら、童謡の中の黒ヤギさんみたいに実直に奥さんにメールを書いて、「二時間後の回見させて」とお願いをした。するとちょうど奥さんはそのとき新幹線に乗る前だったので快諾してくれた。持つべきものは理解のある奥さんである。

そんなわけで、二時間ほど渋谷で時間をつぶす必要が生じたのだが、しかしまあ、渋谷というところは、暇をつぶすのには最適の場所ではある。ペトロパブロフスクカムチャッキーで二週間後の船を待つ、というのとはわけが違う(あたりまえですね)。東急ハンズもあり、ロフトもあり(都並はこういうお店が大好きである)、スターバックスもあり、HMVもあり、おまけにパルコの地下にはなかなか大きな、美術系の充実した書店もある。 

これらの店で雑誌やら村上春樹の新刊やら入浴剤(このクリスマスの休暇に毎日日替わりで違う湯に入ってやろうという安易な考えに基づく)やらつまらないものを買いまわっているうちにあっという間に二時間が過ぎた。

ようやくシネマライズXへ。ここは恥ずかしながら初めて来たのだが、なかなかに面白いハコである。38席しかないのに二階席があり、二階は少し見下ろすかたち、相対的に一階はやや見上げるかたちになる。多くの常連とおぼしきお客さんたちは二階席に行ったのだが、都並は一階が好みなので一階席の真ん中に陣取った。

もっと興味深かったのは、壁のサインである。京都のパン屋「プチ・メック」にも同じ趣向があるが、コンクリートの壁を埋め尽くすように、ここを訪れた著名人(プチ・メックは無名人だけど)のメッセージとサインが書き込まれているのである。

この中から読み取れるのを拾ってみただけでも、ペドロ・アルモドバル、エミール・クストリッツァ、ガスパー・ノエ、ハーモニー・コリンといった錚々たる名が並んでいる。こういう人たちが来る場所にいるんだなあ、と思うと、僕みたいな田舎ものは感激してしまう。

映画を観終わって(内容については別記事で)7時前。そのまま東京駅に向かう。7時半にグランスタで奥さんと合流、その足でまたもやTOKIAビルの「きじ」へ。

Vfsh0089 「きじ」では、前回来たときに食べておいしかった「ごちゃ焼き」(シーフードときのこのバター炒めと焼き海苔)と焼きそば、それから初挑戦の「ポテトコーン」を頼む。「ポテトコーン」は「ソースと塩どちらになさいますか」と聞かれたので、「塩味のお好み焼きなんて面白そう」と塩味にしてみる。

この塩味のポテトコーンは、なかなか風変わりでおいしかった。生地のおいしくないお店で塩味のお好み焼きなんて食べても成立しないと思うが、ここのはちゃんと成立していた。今回みたいに三品頼んだときは、一品味の変わったものを頼む、という意味でもありだと思う。興味のある人はぜひ。

食事を終わって、奥さんとクリスマスシーズンのイルミネーションが設置されている仲通へ向かってみる。しかしあいにくの雨。とても寒かったので、愛機のロモでちゃちゃっと写真を撮って退散する。

そのほか、丸ビル、新丸ビルのイルミネーションなども見て、帰宅。

ところが帰りの電車が人身事故で一時間以上遅れたのだった。おかげで帰り着いたのは午前様だった。やれやれ。

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書評:『マジック・フォー・ビギナーズ』

仕事柄、本はよく読む。けれども研究関係の文献ばかりで、文学部に勤めているにもかかわらず、好きな小説などはほとんど読む時間がない。せいぜい盆暮れにまとまった休みが取れたときに、「さあ、読みたかった本を読むぞ」というくらいのことしかできない。

しかしこれはさすがに本末転倒でもあるし、精神的にも鬱憤が溜まるので、時間を見つけては好きな本を読むことにした。「さ、ここから何かを得るぞ」という意気込みなしに(この意気込みが精神的疲弊のもとである)、純粋な愉しみとして小説を読む、そういう時間をとることにしたのである。

その一環として購入したのがケリー・リンクの短篇集『マジック・フォー・ビギナーズ』。愛読する村上春樹とともに、英米文学の日本への紹介者として第一線で活躍している柴田元幸氏の訳である。新聞の書評でこのタイトルを見つけて、かなり好意的に書かれていたので購入を決めた。

これが、実に面白い。

といっても読者を選ぶだろうが、村上・柴田両氏の手がける翻訳もの、たとえばポール・オースターとかスチュアート・ダイベックとかティム・オブライエンとかに一定の評価をしている文学ファンなら文句なしに面白いと思う。

内容はというと、柴田氏もあとがきで観察しているように、昨今のアメリカ文学の潮流を反映して、幻想(ファンタジー)と現実をうまい具合に接合した、独特の物語になっている。

たとえばある物語では、主人公はカナダの国境近くにあるコンビニの店員だ。

彼は夜間シフト専門で、昼間はトルコ人の相棒が店番をしている。

このトルコ人の相棒に毎日トルコ語を習いに来るチャーリーという女の子がいる。

この女の子に主人公は気があるのだが、チャーリーの仕事はというと、保健所(のような施設)で末期を迎える捨て犬・野良犬を彼女の車に乗せ、最後の散歩をさせてやることである。

トルコ人の相棒は相棒で、もう家に帰ることもなく、毎日コンビニの倉庫に寝泊りしている。彼は膨大な数のパジャマのコレクションを持っており、口癖のように「小売の革命」を主張し、店の商品を「噛み応え」といった奇妙な基準で並べ替えるのを趣味にしている。

彼のいう「革命」とは、もはや客からお金を取らないということである。

そればかりか彼はゾンビをも相手にして商売をしようとしているのだ。

このコンビニはカナダとの国境にも程近いが、同じくらい近くに「聞こ見ゆる深淵」と呼ばれる暗部が口を開いていて、その暗部から毎日ゾンビが店を訪ねてくるのだ。彼らは無害だが終始意味不明な言葉を口走り、無意味な買い物をつづける。

こんなコンビニを営業本部はもう見放しており、誰も代わりの人間をよこさない。孤立した環境の中で、主人公のチャーリーへの気持ちが少しずつ変化する…。

と、まあ、こんな具合である。こんなふうにさらっと、コンビニというごく現代的な、現代の消費文化を退廃的に象徴したような場所を舞台に、本来ホラー映画の登場人物であるゾンビをユーモアたっぷりに絡ませて、さらには異性愛のプロットも仕組みつつ、「深淵」なる抽象的な装置をも用意して、哲学的な香りも漂わせる、というこのセンスのよさには脱帽させられる。

こんなふうにどの短篇も(ひとつ失敗しているのもあるけれど)あまりに面白いので、まだまだ読みかけなのだが、思わず書評を書いてしまった。

これから年末年始、僕のように読書をしようと思っている英米文学ファンにお勧めの一冊である。

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シチュー日和

ほんとにただの日記です。

この土日は気温がすごく下がった。ついおとといまで30度を越していたわが町が、いきなりの20度切り。日中半袖ではもう寒く、秋の装いである。

そういえばこの間滞在していたNYもTVの天気予報で「季節外れの涼しさ」「秋の雰囲気」というくらいに涼しくて、ちょうど今くらいの温度だった。たかをくくって厚めの上着を持っていかなかったので、慌ててアバクロ(Abercrombie & Fitch)でスウェット・パーカーを購入。それが非常に重宝したのであった。

そんなわけで土曜日は、どのみちまた少し気温は盛り返すのだろうけど、これからの季節の仕事着を調達にでかけた。春先にもジャケットを買い足したのだけど、もう一着ほしいと思っていたのである。例によって(ひとより腕が短いので袖を詰めずに済むものを)色々探し回った結果、今までのお買い物人生において足を踏み入れたことすらないタケオキクチさんで買い物をした。

買ったのはいわゆるジャケブル(ジャケット+ブルゾン)というシロモノ。なんだか今流行っているのかちょっと前に流行が終わったのかしらないが、ぱっと見にはジャケットだけど、ラペルをめくるとチンストラップがあったり、背中にアクション・プリーツがあったりする、ちょっと小技の効いたジャケットというようなものである。一風変わったものが好きな都並はどうしてもこういうものに目がいってしまう。

まずまず納得の買い物をしてほくほくしつつ、帰りに大型ショッピングモールによって今日の食材を購入。今晩の夕食はその食材をもとにした奥さんお手製のクラム・チャウダーである。涼しくなってきたので、いよいよ今年もル・クルーゼの鍋の登板シーズンが始まった。その開幕を記念してのチャウダーである。

しかも、いつも買っている「コスモ直火焼・銀のクリームシチュー・ルー」が売っていなかったので、「ならホワイトソースから作るわ」と奥さんが手間隙をかけている。なんと素晴らしい秋の宵であろうか。

素晴らしいといえば、雨の富士スピードウェイ、大混戦の中でのルイス・ハミルトンの走りは素晴らしかったですね。最初10何周セーフティ・カーが入って、どうなることかと思いましたけど、ふたをあけて見れば面白いレースでした。多数のピットストップで計算狂いまくりのはずのフェラーリがあんなにも善戦したのもエキサイティングでした。

うーん、全く内容がないなあ。高度資本主義社会のコモディティ・フェティシズムにまみれて秋の夜は更けゆく。

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ダーウィン賞

昨年映画化されていたんですね。本邦公開は正月とか。

ダーウィン賞とは、手短に言うと、考えられないくらいバカな方法で死んだ人たちを表彰する、という賞です。じゃあどんな死に方かというと、僕が今思い出せる範囲でいうと、銅線を盗むために通電中の電線をのこぎりで切断しようとして感電死した人とか、毒蛇にかまれたのにえらそうに「かまれちまったぜ」といいながらバーで飲んでいてそのまま死んだ人とか、映画の予告編にもあるけど「このガラスは強化ガラスでぜったい割れません」といいながら、ビルの高層階でそれを実証しようとして体当たりをし、墜落死した人とかです。

じゃあ彼らを何で表彰するかというと、「子孫を残さないことによって、この世界の遺伝子プールからバカ遺伝子を取り除き、結果的に種としての人類の“進化”(だから“ダーウィン”賞)に貢献した」という理由からなのですが、基本的に腹黒い都並はこの手のものが大好きです。

そんなわけで、邦訳が出版されたときにはその悪趣味さというかブラック・ユーモアに心をわしづかみにされて、即時買い求めて読んだものですが、でも映画化というのはどうかな。

オフィシャルサイトでの予告編映像を見る限り、ジョセフ・ファインズ演じる保険調査員がダーウィン賞候補者の死への衝動に惹かれていく、というストーリー部分と、元ネタの本に記載されているおばかな死亡事故の再現映像部分とがミックスされているみたいですが、こういう発想って、経験的にストーリーがうまく機能しないことが多いような…。

予想通り、あちらですでに見た方も「映画としてはB級」と書いているし。

でも、見に行くでしょうねえ。

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坊やだからさ(Because he was a spoiled brat)。

こんな本を見つけてしまいました。

『ガンダムで英語を身につける本 ―あの名セリフは英語だとこうなる!』

というか、正確には奥さんが見つけてくれたのです。昨日久しぶりに奥さんと書店で待ち合わせしたら、会うなり開口一番「ねえねえ、面白いもの見つけたよ」と嬉々として手をひっぱっていってくれたので、いったいなんだとおもったらこれだったのでした。

すげえ、すげえよ、この本。

そう、皆さんのお察しの通り、『機動戦士ガンダム』(いわゆるファースト・ガンダム)の各話エピソードや名セリフで英語を学ぶというものです。

ガンダム世代でもあり英語のセンセイでもある僕は即購入。これが買わずにいられましょうか。

帰りの電車でさっそくページを開いてみると、「若さゆえの過ち」とか「カスであると」とか「僕はあなたのすべてが好きなわけではありません」とか、出るわ出るわ、まさに名セリフのオン・パレード(という言い方はかなり手垢がついている気がするが)。ガンダム世代には本当にたまりません。

ついつい電車の中で「これはミハル・ラトキエっていって、スパイで…」とか「そうそう、リュウ・ホセイ。コアファイターで特攻をかけて戦死して、二階級特進するんだよね…」とか、奥さんにレクチャーをしてしまいました。

冷静に英語のセンセイとして少し小うるさいことを言うと、多少意訳しすぎの感もあるんだけど、それでもこれは面白い本です。みなさん、ぜひ一冊いかがでしょう。

しかし冷静に考えると、「今、英語を学びたい」という購買層と、ガンダム世代の重なりってかなり少ない気がする。そういう意味で、ガンダム世代がネタで買う以外では売れていかない気が。

追記:表題のセリフは、意訳がうまい例ですね。坊やを単に「boy」とか「baby」とせずに、「甘やかされたガキ」と訳している。リズムもいいです。

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タイムトラベルはつづく(プロジェクトTNT)

【DAY4:髪を切る、佐世保バーガー、祖父母の家、バースデイ・ストーリーズ】

この日は午前中から、昨年京都で行きつけだったお店で髪を切ってもらう。北関東の地ではまだ安心して任せられるお店を見つけられていないのである。結果、顧客カードを見てわかったのだが、京都に住んでいたときより早い頻度で通っていることになる。おかげでで20%オフであった。これで昼食代が奮発できる。

ここのお店は、僕も良く聴くベン・ハーパーとかジャック・ジョンソンがいつも流れていて、中古のカメラが飾ってあったりして、何かとセンスに共鳴できるところが多く、落ち着いて通える。お店のスタッフさんもみんな楽しくていい人で、リラックスできるのもいいところだ。いつも髪を切ってもらうSさんは、バルサのゲームシャツの上にタキシード・ジャケットを着たりする伊達男である。

髪を切ってさっぱりしたら、京都駅に移動。今晩、浜松の祖父母の家で留守番の必要が発生したので、いちばんフリーなポジションにいる僕が買って出ることにしたのだ。

京都駅では昼食を「京都拉麺小路」で採る予定だった。住んでいた時分、後一軒を残すのみで残りのお店は制覇したのだが、引越し直前に新しいお店が入ってしまったので、リベンジを果たすつもりだった。

ところが着いてみると、ゴールデンウィークとあってどの店も長蛇の列である。新幹線の時間があるから、悠長に待ってもいられない。どうしようかと思っていたところ、佐世保バーガーの店「LOGKIT」が目に入った。少し前に同じフロアにオープンしたのだった。

迷うことなくプランを変更し、佐世保バーガーR(レギュラー)を注文。15分ほど待つと焼きあがったのが出てくる。うわさに聞いたとおり大きい。しかし全然完食できる。味は、でも「クアアイナ」の方がおいしいな、と思う。佐世保バーガーはケチャップやらマヨネーズやらがたっぷりで、そっちの味が強いし、ハムも入っているのでパテの純然たる風味が消されている。クアアイナの方がどちらかというと炭火で焼いた肉の味が強調されているように思う。

ともあれ、バーガー好きとしてはいちおう食べておかないといけないな、と思っていたので満足だ。

2時半ごろ、新幹線に乗って浜松へ。ちょうどいい時間にひかりがあった。浜松に4時ごろ着く。

浜松に着いたら、何をするかというと何をするでもない。年老いた祖母が独りきりになってしまうので付き添いをする、というだけのことだ。いつもは、隣に二世帯住宅的に住んでいる叔父の奥さん、つまり叔母が世話をしてくれているのだが、先日実家で御不幸があってそちらに帰省しているので、その間だけの留守番をするのだ。

祖父母は年を取ってきて身体も弱り、物忘れもひどくなったが、まあまあ元気だ。彼女の相手をしつつ、たわいもない話をする。

夜は、早くに祖母が寝てしまうので二階のゲスト用寝室に上がり、村上春樹の『バースデイ・ストーリーズ』を読む。誕生日の日を描いた現代アメリカの短編小説のアンソロジーで、とても面白い。翌日の午前中もこれを読む。

それにしても、祖父母の実家とは不思議な空間だ。いつも帰ってくると懐かしい感覚に襲われる。ある特定の精神状態にいつでも引き戻される空間である。といっても、時間が止まっている、というのではもちろんない。この家を作った主はいなくなってしまった。帰ってくるとお線香を上げるのが挨拶だ。現在は祖母が独りきりなので、あちこち、手が行き届かず老朽化している。バリアフリーに改装して、すっかり様子が変わった部分もある。一家団欒に使っていたリヴィングは、今では祖母の寝室だ。あちこち、年老いた祖母では(もとより面倒くさがりなのだが)掃除仕切れない部分に埃もたまっている。

それでも、ここに住んでいると、昔の自分に出会えるのだ。どこに目をやっても、まだここの住人が全員健康で、にぎやかだった時分の記憶が、家中のあちこちにしみのようにこびりついているような気がする。子供の頃の自分たちが遊んでいる声が、耳には聞こえない周波数でこだましている。その証拠に、古いすりガラスから差し込む五月の陽気は昔と全く変わらない。

そうはいっても、この異空間の中に自分が留まれるわけではないことは分かっている。そんなことは重々承知である。しかし、そのことは承知でありながら、感傷的になるわけではないが、一瞬だけ過去と現在とを融合させることができる。ここに人生の慈悲があるな、と思う。

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グエロ/長いお別れ/かもめ食堂(風邪引き)

風邪を引きました。

たぶん熱はないんだけど、どうにも咳が止まらず、頭がくらくら、身体も少しだるい、というありさまです。どうも、土曜日に職場の同僚の先生が声を完全に枯らした状態でこられていたので、そこからいただいたみたいです。

しかしまあ、この稼業の救いは、そろそろ授業も終わりかけであるところ。といっても、優に3桁、下手すると150は超えているなという数のレポートを平積みにしたままで(後10日ほどで評価しないといけません)、のんびりする余裕は全然ないんだけど、それでも、まだ日も昇らないくらい朝早くから出かける必要はそろそろ無くなってきたのである。

そんなわけでここはひとつ養生しよう。もう少ししたら近所の医院の午後の部の診察が再開されるので、そこに行ってきて薬をもらってきて、それ飲んで良く寝ることにしよう。

ということで今日は、病院にいくまでの間、さしたる話題もないので、最近色々と見たり読んだり聴いたりしたものの感想を書き留めておく(ミクシィのレビューに書こうかとも思ったけど、『かもめ食堂』のDVDのレビューに2000人も書き込みがあるのを見た日には、そこに加わることの意味を考えてしまうよ)。

1)『グエロ』。

ベック、というヒップホップとカントリーとブルーズとフォークをごちゃまぜにした曲を作るアーティストの、ひとつ前のアルバム。新譜はこちら。レンタルに出ているのを2TAYAでたまたま見つけて借りてきた。

この人のは、『オディレイ』『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』は持っていたが、弟が『ミューテーションズ』を買ったのを借りて聴いてみて、「なんか、好きじゃない方行に行ったな」と思ったので、しばらく関心を持っていなかった。

それが今回、なんとなく聴きたくなって借りてきたら、『オディレイ』に近いノリになっていて、とてもよかった。なつかしのブレイク・ビーツとラウド・ギターが全開だった。新譜も買ってみようかと思った。

『オディレイ』に近いのは、それもそのはず、調べてみたら、僕の大好きなイールズなんかとも組んでいるダスト・ブラザーズとふたたびタッグを組んだアルバムということではないか。そういわれてみれば、イールズの『エレクトロ・ショック・ブルーズ』の収録曲にそっくりのビートを使った曲がある。

この人の曲は、使い古したスニーカーやらブーツやらをちまちまと砂漠の中にどこまでも並べていくような、「ぶつ切り」感や「ちまちま」感があって、それが時々うっとうしくなるのだが(たぶん、ビートにしても上物にしてもメロディにしても、小節単位のループが多いからだろう)、それが変に心地よい時がある。今回は、はまった。レンタル待ちのブレイクビーツ、『グエロ』、好盤である。

2)『長いお別れ

この『グエロ』を聴いていたときに読んでいたのがこれ。言わずと知れた、レイモンド・チャンドラーの不朽の名作探偵小説。名探偵(?)フィリップ・マーロウをエリオット・グールドで、先日亡くなったロバート・アルトマンが映画化もしている。

今回は、もうすぐ村上春樹訳が出るというので、その予習のために読んだ。村上春樹は以前、『羊をめぐる冒険』とか『ダンス・ダンス・ダンス』の執筆の際に、「ハードボイルド探偵小説のフォーマットを換骨奪胎して用いた」と何かで語っていたことがあり、また今回の翻訳に当たっては、「『長いお別れ』(=『ロング・グッドバイ』)は、先行して世に出た『グレート・ギャツビー』とともに、小説家としての自分にとって最も重要な作品のひとつ」というようなことを語っていたこともある。

そんなわけで、『長いお別れ』を読めば、村上春樹の小説作法みたいなものがつかめるかなあ、という期待も込めて読んだわけである。

結論から言うと、「ハードボイルド探偵小説のフォーマット」が彼の作品に生かされている、というのはとてもよくわかった。特に、『ダンス…』の「僕」の行動原理にこのフォーマットが生かされているように思う。決して焦らず、何があっても動じず、冷静に行動していく主人公像というのはここから来ているのか、と思う。

が、文体、という点から言うと、村上春樹とチャンドラーの文体はまったくかけ離れているようにも思う。村上の多くの小説における文体は、語り手である「僕」に原則的に常に焦点化し、「僕」の内面の心理を詳らかにする文体だが、『長いお別れ』の文体は、登場人物の内面にほとんど踏み込まない「キャメラ・アイ」的な文体なので、しばしば人物の心情が不明瞭だ。そこに第二次大戦後の実存主義的な憂いが主題のひとつとして盛り込まれているので、「心が読めない」人物ばっかり出てくるように思う。しかも困ったことには、肝心のフィリップ・マーロウですら、何を考えて捜査をしているのかわからないときがある。それが幕切れになって「そうだと思ったぜ」みたいなことを言われるので、読者としては煙に巻かれたような気持ちにもなる。

しかしその不明瞭な精神性において、『長いお別れ』のマーロウと、村上作品の「僕」(の多く)は共通したものを持っているように感じるのも確かだ。それは、「超然としたロマンチシズム(detached romanticism)」とでも呼ぶべきものだろう。二人は二人とも、誰かに対して強く感情的連帯を示したりすることはない。常に他者とは一定の距離を置き、感情の起伏を抑え、冷静さを保とうとしている。しかしその信条においては非常にロマンティックな観念を持っている。それが両者の共通性ではないだろうか。

…というようなことを考えた。さて、これが村上訳でどのようになっているか確かめてみよう。

3)『かもめ食堂

先日の新年会でマイミクのえびてつ氏がフィンランドに行くという話を聞き、その際話題に上ったのがこのオール・フィンランド・ロケの日本映画。気にはなっていたのだが観るチャンスを逃していたので「よーし、そんなら見てみるか」ということで、奥さんとDVDで試聴。

端的に言って、とっても変わった映画だと思う。

古典的ハリウッド映画の規範のひとつである、プロットの因果律(原因と結果の連鎖)の構造がほとんど見受けられないのだ。

どういうことかというと、ふつう、「フィンランドで日本食の食堂をはじめました」>「お客さんが来ません」という展開が続いたら、大方のハリウッド映画は「お客さんが来るよう工夫をしました」>「うまくいきません」>「さらに工夫しました」>「成功し、お客さんがいっぱい来ました、よかったね」という展開をするはずなのだが、この映画ではそれが全くないのだ。

確かに「お客さんが来ない」>「片桐はいりの提案で、フィンランドの食材でおにぎりを作ってみる」という展開はあるのだが、その後が、「フィンランド人青年に食べさせました」>「失敗でした」という展開になってしまうのだ。その後、確かに食堂は満員になるのだが、その理由はほとんど語られない。

そもそも、日本人女優三人の過去も一切語られないのも変わっている。普通の映画なら、「日本でこういうことがありました」>「だからフィンランドに来てがんばっています」というエピソードを加えて、観客の登場人物に対する感情移入を促すものなのだが、この映画にはそれがない。脇役にしても、映画の早い時点で日本かぶれのフィンランド人青年が出てきて、以降彼は食堂の常連としてほぼ出ずっぱりになるが、彼の過去や職業についても同様に何も語られない。そればかりか彼は、前述のおにぎりを食べたほかは、物語の展開にもほとんど何の貢献もしない。ただそこにいるだけだ。

そのようなわけで、この映画はことごとく「王道」の物語からは逸脱しているのである。この映画の筋を思いっきり大胆に要約すると、「ただ、女性三人がマイペースに仕事した。なんだか知らないが食堂が流行った」ということに過ぎない。それが変わっているのだ。

しかし実のところ、これがこの映画のテーゼなんであろう。「原因」と「結果」なんて理屈っぽいことは窮屈で仕方ないわ、マイ・ペースでいきましょう、そしたらなんとかなるわよ。この映画はこういわんとしているのかもしれない。そこが、そのいい意味での「ゆるさ」が、この映画の支持者を増やしていったのかもしれない。

フィンランドと言えば、小津安二郎の遠隔地のファン、カウリスマキ兄弟の本拠地である。彼らは(それと、彼らのお膝元ヘルシンキで、彼らの映画の常連俳優マッティ・ペロンパーを使って短編を撮った盟友ジム・ジャームッシュもまた)、ハリウッドの「王道」の物語に挑戦し続けている「作家」たちである。その本拠地でこのような映画を撮ったということは、この狙いが確信犯的なものであったということの証拠に他ならない。

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蕎麦難民(プロジェクトTNT)

気がつけば1月も5日、多数派は昨日が仕事始め、ということで、年末年始になると自動的に起動する怠惰な思考モードを無理やりに切り換え、今日から僕も仕事始めです。

いやそれにしても年末年始のあのぼんやりとした意識と行動の状態っていったいなんで毎年止めることができないのかしらん。常に寝ぼけたような状態で目の焦点定まらず、まとまった時間の取れるこの時期こそと思いつつひとつことに長時間集中することはえてしてままならず、その場しのぎの行動に終始しふらふらと彷徨し飲食し転寝しまた転寝しては彷徨し、そしてふと気がつけばいつも仕事始めというこのダウンワード・スパイラルよ。

と、少し椎名誠ふうかあるいは筒井康隆ふう(前者は後者のエピゴーネン的な部分もあるとかねてから思ってはいる)に反省してみた。

それでも今年は「歩く年末年始」をテーマに、奥さんと極力時間を見つけては歩き、山にも登り、身体を動かすことを心がけていたので、いつものごとく暴飲暴食で記憶喪失に至るような悪い酒もあったにもかかわらず、本日体重を測定してみたら少し痩せていた。それだけは救いのある年末年始だった。

しかしながらそのような慢性緩慢思考のせいで、特記すべきできごとはいろいろにあったにもかかわらず、ブログはいっこうに更新されないまま日々が過ぎてしまった。慌てて反省し、今後「プロジェクトTNT(溜まった・日記・付け直し)」の名のもとに、徐々にこの空白の一週間のことを(後付けで)記録しておきたいと思う。

来年度から常勤のポストにつけば、なかなかに更新もままならなくなるのかもしれないが(研究室でしこしここればっかり書いていたりして)、日記をつける習慣がせっかく身につきつつあるのだから、起こったことは書き留めておきたい。

そのようなわけで木曜日の動向。

昨日は奥さんと正月最後の休日をゆっくり過ごす。お昼に、「チョコパンが食べたい」という奥さんのオーダーで、僕専用自転車こぶりちゃんをこいで「まるき製パン所」までパンを買いに出かけたらまだ正月休みで、我が家から次に近いパン屋である「ルーク」も木曜日は定休日だと分かっていたので、しょうがなく京都駅のアンデルセンまで出かけたのが敗因で、たっぷり3時ごろまで家でのんびりしてしまう。それからようやく、本来の予定であった一乗寺の「恵文社」への買い物(と「蕎麦切塩釜」での食事)へと出かける。

恵文社は、HPでは雑貨の通販も充実しているが、乙女系・創作系雑貨とアート系・サブカル系・文学系書籍が町家ふうのインテリアの中にがっちり集合した、さすがに日本で有数の学府を抱える町ならではの奇跡の書店である。しかも雑貨にしても書籍にしてもそのどれもが「半端ねえ」チョイスで、行く度に「あ、こんなの出てたんだ」というものが必ず見つかる。

今回は、「K」のイニシャルの入ったキャンバス地のトートバックを、仕事でのサブバッグ用に購入。本名のイニシャルがKなので。そのほか、アメリカの短編小説史についての本を一冊と、エドワード・マイブリッジの連続写真を用いたフリップ・ブック(パラパラまんが)を購入。マイブリッジのパラパラまんがは、初期映画史の授業で使える小道具として前から気になっていたのだが、ここにあるのは知っていて、けれども前回来た時は売り切れていたというシロモノ。今回買えてよかった。奥さんも雑誌やら絵本やらを買っていた。

買い物が終わって、お昼もパンだったわけだが、夫婦してそれは記憶にないことにして、「パン買おう」と近くの「東風(こち)」というパン屋さんへ足を伸ばす。ここは本気の天然酵母パンが有名。ところが、こういうタイミングの悪い日はあるもので、ここも10日まで正月休みだった。

しょうがないので塩釜で薫り高い絶品の蕎麦を食べようと思ったが、さらにタイミングの悪いことに時間はまだ16時半。塩釜は16時~18時は夜の部の営業のための仕込みの時間である。そんなわけで塩釜の再開まではまだ一時間半もある。かといって一乗寺は、今挙げた店を除けばきわめて普通の住宅街であり、われわれのようなオシャレ夫婦が時間をつぶすのにいいような喫茶店もない。

そう、この時点で蕎麦難民化することが決定。そしていちど「これが食べたい」と決めたら決して妥協できない難儀な性格の僕は、事態を認識するや一気に眦つり上げ、即座に言動共に凶暴化したのだった(今日は全面的に椎名誠ふうだなあ)。

蕎麦難民は「うまい蕎麦を食べないことには家には帰ってはいけない、と蕎麦の神様が言っている。もし今晩うまい蕎麦を食べられなかったら外泊する」などと子供っぽい発言をしてみたり、そのほかとてもここでは書けないような発言を繰り返しつつ、あたりに凶暴な視線を撒き散らしていたのだが、といっていたしかたないので、結局血走った眼と壊れた笑いを浮かべたまま叡山電鉄で出町柳まで引き返すことになった。

空腹は蕎麦難民の最大の敵なので(僕は母親ゆずりで、空腹になると凶暴になる体質なのである)、平和主義者の奥さんは「出町柳で何か食べよう」と提案。そこで、パリで食べた時にはそのおいしさに思わず唸った、中東由来のヘルシー・ファースト・スローフード「ファラフェル」を求め「ファラフェル・ガーデン」へ。

「ファラフェル」とは、ヒヨコ豆をすりつぶしてスパイスを混ぜて団子状にし、それを揚げたもので、ピタパンにはさんでゴマのペーストやチリソースなどをかけて食べるボリューム満点のサンドイッチである。お肉を使っていないのでストリクトなビーガン(ベーガン)の人でも大丈夫(ビーガンと言えば、ここの店長もエコロジー志向の人らしく、客のイギリスなまりのおじさんを捕まえては「2037年に石油はなくなるんだぜ」と説教したりして煙たがられていたがそれは御愛敬)。

パリのお店のものよりここのはヘルシー・テイストで、あっさりしていておいしかった。お腹が膨れて蕎麦難民は一時沈静化する。

そこから市バスに乗って河原町三条まで南下、「アンジェ」で雑貨など見て回る。奥さんが日曜日に遊びに行く友達の家のお子さん用のおみやげを見繕うのに付き合ったが、結局おもちゃの適齢期がわからず断念。

そこからBALへ移動、ドレステリアのバーゲンを見て、地下にできたボーネルンドでさらに子供のおもちゃを見て(充実したプレイランドができてましたね)、さらに移動。

高島屋で奥さんが日用品を買って、そこから四条通を西進。COCONの前で8時だった。再び空腹になった蕎麦難民は、近くに「味禅」なる蕎麦屋さんがあることを思い出し、奥さんに提案。奥さんも「じゃあ付き合う」と快諾。

この「味禅」、はじめてのお店でおいしいかどうか不安だったが、家族経営で気のいいお父さんがこだわりを持って蕎麦を打っている、大変アットホームな雰囲気の店で、しかもお蕎麦もしっかりおいしい店だった。

僕らの隣では常連さんらしき若い男の子が、店の看板娘(大将の娘さん)と日本酒について談笑し(この女の子は非常に日本酒に詳しく、しかも勉強家のようであった。そして男の子は、京都弁ではないので他所から来た子らしかったが、どうやらこの女の子に気があるようだった)、大将は大将で別のお客さんに気前よくそば粉を譲ってあげたりしていた。

この隠れ家的蕎麦屋のおかげで、蕎麦難民の巡礼の旅は終わった。思えば長く苦しい旅であったが、蕎麦の神(曽波神じゃないですよ)は決して信徒を捨てなかったのだった。

救済された蕎麦難民は、その後からすま京都ホテルのスターバックスに安住の地を見出し、奥さんにジャバチップ・フラペチーノをおごりつつ、その日の〆のアイス・ショート・ソイ・ラテを心行くまで味わったのだった。

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ムイシキの罠とだしズム宣言

最近夫婦そろって忘れ物がひどい。

僕の方はなぜだか分からないが、二週連続で月曜日に家の鍵を忘れてしまった。それでも普通の会社員なら奥さんが家に居れば困ることはないが、うちの場合月曜日はよほど油を売らない限り僕が先に帰宅するので、マンションの下のオートロックの前でポケットをまさぐり呆然とする、という作業を二回連続ですることになってしまった。

しょうがないので奥さんの会社に取りに行く。奥さんは自宅から歩いて5分程度のところに勤めているのだ。恥ずかしながらそこに顔を出して、呆れられながら家の鍵を渡してもらう。

どうにも、朝出かける際に行う一連の動作のシナリオから、「靴箱の上の鍵をピックアップする」という動作のページがすっかり抜け落ちてしまったようなのである。これが他の曜日だとそんなこともないのに、月曜日だけなのはなぜか。月曜だけ、眠い目をこすりこすり日の出前に起きて出勤しているから、頭脳が自動運転になっているのだろうか。

眠いといえば、昨日は大学に向かうバスの中でも寝てしまい、なぜか細木数子の夢を見た。彼女の重大な過去の秘密を知ってしまい、身の危険に晒される、というありがたくない夢だった。いったい我がムイシキは何を考えているのだろうか。フロイトさんやラカンさんはこういう時にどう説明するのだろうか。ラカンさんは無意識は他者のディスクールだといったが、他者とは細木数子さんなのか(専門的にはでたらめです)。

今日も今日とて奥さんは家に携帯を忘れていった。しかも彼女は今日に限って前の職場の同僚とのお食事会なのだ。しょうがないので会社に届けに行く。近くの内科医院に行くついでがあったので(インフルエンザの予防接種を打ってもらって、新しい職場に出す健康診断書を書いてもらうお願いをしに行った)、その帰りに寄った。

奥さんは携帯と引き換えにIPSAのメイク落としやらを手渡した。家に持って帰ってくれ、とのこと。昨日は昨日で銀座ハゲ天のてんぷらをもらった。なんだかよく分からないおつかいである。

ハゲ天の天ぷらは夕食のおかずだった。前日の晩、僕の気まぐれで「明日は温かいうどんかそばにして」と頼んだので、その具に海老天やらを買ってきてくれたようだ。奥さんはさらに一念発起して、うどんつゆから自前で(めんつゆを使わずに)作っていた。だしをとって、薄口醤油とみりんと塩で味を調えて完成。これがびっくりするくらい「らしい」味になっていた。しばらく台所のあたりはお蕎麦屋さんの匂いが立ち込めていた。

だし、といえば、僕はかつて結婚前に「だしズム宣言」なる宣言をしたことがあった。

「これからはスローフードの時代である。日本が誇るスローフード文化といえばだしである。だしをちゃんととる食生活をせねばならん、そこで、結婚したら日本全国のだしと味噌を集めて、最適な組み合わせの味噌汁を研究する」というのがその主旨である。

しかし奥さんはそのとき、僕の熱い思いにまるでたじろぐことなく「そ・れ・は。博士論文書けてからにして」とクールに言い放ったのだった。

そんなわけで僕のだしストの道はそれ以来未踏破のままである。スタートの白線の前で地団太を踏んでいる状態である。そんな折、奇しくもうちの奥さんがその実践者への道を踏み出したというわけだ。そんなわけで奥さんにも急遽だしスト党への入党を許す。

この「だしズム宣言」にはさらに余談がある。

かつて僕は先の発言に付け加えて「あー、誰かそういうお店やってくれないかな。だしと味噌と具の組み合わせを自由に選べて、味噌汁がオーダーできるお店。迷った人には本日のだしと本日の味噌の組み合わせもオーダー可。後はメニューは銀しゃりごはんだけ。おかず持ち込み可。ナムコあたりがやってくれないかなー。企画持ち込もうかなー。」などと独りで妄想を膨らませていた。

が、この妄想は奥さん以外誰にも話していなかった。ところが後々実の兄も似たような商売を考案して自分のブログで妄想を発表していたのだ。その名も「薬味屋」。彼の場合は、いろんな薬味で銀しゃりをもりもり食べたい、ということらしい。どうにも兄弟揃って白米と味噌汁が好きでしょうがないらしい。『伊賀のカバ丸』のような寂しい兄弟である。

追記:この「薬味屋」なる商売、検索ワードにしてみたところ、同名の、コンセプトも若干似たお店が、東京駅八重洲口のあたりにあるんですね。だしスト党首としては、ちょっと偵察に行かなくては。

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紅葉の中のマインド・ゲームス(1)

この数日間の動向。

金曜日は一日中、秋晴れの気持ちいい一日が少しずつ過ぎ行くのを12階の窓から眺めつつ、わき目もふらず(矛盾した表現)論文仕事をしていた。奥さんが「ロンドン塔に幽閉された王子じゃないんだから、たまには外に出ないと身体に悪いわよ」というので、夕方4時半ごろ、ちょっと論文が一段落した隙に外に出かける。

しかし時すでに遅し。もう日は大分翳っていて、僕専用自転車「朝びらき丸(別名こぶりちゃん)」でいくら走っても国道沿いの高いマンションの影から抜け出せない。「汝光のあるうち光のうちを歩め」とはこのことか(違いますよ、念のため)。

仕方ないので、先日ラジオで聞いて以来気になっているビートルズの『ラヴ』("Sun King"のテープ逆回しを使った曲"Gnik Nus"が日本語表記だと「グンキ・ンサ」になってるのはしゃれが効いていて面白いですね。ふつうに読むと「グニック・ナス」だけど)を買いに行く。家からだと京都LOFTのHMVの方が、PARCOのTOWER RECORDSよりちょこっとだけ(ほんとにちょこっとだけど)近いのでそちらに。

試聴コーナーに行って驚いた。U2も、キング・クリムゾンも、オアシスも、ジャミロクワイもみんなベスト盤を出しているとは知らなかった。何か清算の時期に来ているのだろうか。オアシスとU2は以前もあったんじゃないかと思うしあんまり興味ないけど、ジャミロクワイは買ってもいいかもなあ、iPodで聴くともなしに聴くのにいいし(『スペース・カウボーイ』と『キャンド・ヒート』からは一曲ずつしか入ってないんですね)。

けれどもお小遣いは限られているので、『ラヴ』のみ、それも通常盤を買う。以来気に入って毎日聴いている。『イエロー・サブマリン・サウンドトラック』の時よりもリミックスの音感が好みだなあ。ピーター・コビンのもよかったけど、ちょっとハイファイ過ぎたかな。こっちのマーティン親子のテイストの方が、ちょっとベース・バスドラ出過ぎの曲もあるけど、ロック感というかボリューム感がある。それよりなにより、マッシュ・アップが面白い。「レディ・マドンナ」に「ヘイ・ブルドッグ」のピアノ・リフとか、そうきたかって感じで思わず興奮する。それから、『イエロー…』の時も(渋谷陽一さんか松村雄策さんが)言われてたけど、リンゴが基本的にはファンキーなドラマーだというのがよく分かる。初期の曲はたどたどしいけど、それはチャーリー・ワッツもいっしょだし。

ついでにLOFTをぶらぶらしていたら、家具売り場で「e.m.o.」というところのフォールディング・テーブルを見つける。いわゆる北欧風で、リヴィングのコンセプトにも合うし、サイズ的にもいい感じ。そのうえ安い。うちにはソファー前にテーブルがないのでずっと探していた。奥さんに写メール、同意を得て購入する。

いやあ、よかった。ソファー前のテーブル、転居以来ずっと欲しかったけど、置きっぱなしだと部屋が狭く感じるし、折りたたみではいいデザインのがないしってことで、夫婦して買いあぐねていたのだった。そのせいで、これまでは奥さんの友達なんかが来たときにもくつろいでもらう場所がなくて、申し訳なかったんだけど、これでようやく安心。これは日曜日から導入。食後のフルーツやお茶なんかに最適です。ホット・カーペットでお鍋もできます(>関係者諸氏)。

明けて土曜日は大阪某所で講義。起きた時から一日肩が凝っているという辛い一日だった。まだ少し風邪気味だったのかも。しかしそんなことは気にせず、仕事終わりに奥さんと四条烏丸で待ち合わせ。書店で『ラヴ』の特集がある「レコード・コレクターズ」と、映画特集の「BRUTUS」を買った後、食事へ。ところが、錦魚亭というお気に入りの京風おばんざいとお魚の店(魚力さんという錦市場の魚屋さんの経営)に行ってごはん、と思っていたが、行楽シーズンの週末ということで満席。そりゃそうだ。予約しない僕がバカでした。仕方ないので家の近くの別の店へ。特筆すべきことのないお店でした。次回リベンジを誓う。

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ボジョレー・元ヌーボーと暗黒城の魔術師

風邪気味である。大学講師みたいな不特定多数と同一空間を占めることが多い仕事(客商売ともいう)は、季節の変わり目ともなるとどうしたって風邪のウイルスにさらされることになる。ひとつの部屋に50人から人がいるんだから、誰か保菌者がいてもおかしくない。これが立派に健康管理している清潔な大人の集団ならまだましだが、連中ときたら歩く培養シャーレみたいなものだから余計にたちが悪い。

そんなわけで、鼻水、関節痛、若干の頭痛と腹痛に襲われている。

おまけに論文を抱えているので、この三日ばかり自己カンヅメにすることにした。全然外に出ないで論文ばかり書いている。夜は早寝で(11時ごろだけど)ベッドの中で読書。先日購入した『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』を読む。ハーバードの心理学者の書いた本で、心理学的な見地からの分析が面白い。多少、結論をもったいぶって後回しにしているようなところとか、堂々巡りをしている部分とか、論旨がすっきりしない点はあるけれど、余暇にはちょうどいい。しかも、現在の論文に使えるヒントもある。

思えば、いっぱしの文学少年(そんな表現があるか分からないけど)だった子供の頃は、読書といえばベッドの中で行うものだった。夜9時過ぎに2階の自分の部屋に上がって、枕もとのスタンドの電気だけで好きな小説を読みふけるのがたまらなく楽しかった。暗がりの中で空想をどこまでも広げていくことができた。そんな幼少の体験を思いがけず追体験する。

子供の頃の読書体験といえば、普通の読書に加えて、ゲーム・ブックなる読者参加型の本にはまったのを思い出す。内容はドラクエやFFの元ネタともいうべき、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」的「剣と魔法と竜の世界」。サイコロと紙と鉛筆を片手に、兄弟三人して夢中になったものだ。

なかでも兄弟のブンガク的趣味にぴったりはまったのが、二見書房から出ていた「ドラゴン・ファンタジー」シリーズ。J・H(ハービー)・ブレナンという作家の作で、物語はというと、アーサー王の治世、魔法使いマーリンに呼び出された主人公ピップが、エクスカリバー・ジュニアという剣を片手に、様々な難題をクリアするというもの。毎回そのタスクは変わるが、この基本設定は同じだった。

この作品の魅力は、そのユーモア溢れる語り口もさることながら、フーゴ・ハル氏(本名奥谷晴彦氏。ペン・ネームはダダイズムのアーティスト、フーゴー・バルからもじっている)のイラストにあった。陰鬱で、リアリスティックで、それでいてユーモアがある、その絵に兄弟してノックアウトされたものだ。

久々に思い出したところまた読みたくなったので、この際まだ手に入るようなら全巻大人買いしてやろうかと気になって調べてみたら、あいにく絶版らしい。しかし、同じことを考える人は多いようで(どうも、1980年代にブームになったこのゲーム・ブックという形態が密かに復刊され、当時のファン、つまり30代男子を中心に静かな再ブームを呼んでいるらしい。しかしゲーム・ブックがあまた存在した中でこのシリーズが復刊されたのは、それだけこの作品の質が高かったということだろう)、創土社から「グレイルクエスト」シリーズの名で全巻復刊の動きがあるらしい。すでに第一巻『暗黒城の魔術師』『ドラゴンの洞窟』は出版されていたので、アマゾンで即購入してしまった。何をしてるんだか。

この数日間のその他の動き。といっても外に出ていないので奥さんの手料理について。

火曜日の夜は親子丼、もうすぐ京都を離れるからその前にブランド野菜を、ということで金時人参と九条ねぎのお味噌汁、じゃがいもとスナック(スナップ?)えんどうのサラダ。

水曜の夜はパプリカと骨付きチキンのトマト煮ローズマリー風味、ブリー・チーズとパン。

今晩は徳島のサツマイモでリゾットと、昨年のボジョレー・ヌーヴォー(もうヌーヴォーじゃないんだけど、大丸の売り子さんが「よく熟成されてますよ」と気の利いたことを言ったので、人とは違う道をゆく奥さんが面白がって買ってきたらしい。要は不良在庫か)を使った「ロールじゃないキャベツ」。ル・クルーゼの鍋を使うレシピだけ集めた料理本に掲載されていた逸品で、要は巻く手間をオミットしたキャベツとミンチ肉の煮込み。味はロール・キャベツそのもので、僕が気に入っているので時々作ってもらう。キャベツがたくさん食べられる。

奥さんは今日はほかにも黒糖とサツマイモのパウンド・ケーキを焼いていた。焼き立てを一切れもらったが、黒糖の香りがすごくはっきりしていておいしかった。

明日も自己軟禁状態である。気合入れてがんばろう。

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エイリアンと金縛りと秋のカヌレ

水曜日は授業のない日。翌日の授業の準備をする。一年前の講義のレジュメを再編集しようと思ったら、この回だけデータが失われているのに気づく。しょうがないのでもう一度一から作り直す。思いのほか時間がかかってしまった。そのほか自分の論文など書いて過ごす。

昼過ぎに、先日ヨドバシカメラで買ったホットカーペットが届く。梱包を解いてソファーの前に広げ、いったん通電してダニ退治(新品だけど)をしておく。

7時からお父さんお母さんと会食。いつも行きつけの店は何件かあるのだが、どれも最近行ったばかりなので新規開拓。僕のリクエストで中華にしてもらった。

お店は、三条室町の龍舞。奥さんがインターネットで探してきたお店だけど、これが美味しかった。チンジャオロースーはあっさりしていたし、エビチリもいい仕事していた。そのほかカニ入りレタス炒飯、山東風やきそばなどおなかいっぱい食べて、ビール二杯飲んで、四人で1万円切っていた。これはぜひまた来たいねと一家で確認。

以前神戸に勤めていたことがあり、そのときに美味しい&コストパフォーマンスの高い中華をあちこちで堪能していたので、京都の中華はもうひとつだなと思っていたけれど、探せばあるなあ。京都の中華というと、以前えびてつ氏といった台北城もおいしいです。でもこちらはちょっと本気の中華というか、ロウブロウなところもあるので、家族の会食には不向きかも。

お父さんお母さんとお店の前で別れた後、烏丸御池駅出口すぐの大垣書店へ。奥さんが本屋さん大好き(そのわりにあんまり活字を読まないんだけど)なのでめぼしいものを物色に行く。30分ほどぶらぶら。研究の本でもう手一杯なんだけど、オリヴァー・サックスの本など探す。サックスの本は在庫切れだったけれど、『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』という本を発見。とりあえず購入。時間があったら読んでみよう。こういうポップなテーマで内容はアカデミックなものに惹かれます。『イグ・ノーベル賞』とか。

奥さんは料理本など熱心に読んだ後、なぜか「SPUR」を購入。帰ってきてホット・カーペットの上に寝転がり、楽しそうに眺めていた。

今日は朝からダビングなどしつつ自分の仕事。午後は某大学で講義。昨夜、一昨日の朝に僕が経験した金縛りの話をして奥さんを怖がらせたので(「目が覚めるとここにこういうふうに人が立っててね…」)お詫びに帰りに伊勢丹でダニエルのカヌレを買って帰ることになっております。

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フィクションとノンフィクションの境界②

あけて今日は月曜日。6時半に起きて大阪の某大学にて午前中講義。

お昼に梅田に帰ってきて、簡単に昼食の後、どうせ読みたくなるに決まっていたので紀伊国屋書店でカポーティの『冷血』を買う。そこからNU茶屋町のタワーレコードに移動して、件の村上トリビュートアルバムを購入。まだ聴いていないけど、どんなんだろうか。村上春樹の作風とマッチしているのだろうか。非常に楽しみ。どっちにしても、家でかけられるCDであればいいなと思う。自分の好きな音楽は、家で落ち着いて聴けるようなものではないので。あわせて、690円だったので『ガープの世界』(もっとも好きな映画のひとつ。どうでもいいけど、『フォレスト・ガンプ』ってこれのぱくりだよな)のDVDを購入。大好きな映画がこの値段で観られるのは嬉しい限りだが、安売りされていると思うと複雑な気分。

そこから京都に戻ってきて、京都シネマにて『カポーティ』鑑賞。開場から15分ほど間があったので、暗くなるまで『冷血』を読む。世紀の文豪の代表作を、こんなこというのもなんだけど、文章はクリスプで的確で詩情があって上手だ。訳もうまい。非常に惹かれるものがあるんだけど結構大部だし、今は論文で忙しいので、ちょこちょこ読んでいくしかないか。まだフランス旅行の帰りにCDGで買ったオースター(これもいつものオースター節全開で面白いですよ)も読み終わってないのに、どうするか。

映画はすごい。引き込まれる。これはいやはや、大した作品だ。なんだか打ちのめされて、早く奥さんに会いたくなり、その旨メールする。ここでもフィクションとノンフィクションの境界について考える。

帰ってきて、部屋干しの洗濯物を乾燥機にかけつつ、これを書いています。

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