皆様よいお年を/2008年のベスト○○

今日は仕事納めですね。

都並は例によって年末年始モードに入ると電脳空間から遠ざかるため、今年は今日が最後の更新となります。次回は1月の…8日とか9日になるんじゃないでしょうか。

ということで、皆様(という名の仮想読者の方々)にはここでご挨拶を申し上げておきます。

今年一年間はまことにありがとうございました。大変に忙しい1年でしたが、なんとか乗り切れたのはひとえに皆様のおかげです。

また、2009年も何卒お引き立てのほどをお願い申し上げます。2009年は都並も、さらなる補強を行って、一回り大きな人材になりたいと思います。よろしくお願いいたします。

しかし今年はいろいろあったなあ…。学会の主催校・実行委員をやったり、名古屋では憧れのDB先生に会えたりスターウォーズの公開30周年記念イベントがあったり…なんとなくはじめたミニカーのコレクションもあっという間に増えたし…。

ということで、今までやったことがないのだけれど、極私的「2008年のベスト○○」をここに書きつけておこうと思う。もし来年も、それ以降もこの気まぐれが持続したら、それなりの備忘録にはなるだろう。

1)2008年のベスト・ムーヴィー

第1位 『イントゥ・ザ・ワイルド』

第2位 『潜水服は蝶の夢を見る』

第3位 『ノー・カントリー』

寸評)今年は結局忙しくて、『TOKYO』も『トウキョウソナタ』も未見、『アイアンマン』もこれから…という体たらくなんだけど、観たものの中で言うと、なんといっても『イントゥ…』の鋭利な仕上がりと、その製作姿勢の気迫が凄かった。かつてないほどインヴォルヴされた映画だった。第2位も詩的で美しく、人生の美しさを謳い上げた傑作だと思うけれど、『イントゥ…』が真正面から見据えたネガティヴィティのインパクトには勝てなかった。第3位は職人技の凄さを見せ付けられた。

2)2008年のベスト・ミュージック

第1位 リトル・ジャッキー『ザ・ストゥープ』

第2位 R.E.M.『アクセラレイト』

第3位 ローリング・ストーンズ『ラヴ・ユー・ライヴ』ほか

寸評)今年はあんまりポップ・ミュージックを積極的に消費しなかった。オアシスもコールドプレイも新譜を買わなかった。その中でも第1位のリトル・ジャッキーは、キャッチーさといなたさとが絶妙にミックスされて、ドライヴのBGMとしても最適。いいセンスしていると思う。

第2位は『モンスター』以来のピーター・バックのギターばりばり弾きまくりがうれしいR.E.M。でもこの人たちの場合、反対にスロウな曲はそろそろマンネリしてきた。

第3位は、恥ずかしながら(いや別に何も恥ずかしくないけど)職場のイギリス人の先生に勧められて初めて聞いたのだけれど、いや、凄い。特に「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」「ブラウン・シュガー」「悪魔を哀れむ歌」の流れが最高。そのほかはGラヴ、ベイカーズ・ブラザーズあたりが次点かな。

3)2008年のベストお茶菓子

第1位 松屋長崎のマドレーヌ

第2位 みよしやのみたらし団子かざりやのあぶり餅出町ふたばの豆餅

第5位 根津のたいやき谷中せんべい

第7位 おせんべいやさん本舗の黒胡椒せん/あげせん

寸評)お酒を家でほとんど飲まなくなったので、代わりにお茶菓子を食べることが増えた。移動の多い仕事を生かしてあちこちでお菓子を試してみるのだけれど、やはり自分が年をとったせいか、京都と東京の和菓子に軍配が上がる。ここにあげたのはどれも伝統のある老舗である。特に第1位の松屋長崎の、予約しないと買えないマドレーヌは、聞けばおじいさんが独りで作っているそう。絶対になくならないでほしい味である。

といいつつ今個人的には根津のたいやきが食べたい。あの薄い皮、たっぷりのあんこ…ああ、たまらないな。

…さてさて、などといいつつそろそろ2008年の太陽も沈みかけているようです。皆様それではまた来年お会いしましょう。

都並はこれから髪の毛を切ってもらいに行きます。今晩のごはんは奥さん手製の豆腐ハンバーグです。明日からは大掃除とたまったDVDの鑑賞に精を出し、大晦日からは日光・鬼怒川に出かけてきます。

年が明けたら京都に帰り、バーゲンでピーコートの掘り出し物を探し、リコーのGRデジタルⅡを買って、でもって帰りの新幹線ではそれをうれしそうにぱしゃぱしゃやりながら北関東に帰ってきます。

それまでごきげんよう。2009年が皆様にとってこれまで以上にすばらしい飛躍の年でありますように。

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週末だけの帰郷(プロジェクトTNT)

Vfsh0485 仕事は相変わらず山積しているけれど、家族の行事があったので、週末だけのタッチ&ゴーで京都に帰ってきた。

京都はちょうど観光シーズンの真っ只中(最近は気温が高いので、本来紅葉の見ごろの11月にもなかなか十分な紅葉を見ることができない。そこで勢い11月の最後の週末が混むことになる。みんなぎりぎりまで紅葉を待つからだ)だったけれど、新幹線は意外と空いていて、当日の朝に切符を買ったにもかかわらずすんなりと座れただけでなく、隣の席もずっと空いていた。

新幹線はあらかじめN700の窓際の席を指定しておき、コンパクトDVDプレイヤーを持ち込んで、窓のスクリーンも下ろして、ひたすら映画を観ながら移動した。といっても遊びではなく、悲しいかな仕事で観なければならないものが溜まっていたので、移動中も仕事である。

今の住まいは在来線も東京まで結構時間があるので、片道で都合2本の映画が観られる。そこで、小さい画面だけれど往復で4本の映画を観た。暗い内容ばかりだったのでやたらと気が滅入った。

気が滅入ったまま、窓のスクリーンをあげるともう山科で面食らう。いつも富士山など見ながらゆっくりと故郷のモードに頭を切り替えていたのが、今回は途中でスクリーンの中のアフガニスタンやらサウジアラビアを通過してから京都である。

京都についたらタクシーで定宿にしているホテルへ。そこで先に帰省していた奥さんとお母さんと合流。またタクシーを拾って今度は金閣寺近くの某神社へ。そこで家族の行事があった。短時間ではあったが、晩秋の静粛な空気が満ちている京都の神社での時間に、思いがけずリフレッシュする。こんなにのんびりと、心落ち着いた気分になったのは久しぶりのような気がする。

Vfsh0468家族行事を済ませたら、今度は北大路通りをずんずん東進。おいしいものを食べる喜びで固く結ばれている親子三人で、今宮神社の「かざりや」のあぶり餅を食べるためだ。金閣寺から今宮神社は歩くと結構あるけれど、結束力の固いチームなので根を上げたりはしない。

だいいち、今の時期の京都のバスは殺人的に混んでいてめったにオンタイムに来ない。といってタクシーを捕まえるほどではない。

僕も、時間を気にせず歩く、という自由さがうれしくって、似たもの同士の親子の後ろをついて歩く。

今宮神社そばのお店にたどり着いても、それからまだ行列に並ぶ。30分くらいは優に並んだのではないかと思う。しかし時期がいいのでさほど苦ではなかった。奥さんは「かざりや」に並びながら「四条のみよしやのみたらしが食べたい」というわけのわからないことをいう。

そんなこんなで、いよいよお目当ての品物にありつく。いつもながらおいしい。

といってもこれは、具体的な調理方法を考えると、なんてことない食べ物だと思う。お餅をついて、小さく丸めて竹串に刺し、きな粉をまぶして焼き、最後に白味噌のたれをかける。おそらくそんな感じでけっこう簡単に作れるんじゃないだろうか。

でも、こういうものはやっぱりシチュエーションが大事で、今宮神社の参道にあるお店に並び、お店の奥の座敷で出涸らしの薄い番茶をすすりながら食べるのが乙なんだろうと思う。

この喜びに親子三人して浸った後はホテルに帰り、しばし何をするともなく休憩。

それから夜、再度集合してホテル内の中華で舌鼓を打つ。餃子と杏仁豆腐がおいしくて、満足のディナーとなった。久しぶりに生ビールを二杯、紹興酒を一杯飲む。

それからまた部屋に帰って就寝。非常にのんびりした一日だった。

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黒澤シンポジウム(プロジェクトTNT)

Vfsh0387 土曜日は立教大学新座キャンパスにて、黒澤明のシンポジウムに参加してきた。

これが、最新のキャンパスの最先端の設備を駆使した、テンポよく歯切れのいい催しだったので感服しました。

内容は、僕のような洋モノ専門の初学の人間に云々する資格はないのかもしれないけれども、黒澤監督のスクリプターだった野上照代さんと黒澤監督のご長女でいらっしゃる衣装デザイナーの黒澤和子さんをお招きした「当事者」のトークはインティメートで楽しいものだったし、明治学院大の四方田犬彦先生、早稲田の長谷正人先生、NYUの吉本光宏先生の御三方の発表もとっても勉強になるものだった。

ミソジニー、ホモソーシャリティ、表象不可能性といったキーワードで黒澤明を読み解く御三方の手捌きは見事というほかないもので、個人的な研究にも大変刺激を受けた。

特に、『天国と地獄』の身代金受け渡しの場面の、徹底的にPOVショットを回避したカメラワークは、例えばPOVを多用するヒッチコックの手法と比較したときに、かなりの独自性をもって立ち現れてくるんじゃないか、と思った。

さらに言えば、もしアメリカ映画のPOVショットが、ローラ・マルヴィが言うように、男性が女性を見る「男性の視線」と評価することができるなら、そのPOVを回避した黒澤の「肩越しのショット」は、男と男が共に見る「ホモソーシャリティの視線」とみなすこともできるのかな、などと考えた(すいませんココ何言ってるのか分からないと思いますので無視してください)。

いや、これは何も黒澤全作品を計量的に観たわけではないので何ともいえないけれども。

Vfsh0386話は代わって、シンポジウムもすごかったけれども、もうひとつすごかったのは立教のキャンパスだ。『未来世紀ブラジル』ロケハンのときのテリー・ギリアムが、あるいは『惑星ソラリス』のときのタルコフスキイがこの風景に出会ったら、きっとロケ地にしただろうな、というくらいの未来都市ぶりである…この喩え、ミッドタウンに行ったときも使ったな。

ともかく、この図書館の機能の充実している印象を見ると、「とほほ、同じ大学でもこんなに違うのか」と思わず恨めしくなる。さらに、このハイテク図書館から生み出される学生のレポートがどれくらい、うちの学生と違うだろうか、と考えると空しくさえなる。

いやはや、参りました。個人的に今後「新座ミッドタウン」と呼ばせてください。

などとうなだれつつ、シンポ終了後は懇親会まで参加してきた。同年代の知り合いの先生が何名かいらっしゃったので、親睦を深め、今後の研究活動について情報を得る。

(と、和気藹々と飲んでいたら、お店に名刺入れを忘れるというハプニングがあり、主催校の先生に送っていただくというご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありませんでした)

そんなこんなで帰宅は23時。奥さんをほっぽらかして申し訳ない休日だった。といいつつ、次の土曜日もオープン・キャンパスで出ずっぱりなんだけど。

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乗ってみたいなファルコン号

今日は『スター・ウォーズ』(エピソードⅣ)の日本公開30周年記念だとかで、東京のあちこちにダース・ベイダー卿が出没なさったそうですね。

それで初めて知った「スター・ウォーズ セレブレーション・ジャパン」(注意:いい音量でおなじみのあのジョン・ウィリアムズの曲が流れます)。

要はファン・イヴェントで、一日4000円は高いし幕張も近くはないのでどうしようかなとは思うけれど、LEGOが協賛企業に名を連ねていたり、トミーダイレクトも限定商品を販売するとか聞くと、そういうフェティッシュな欲望が刺激されるなあ…。

前の週(7月3日追記:こちらの勘違いで12日でした)、立教で黒澤明のシンポジウムがあって、そっちにはとりあえず応募しているんだよな…。

いや、究極的にはトイは要らないけど(海外限定版のラルフ・マクォーリー版C-3PO&R2-D2はほしいけど)、そのほかにミレニアム・ファルコン号で写真が撮れるとも言うし…。

行ってみたいな、遠い昔、遥か彼方の銀河まで…。

Cimg0304_2 写真はNYの映像博物館にてヨーダ師と再会の都並。

「よいか、鰤彦。やってみる、というのはないのじゃ。やるか、やらないか、なのじゃぞ」。

「ははー。肝に銘じております」

これやるの二回目だな。

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学会シーズン(プロジェクトTNT)

6月は学会のシーズンで、都並も、今年はさまざまな不可抗力的な都合で研究発表はできないのだけれど、それでも都合三回くらいは出かける予定である。

学会というやつはそれぞれ大学の教員が参加しているので、授業の関係で週末に開催される。そうすると一月に三回週末がつぶれるわけで、それはさすがに、たとえ研究発表をしないといっても、仕事のスケジュール的にも肉体的にもけっこうきついのだけれど(当然研究発表をするともっときつい)、それでも得られるものがあるのでいかないわけにはいかない。

その学会の第一弾がこの週末京都であって、参加してきた。京都はかつてのホームタウンだし、隣県の滋賀は実家なので、里帰りという気分もある。

というわけで金曜日は奥さんのほうのお父さんお母さんと合流し、京都で行きつけのおいしい焼肉屋さんへ。久しぶりに親子で楽しくコンロを囲んできた。僕以外にもお父さんお母さんも6月の生まれなので、そのお祝いをかねた宴席である。

その後、定宿と化しつつある日航ホテルにて宿泊。空けて土曜日、奥さんは京都で買い物、僕は学会。他人の発表をひたすら聴くのだけれど、今年はレヴェルが高かった。自分もうかうかしていられない、と刺激を受けた。

土曜日の夕食は奥さんとまた京都で外食。お気に入りのスパゲッティ屋さん「セカンドハウス」で名物の「セカンドトマトカルボナーラ」に舌鼓を打つ。

日曜日は学会の懇親会。懇親会(=立食パーティー)というやつは、もとより内気な傾向のある人文系の研究者にはなかなか不向きなところである。僕も若い時分は、もとより出身ゼミの人間がほぼ皆無の学会だったこともあって、完全に壁の花と化していた時期もあった。

しかしこのごろは、常勤職も得て、同世代の研究者、あるいは一世代上の先生などの知己も得て、社交が楽しくもなってきたし、また重要にもなってきた。

今回も、最終的に8月末の原稿が一本、9月末の研究会が一本、来年5月の国際学会がうまくいけば一本、といくつか仕事をいただいてきたので、まずは収穫があった。

このほか、11月には自分の大学で研究会の主催もすることになっており、なかなか勉強させてもらえる一年間になりそうだ。

空けて月曜日。

奥さんと再び四条烏丸にいた。お互いのお父さんの父の日のプレゼントを探すためだ。四条烏丸~河原町界隈をうろうろして、ナイキで何か買うか、ビルケンシュトックのサンダルにするか、といろいろ迷った結果、GAPのショートパンツを贈ることにする。うちのオヤジはMサイズ、向こうのお父さんはXL。なんだか人間の器の違いを反映しているようでおもしろい。

Vfsh0340 ついでに、「ダファー」で自分用のポロシャツ、「トゥモローランド」で春夏用のグレイのシャンブレーのジャケット(表地の光沢ある感じと、裏地のマドラスチェックがかわいかった)を買ってしまったというのは内緒です。

このプレゼントを探しつつ、またもや「おめん」にて昼食。あいかわらずおいしい。しかも、単においしいだけじゃなくて、やっぱりこれが僕の食文化的ルーツの味だからだろうか、心のすごく深いところで落ち着くというか、癒される気がする。胃袋の底のほうから幸福感が上ってくる感じである。

とここまで書いてみて、ふと「これまで何度も同じようなことを書いてきたのではないか」という気がしたけれど、それでもやはり、改めてこう書いてしまいたくなる何かを感じたのも確かであった。畳敷きの席のこじんまりとした空間も居心地良くて、ついついデザートにわらび餅まで食べてしまう。またこれが絶妙な冷え加減でうまい。

Vfsh0332 それからこの日のお茶は(昼食から立て続けに行ったんじゃなくて時間を空けて行ったんですよ)、おば様御用達の純喫茶「フランソア」。僕は大学時代の悪友女史連に連れられて行ったことがあったのだけれど、奥さんは初めて。

ここではチーズケーキをいただく。しっかりとしたハード系のチーズケーキで、レーズンなんかも入っていてクラシックな感じ。これはなかなかおいしかった。しかしそれにしても平日昼過ぎの「フランソア」はおばさまばっかりだった。

このほか、「フランソア」を出るとすぐの「村上重」でお漬物を買ったりして、なんだか全体におのぼりさんみたいだった。

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侮れない廉価盤

先日、書店をうろうろしていたら、すごいものを見つけてしまった。

その名も『ナチス侵攻!』という、とてもキワモノふうのタイトルの、廉価版DVDである。

廉価盤については我々研究者の世界では賛否両論あって、廉価盤になる=著作権が切れている=古典的映画、ということで、かつてはVHSでなかなか入手しにくかったソフトが、きわめて安価で手に入るということ自体は歓迎すべき事態である。

しかしながら一方で、ものによっては字幕の間違い(廉価盤でなくたって間違いは多々あるのだが)などもあって、諸手を挙げて称賛するというわけにもいかない。

が、今回の場合は、間違いなく応援したいケースである。

なぜかというと、このタイトルが、実はフランク・キャプラによる有名な戦時ドキュメンタリー『我々はなぜ戦うか』Why We Fightのうちの一本だからだ。

全部で7本存在する新兵教育用のこのドキュメンタリー、かのフランク・キャプラが撮ったものであり、しかも『意志の勝利』や『オリンピア』といった、レニ・リーフェンシュタールがナチ政権下で撮ったドキュメンタリーのフッテージや、ディズニーが作ったアニメ地図部分などを含んでいるという点で、映画史研究において非常に重要な作品になっている。

専門ではない人には、とにかく重要だ、ということである。どれくらい重要かというと、ロック史におけるドアーズの未発表音源ライブのオンライン通販盤くらいは重要である。

これを、しれっと500円で、しかもかなり正確な字幕つきで出している会社があるとはびっくりした。

しかも同梱のチラシを見ると、オンライン通販もしているという。早速調べたところ、『我々はなぜ戦うか』からは日本の中国侵攻を扱ったThe Battle of China(販売タイトルは『中国侵攻作戦』)と、そのほか同じ戦時ドキュメンタリーとしては、ジョン・フォードが撮ったDecember 7th(『真珠湾攻撃』)が発売されている。さっそく注文し、入手する。

いやはや、このタイトルの日本語字幕つきが買えるとは思わなかった。ちょうど映画史の授業をやっているので、そこでさっそく上映しよう。

それにしても面白いのは、このタイトル、発売元は決してそんな大上段に構えた方針があるようではなく、パッケージングとかその他のタイトルなどから見て、マニア向けの戦争ドキュメンタリーとして(要はキワモノとして)売っているということだ。

俗な言葉で言えば、「天然」なのである。

しかし、この会社は研究者としては実に応援したい。できれば今後『我々はなぜ戦うか』のシリーズを全部刊行してほしいからだ。そういうメールをしたためようかと思うくらいだ。

ところで、このタイトルを手に入れた契機が結構面白かった。サイトを見てもらえばおわかりのとおり、この会社からは同じく今月リーフェンシュタールの『オリンピア』二部作、すなわち『美の祭典』と『民族の祭典』が発売されていて、都並は最初書店でそちらに目が留まった。

そこでまず一度、このタイトルが500円で出ていることにびっくりして、隣にいた奥さんに「これが500円ってすごいことなんだよ。即買いしよう」と言ったら、奥さんは「ふーん」と興味なさげに相槌を打ちながら、それよりもはるかにキワモノ感漂う隣のタイトルを指差し、「こっちのが面白そう。ナチス侵攻だって」とのたまった。

僕はそれを一瞥し「これだから素人はいやだな」と切り捨て、「こっちはリーフェンシュタールなんだよ。このレニ・リーフェンシュタールって人は…」と例によって薀蓄をたれようとしたのだった。

しかしそのときそれをさえぎって奥様が、今となれば神のお告げとも思える一言をのたまったのである。

「監督フランク・キャプラだって」

「え」

都並はそこで思わずフリーズした。実は今ちょうど、『我々はなぜ戦うか』についての文献を読んでいるところであり、即座に「もしかしたら」という思いが脳裏に閃いた。

そこでDVDを手にとって見ると、案の定、『我々は…』の一本に間違いない。

「えええ…これがソフト化されているなんて…しかもこんなご無体な売り方で…」

予想外の出来事が二段階仕込みで起こったことに都並はいささか腰砕けになり、よろよろと、しかしわき目もふらずにレジに向かったのだった。

㈱コスミック・インターナショナルさん、ぜひ『我々は…』の全作、500円で出してください。ついでに『意志の勝利』もよろしくお願いします。

追記:キャプラといえば、今木村拓哉さん主演でやっているドラマ『CHANGE』って、『スミス都へ行く』じゃないのか。

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名古屋ひとりぼっち

空けて名古屋二日目。慣れない深酒で頭が痛い。ふと気がつくと、以前大学の保健室でもらったバファリンがペンケースに入っている。それをとりあえず飲む。

深酒をしてしまったのは、昨夜コースの料理をろくに食べずに飲んだからだと思い当たり(DB先生の前で舞い上がり、食欲がどこかへ飛んでいってしまったのだろうか)、とりあえずがっつり炭水化物を採りに行く。

そこで吉野家へ。最悪の選択肢ではある。しかし体が如実に炭水化物(糖分)を求めているのが分かったのでこれは仕方ないことである。

と言い聞かせ、豚丼を完食。その後栄近辺をぶらぶらし、最近お気に入りのカメラHOLGA135で名古屋の風景を撮る。

Fl000009_2 名古屋は別に初めてではないし、学会等々で述べ10日くらいは来ているのだが、久しぶりに来てみると、なかなか面白い街である。特に、ラシック(名古屋でいちばんおしゃれなことになっている集合店舗ビル)とかオアシス21のような最先端の建物よりも、中日ビルとか、その前のバスロータリーにある丸い大時計とか、70sの生き残りみたいな雰囲気がそこここに残っているのがよい。

午前中の光もよかったのでここでパシャパシャ撮る。ちゃんと撮れているといいが(3月10日付記:なんとか撮れていました)。

Fl000015 オアシス21にもいちおう上がって、写真を撮る。面白いことに、屋上の池(?)の水面を見ているうちに、猛烈に喉が渇いてきた。恐水病とは逆の症状である。これも二日酔いの顕著な表れだろう。吉野家でもお茶をたくさん飲んだのだが、まだ足りないらしい。

仕方ないので下のスタバで朝一のアイスコーヒーをゲット。こういうとき、ごくごくコーヒーを飲めるスタバっていいな、と思う。

080309_1234 オアシス21ではトミカ・ショップで足が止まる。先日始めたばかりの趣味「企業ロゴ入りの(ノベルティ)ミニカーを集める」を思い出したからである。

中に入るとすごい品揃えである。くるっと見て回るうち、「トミカくじ」でコカコーラのペイント・カーが当たる、というのを発見。全11種である。この中のミゼットがかわいかったので(この方のブログに画像があります)、あたるといいな、と思ってやってみる。一台525円。

結果は上の画像である。ふつうのトラックだったが、先に購入したFedExのトラック(後)と好相性だと思ったのでそれ以上追いかけるのを止める。

だいたい、こういうもんは深追いしちゃいけません。「ミニカー集め」は楽にやれる趣味として続けたいので、ここで終了です。でも誰かミゼット持ってたら連絡ください。

遊んでいるうちにいい時間になったのでオアシス21内のパン屋さんでサンドウィッチを買って、慌てて名大へ移動。図書館でうちのこじんまりとした図書館が持っていない文献を複写させてもらい、ついでに本を読んでくる予定である。

名大の図書館もまた、70sの香りと古い本の匂いが立ちこめる、いい感じの建物である。母校の図書館を思い出しながら渉猟する。学習用のブースも充実していて、ここも70s風で感じがいい。窓のそばに陣取って、文献を読んでくる。

Fl000018 2時ごろ、遅い昼食を採りに中庭へ。先ほどのサンドウィッチを食べる。春のぽかぽか陽気がびっくりするくらい気持ちいい。

ベンチに腰掛けてサンドウィッチを頬張っていたら、どこからともなく、かわいいピンクの服を着たシーズー犬が。「だんな、そのおいしそうなものおいらにもわけてくだせえ」という風情で寄ってくる。

そのつぶらな瞳がかわいいので写真を撮ろうかと思っていたら、後から飼い主のおばさんがやってきて、「すいません、大丈夫ですか?」と気遣ってくださる。「あ、大丈夫ですよ」なんて言っているうちにお犬様はむこうに行ってしまわれた。

おそらく近所のおばさんなんだろう。そりゃあ、そうだ。こんだけ広かったら散歩にうってつけだもんな。もうだだっ広いを通り越して「だだだだだっ広い」って言ってもいいくらいだもんな。

同じ中庭では、男子学生がこのだだだだだっ広さを利用して缶蹴りに興じていた。息を切らして、はあはあ言いながら、でも皆が笑っている。幼いなとは思うものの、心和む光景でもある。

また別の場所には女子学生2人が座っている。彼女らはまるで秘密の物々交換でもしているような静けさで何かを話しているが、その声はこちらには聞こえない。

また自動車の通る道路を隔てた向こう側からは、応援団の団員たちの「ばんざーい」が間欠的に響いてくる。今日は合格発表の日だったのだろう。

全体として、いつまでもここにいたい、というような日溜まりであった。春の好き日、というのはこういうことを言うのであろう。これも間違いなく「小確幸(小さいけれど確かな幸せ)」のひとつである。

そうはいってもいつまでものんびりはしていられないので、もう少し図書館に籠って仕事する。

夕方、名大を出て栄に戻ってくる。新幹線に乗る前に、早めの夕食を採りたかったのと、やっぱり結婚記念日に奥さんに何か買ってあげたかったからである。そういってこの前もエイミー・ワインハウスのCDを買ったんだけど。

ラシックをぶらぶらした結果、「おばけのラーバン」のミニバッグがあったのでそれを買ってみる。果たして結婚記念日のお祝いがそんなものでいいのかは分からない。おまけに「おばけのラーバン」なのに肝心のラーバンが絵柄に入っていない。でも、結婚記念日のちょうど一ヵ月後が奥さんの誕生日なので、本格的なものを買う予算もない。ということでこれに決定。

早めの夕食は、昨日家を出てくる前までは「よし、味噌煮込みうどん」(好物なのである)と思っていたのだが、名古屋に着いてみるとあまりの暖かさにちょっと季節外れな気がした。

Vfsh0173 そこでラシック内の「矢場とん」に方針変更。恥ずかしながら、いや別に何にも恥ずかしくないが、味噌カツなるものを食したことがなかったので、ここで食べてみようと思ったのである。栄養バランス的にも野菜がとれていいかもしれないし。

で、基本のロースかつを頼んでみたのだが、なかなかおつなものであった。確かに、お店の注意書きにあるとおり、味噌は関西人の感覚では甘すぎるので、和辛子をつけて食べたのだが、そうするとすっきりと食べられた。その他すりごま、一味、トッピングのねぎ(これは別に注文)をつけて味の変化も楽しめる。そもそも、豚肉がおいしい。

でも、別に味噌じゃなくてもいいような気がするよ。これは慣れというか馴染みの問題なんだろうな。

Vfsh0176 食後、地下のスタバで豆を購入。ここの店には「ブラックエプロン エクスクルーシヴ」が置いてあったので記念にそれを買う。通りすがりの男子が「2000円だって。誰がこれを買うんだよな。セレブ用か」などと言っていたので「じゃあ、買ってやろうじゃん」と思ってしまったのもある。

でもそれよりも、この「コロンビア ナリニョ エル タンボ」という豆がデザイン的にかっこよかったのである。黒とライトグリーンの組み合わせが、ナイキのスニーカーみたいで。

買い物終了後、名駅へ。名駅では不思議な現象が2回見られた。

ひとつは赤福である。売店の前に何十人というお客さんが並んで赤福を待っている。その前では売店のおばさんたちが段ボールから赤福を出して山ほど積み上げている。

要は、また大ブレイクしているのである。こういうのを見ると個人的にはなんだかな、と思う。もう少し会社に反省してもらうために、買い控えしたほうがいいのではないか。

もうひとつは、新幹線の有人チケット売り場で僕の前に並んでいたお兄さんが、黒人で、ビギー・スモールばりの巨漢で、真っ白に黒いピンストライプのスーツ、ボルサリーノふうの帽子、真っ白な毛皮のコートを着ていたことである。

要は、どっから見ても本家のギャングスタなのである。しかもこのビギー・スモール、目の前で流暢な日本語で「広島まで」と言っていた。

一体何者だったのだろうか。本家ギャングスタと広島のその筋の方たちとの何か楽しいイベントがあったのだろうか。

そんなことを言いながら新幹線に乗ったのが18時半。なのに家に着いたのは10時過ぎだった。とほほ。

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アントキの猪木がアントニオ猪木に会うようなもの

Fl000005 毎週末家を空けるこの3月。今週末は名古屋に行ってきた。

実は、都並の研究上のヒーローであるアメリカの某映画研究者(以下、分かる人には分かるのでDB先生と記す)が現在日本に来ていて、名古屋大学でスペシャル・トーク・イベントを行うというので、それに参加するためである。

DB先生といえば、今や北米の映画研究では押しも押されぬ大御所であって、彼の研究書を参照していない文献はないくらいのスーパースターだから、これは都並にとっては衝撃のサプライズであった。

おまけに都並自身、個人的な研究の出発点もDB先生の本だったし、結果、ことの自然な成り行きとして、その後の研究の方向性も彼と同じcognitivismの方向に行ったので、思い入れはひときわ大きい。言ってみればこれは都並にとって、タイトルにも書いたとおり、「アントキの猪木がアントニオ猪木に会う」くらいのビッグ・イベントになるわけである。

これは何を差し置いても行かずばなるまい。行って闘魂注入してもらわなければなるまい。

ということで、上述のDB先生の本を京都で買った新しいバッグに放り込んで、朝10時から電車に飛び乗った。

が、名古屋大学駅についたのは14時半。このへんが北関東生活の悲しいところである。

Fl000019 名大は実は初めてだったのだが、その広さに愕然とした。都並の出身大学も同じくらいの規模はあるはずなのだが、現在の勤務地がこじんまりとしているので、そこからの認知的なギャップがあったせいなのだろう。

くわえて、名古屋的な建築の感覚というか、建物と建物の感覚や中庭の広さなどが、他の地域よりも堂々と広々としているような気がする。

でも、これが本来の「大学」なんだよな。と思いつつ、トーク・イベントの会場へ。早めについたので席について待っていると、教室の背後にDB先生が。機材操作用のブースでPCをいじって、トークの準備をしているのがガラス越しに見えた。

「あのDB先生がここに!」と都並の胸は高まる、じゃない、高鳴る。DB先生は、リチャード・アッテンボローをベースに、ジョン・マルコヴィッチをしこたま加えて、最後にオーソン・ウェルズで味付けしたようなルックスである。

時間が来て、ブースからフラットに出てきたDB先生を、名大のF先生が御紹介されて、トークが始まる。内容は日本映画の「視覚の遊び」について。小津安二郎と溝口健二を中心に、近年の著書の内容を前提に話された。PCでスティール・ショットをふんだんに用いていたので非常に説得力があるものだった。おまけにDB先生の英語は分かりやすい。逐次通訳がついていたのだが、大体聞き取れた。もちろん、先生の本を読んでいるので内容が分かる、というのもあるが。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、質疑応答の時間に。皆が手を挙げていたので「じゃあ僕も」とダチョウ倶楽部の上島さんみたいに手を挙げたところ、当ててもらい、小津とジャームッシュの類似性について質問できた。質問はうまくできなかったが、非常に懇切丁寧に答えてもらえて、ここでも感激である。

会が解散になった後、名大のF先生のもとにご挨拶に。F先生が学会誌に載せる僕の英語論文を校正してくださり、その縁で今回のイベントも教えていただいたので、まずはご挨拶をかねて一言お礼を言いに行く。

その後、「DB先生にサインもらってもいいですか?」とF先生に聞くと「もちろん、もちろん」と。喜び勇んで後片付け中のDB先生のもとに行き、「あなたは僕のヒーローです。この本は僕の出発点です。サインを下さい」と告白。DB先生は僕の発言に目を見開いてみせ、それから気前よくサインをしてくれ、名刺交換もしてくれた。「今日は研究者として最良の日です」と伝えると、またもおおげさに驚いてみせた。

それを見ていたF先生がDB先生に僕を紹介してくれる。すると、DB先生が主催するcognitivismの学会が来年度にウィスコンシンであるのでどうぞ、と教えてもらう。「詳しくは私のHPを見てください」とのこと。「行きたいです」と答えたが、もろに学期中だし、自分が担当するゲスト・スピーカーの連続講義の真っ只中である。来年はコペンハーゲンだというから、そっちにいけたらいいな。とりあえず学会員になろう。

その後の流れで、名大の皆さんとDB先生と近所の飲み屋さんへ。いわゆる飲み会である。DB先生と差し向かいの席に座らせてもらい、またもや感激ひとしおである。

飲み会でのDB先生は気さくでとても愉快な人だった。まず、日本や香港には何度も来ているのでためらいなく日本食を食べる。生のエビだって器用にお箸で食べていた。

それから「私はめったにお酒を飲まないんだ」というので「なぜですか?」と訊くと「だって、自分がバカになった気がするからさ」と答える。さらに聞くと、タバコも吸わないしコーヒーも飲まないらしい(!)。

「じゃあどうやってリラックスするんですか」と隣の席のYくんが聞くと「うーん…散歩したり…奥さんを殴ったり…」などとジョークを飛ばす(奥さんも有名な研究者である)。僕が「あなたはいつもリラックスしているのではないですか」と聞くと「そうかもしれないね」とのこと。

その後久しぶりのお酒で酔ったのか、DB先生はデジカメを手にあちこち参加者を撮り始めた。写真を撮っては「これは小津の左右対称のショット」「これは溝口のフレーム内フレームを使ったショット」などとはしゃいでいる。本当に還暦を迎えるとは思えない童心ぶりである。

やがて宴もお開きに。映画監督志望のY青年はDB先生と2ショットを撮りたがっていたので撮って差し上げる。このとき、フラッシュの加減でどうしても顔が白く飛んでしまうので困っていたら、DB先生が「カメラは分かるんだ、貸してごらん」とマニュアルで露出を調整してくれた。どこまでも博学で、かつ気取らない先生である。

僕も2ショットをお願いしようかと思ったが、「いや。今度は海外で会おう。そしてそのときに撮ってもらうんだ」と決意して辞退する。

皆さんと別れて当夜のホテルにチェックインしたのが23時。こっちもふだん飲まないお酒で酔っ払い、シャワーもそこそこに倒れるように就寝。

朝目が覚めて、二日酔いの頭痛にびっくり。でも二日目も名古屋で仕事だ。そのためにはまずはコーヒーだ(僕もDB先生同様タバコは吸わないが、DB先生と違うのは、僕が極度のコーヒー中毒者であるということ、それから、妻を殴ったりしないということだ<嘘だ。前に寝ぼけて二発殴ったことがあります)。

朝10時にチェックアウト。朝食を採れる場所を探して出発。

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向こうから来る瞬間(レビュー:A Photographer's Life, 1990-2005)3月3日加筆

世間的には気が早い、ということになるのであろうが、大学という機関はもう年度末モードに入っているこの頃。

都並もようやく後期の授業が終わり、成績評価も終わり、また4月から怒涛のような攻めスター(ミスタイプだが気に入ったのでこのまま残す。そうさ。攻めスターさ)が始まるまで、少しだけ仕事のペースを落とせる時期に入っている。

といっても、来月末には研究会発表もあり、来年度4月からのゲスト・スピーカー連続講義のオーガナイズもあり、決してスケジュールから解放されているわけではないのだが。

ともあれ、先日書いたように、明日からは一泊二日で東京映画三昧ツアーに出かける予定だ(北関東に住んでいて、わざわざ宿をとってまで東京に映画を観に行く人間はそうはいるまい。なんだと悪かったなこの僕がその人間だ)。

そんなわけで、今日は明日観に行く予定の『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』の予習として、アニー・リーボヴィッツの写真集A Photographer's Life, 1990-2005” を鑑賞してみた。学科の同僚(先輩)の先生に写真を中心にやっている人がいて、その先生からお借りしたのである。

『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』を観る人で、写真集も観ている人がどれくらいの割合いるかわからないが、少なくとも研究者という立場上、観れるものを観ないでおくのは怠慢である。

で、この写真集だが、タイトルどおり1990年から2005年までの写真を編集したものである。その内容はというと、パーソナルな家族写真と仕事で撮った写真(人物と風景)がほぼ1:1の割合で構成されている。点数を数えたわけではないがそういう印象である。

これは、同書の表紙カバー裏にあるとおり、「私には[仕事とプライヴェートという]二つの人生はない。…人生はひとつだから、個人的な写真も仕事で撮った写真もすべてその一部なのだ」というリーボヴィッツのアイデアに基づくものである(3月3日加筆:映画の中ではリーボヴィッツの共同作業者が写真を四種類に分けていた。契約に基づくセレブのポートレイト、家族の写真と個人的な写真、最後にソンタグの写真、という四種類である)。

それを踏まえて写真を観ると(例によってあらかじめエクスキューズを用意しておくと、僕は写真の専門家ではないので、写真の観方も分からなければ歴史的な知識もないが)、この二種類の写真は、共存しているようでもあり、大きな溝に隔てられているようでもある。

溝について話すと、どんなギャップがそこにあるかというと、仕事で撮ったポートレイト(たいていの場合、誰もが知っているセレブである)は、入念に作り込まれ、演出された写真のように見える。おそらく実際そうだろう(3月3日加筆:映画を観ると、この手の写真がいかに慎重に、そしてあるものは大規模に人材と資本と時間を投下して、ディレクションされていたかがよくわかる)。言ってみれば、それらのポートレイトは、フレームという額に収められた虚構なのである。

一方で、彼女のパーソナルな写真(年老いた両親や家族など)は、そういった作為をなるたけ排除しようとしているように見える。だから、どちらの写真にも人物が写っているにもかかわらず、その見え方は驚くほど違う。

特に違うのは、彼女のパートナーだったスーザン・ソンタグの写真であろうと思う。彼女はこの写真集の中で、レンズという壁を隔てた別の世界ではなく、リーボヴィッツと同じ空間にいるような印象を与える。彼女は今にもフレームの境界を乗り越えて、ファインダーを覗いているリーボヴィッツに触れそうに見える。

このようなパーソナルなまなざしの中で、彼女がその人生のパートナーを看取り、実父を送り、9.11を体験する様を、読者は追体験する。これはそういう写真集であろうと思う。

ちなみに、この両者を見比べて、僕個人がどちらが好きかというと、断然後者が好きなのだと気づいた。この両者を言い換えるなら、前者の写真は「こちらからある瞬間を迎えに行く」ものだと思うが、後者は「向こうからやってくる瞬間を捕まえる」ものだと思う。

そういう、「向こうから来る瞬間」を捕まえるのが僕にとっての写真なのだと思う。だから、「あてもんとしてのトイカメラ」を気に入っているのだと思う。

では、なぜ「向こうから来る瞬間」のほうが「迎えに行く瞬間」よりも好きなのか。それはおそらく、「迎えに行く瞬間」は、こちらに心構えがあるだけ、捕まえるのが容易だが、「向こうから来る瞬間」は、往々にして我々の不意を突いてやってきて、さらに勝手に逃げていってしまうからである。蓋し、人生とはそういう不意の瞬間の連続なのではないか。

そういう、若干ペシミスティックな、少なくともセンチメンタルな人生観から、今日も都並はLOMOとHOLGA135を小脇に抱えて街に出るのであろう。

最後に、上述の写真集から気になった言葉を抜書きしておく(著作権の問題があるのでみだりな引用はなさらぬように)。

「写真は誰かが亡くなってから新しい意味を帯びる」
(Photographs take on new meanings after someone dies.)

写真集を観た後、僕は祖父の写真を研究室に飾った。ずっと研究書の栞代わりに挟まっていたものなのだが、もうすぐ彼の一周忌だから、外に出してあげることにしたのだ。

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渡米

明日から一週間ほどNYへ行ってまいります。その間、原理的にはホテルのビジネスセンターからも更新できるのですが、たぶん精神的にも肉体的にもそんな余裕はないので、帰ってきたらまとめて更新する予定です。

といいつつ、帰ってきたら新学期の準備で忙殺されて、その時間が取れないかもしれないのですが…。

こうして世の中の多くの人が、充実した旅行を体験しながらも、その体験記をまとめることがかなわずにまた次の旅行に出かけていくのだろうな…。そういう僕自身、去年のフランス旅行では詳細にメモを撮っていたのにもかかわらず、その旅行記がまとめられていないし。

ともあれ、本場のミュージカルと美術館&博物館、ナイキタウン、それからベーグルやらドーナツやらカップケーキやらの小麦製品(?)を楽しんできます。

僕自身の旅行プラン自体が巷間にあふれる情報の収集結果に基づいているので、新情報の提供ということには程遠いと思いますが、また帰国後時間を見つけてご報告したいと思います。

では、行ってきます。

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○○の秋

Vfsh0001 先だって書いたとおり、日曜日は東京へ旅行の準備の買出しに行ってきた。

まずはLOMO LC-A+のためのフィルム。新宿まで出て、東急ハンズにいったついでに高島屋のベスト電気に行ったら扱ってなくて、結局ビックカメラで買う羽目に。だだっぴろい売り場の隅のほうで肩身狭そうにしているコダックをようやく発見。

「しばらく足りる分買っといたら」という奥さんの助言で20本ほど買いだめする。このうち10本はNY旅行で使う予定。

いやはや、35mmを買うのに東京くんだりまで出てこなくてはならないとは、本当に銀塩フィルムはなくなってしまうのだろうか。かつてアナログレコードのコレクターが味わった恐怖をいまやフィルムカメラ愛用者が体験しているわけだが、アナログレコードのようにフィルムも生き残ってくれるだろうか。このことは以前からうすうすわかっていたこととはいえ、事態の進度のあまりの速さに慄然とする。

その後は気を取り直して伊勢丹へ。日曜日とあって買い物客でごった返す地下の食品売り場へ赴き、アンリ・ル=ルーの塩キャラメル・アソートを購入。ショコラ、カシス、フランボワーズ、アナナス(パイナップル)、オリジナルの5種類×2の10個入りで1500円なり。これを高いと思うかどうかは人それぞれだと思うけれど、個人的にはまあまあ納得の値段ではないかと思う。

ショコラを早くも試食してみたのだけれど、濃厚なわりにえぐくないカカオの味が好感触で、チョコレート味のキャラメルにありがちなキャラメル本来の味とのミスマッチ感もなくおいしかった。残りは旅行に持っていこうかな。溶けちゃいそうだけど。

そのほか、メゾンカイザーで朝食のパンを買いだめした後、中央線で丸の内に移動。

丸の内ではTOKIAビルB1の「きじ」(大阪一のお好み焼き屋だと個人的に思っている店)の支店に入る。17時ごろだったのでさほど並ばなかった。支店だからといって、滝見小路の店と同じ味とはかぎらない、と警戒して行ったのだが、これが、多少ニュアンスの違いこそあるものの同じおいしさを再現していた。そんなわけで、ひさしぶりのスジモダンとミックス焼きに舌鼓を打ち、思いがけない胃袋の里帰りを果たした。満足満足。

その後丸ビルのマークス&ウェブでアロマ・キャンドルと入浴剤を買い足した後、オアゾの丸善に飛行機の中で読む文庫本を買いに行く。

いろいろ迷った結果、うちの近所では売っていない白水Uブックスの、スティーブン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニーアーケード』(柴田元幸訳)を購入。やっぱり飛行機の中で読むのだから、これから海外に行こうという気分を盛り上げてくれるものがいい。そういう意味ではいかに面白かろうと『大阪学』なんかはもってのほかで、やっぱり海外文学が最適である。しかもミルハウザーは一応生まれもニューヨークなので、ちょうどよかろう。

実は都並は去年の今頃も、新婚旅行でパリに行く飛行機の中で、同じ理由から(同じ訳者による)スチュアート・ ダイベックの『シカゴ育ち』を読んでいった。さらには何年か前にプーケットに行ったときには、こともあろうにわざわざプールサイドで水着姿で『老人と海』を読んだりもした。こういうことを書くとたいへん単純かつミーハーな行動でお恥ずかしいけれど、やっぱり気分から入らなきゃと思ったのである(そういう意味ではパリにはデュラスなんかを読んでいくともっと良かったのかもしれないけど、実際読む作業自体が苦痛では元も子もないので、多少作家の選り好みをしました)。

買い物に満足して帰ろうと思ったとき、映画の棚で、とんでもないブツを発見(実際には発見したのは奥さん)。

なんと、僕がいちばん影響を受けているアメリカの有名研究者の大著が、翻訳されて名古屋大学出版会から出ていた。

これが日本語になるなんて。みんなこれを読めるなんて。と思わず『マスク』のジム・キャリーのように目玉を飛び出させ、あごをはずしながら驚いた。この本の存在で、今後の学生レヴェルでの論文の方向性はがらっと変わってしまうだろう。

しかも訳している先生のうち半数くらいは面識のある若手の先生方なのである。なのに翻訳の情報はぜんぜん知らなかった。それだけに余計にびっくりした。

一冊買おうかと思ったが、原語のを持っているのでやめにする。

家に帰ったら、阪神が巨人とまだ試合をやっていたので観る。延長の末の勝利、首位死守、10連勝。思わずガッツポーズをする。

Vfsh0004 その後お風呂に入り、奥さんと今度はF1イタリア戦を観る。やっぱりハミルトンはすごいわ。アロンソもすごいけど、あそこでライコネンを抜いたのはやっぱりすごいわ。

今までF1はおろかモータースポーツ自体あまり興味がなかったのだけれど、最近のF1はほんと面白いと思う。主力ドライバーの多くはまだ20代だし、今後に注目したいドライバーがたくさんいる。それになんといっても、ソフトタイヤとハードタイヤの両方を使う、というルールが、レースに戦略性を増して、観戦をより面白くしていると思う。そのせいかクラッシュも増えた気がするし(錯覚かもしれませんが)、そういう意味ではなんとなく格闘技じみてきた趣もある。

Vfsh0330 そういえば日曜日はあちこちにF1が展示してあった。富士スピードウェイの宣伝のためだろう。新宿の小田急にはホンダ(もうすこしがんばってくれるといいのに)、東京駅の丸の内の地下にはルノーが展示してあった。探せばどこかにフェラーリやマクラーレンもあったのだろうか。探してまで見に行こうとは思わないけど、ホンダとルノーはいちおう写真を撮ってみた。

明けて今日、大学に来たら、昨日丸善で僕を驚愕させたブツが届いていた。謹呈ということでいただいたらしい。買わなくてよかった。訳者の先生にお礼のメールをしておかなければ。そして「次回こういう話があったら参加させてください」といわなくては。

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シュヴァンクマイエルとムーア

Vfsh0326 帰省する奥さんを送っていくついでに、東京まで足を伸ばし、街をぶらぶら歩いて、展覧会と映画を観て帰ってきた(今日も長い日記ですあしからず)。

展覧会は、ラフォーレミュージアム原宿でやっている「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 ~アリス、あるいは快楽原則~」。

正直言って、シュヴァンクマイエルさんは僕の学究的関心からいうとちょっと離れたところにある。どれくらい離れているかというと、かの松坂くんのいるボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークの、「ローン・レッド・シート」(場外ホームランをのぞく場内でのホームランの最長到達記録を示す、ひとつだけ赤く塗られたシート)くらい離れている。つまり、いちおう視線のとどくところではあるのだが、守備範囲ではないということである。

いらない喩えでしたね、これは。

しかしながら、たまにそういう離れた地点のものを観ることでいろいろと視野が広がったりインスピレーションが得られたりすることもあるので、ものはついでに観てきた。

それに、北関東では何かと得ることが難しい文化的な情報に触れたい、という周期的に訪れる欲求もあった。なんといっても原宿である。

でも結果的にいうと、シュヴァンクマイエル夫妻の絵画と造形物だけを観る、というのは多少フラストレーションを感じるものがあった。言い換えると、画家ないし造形芸術家として夫妻をみると、映像において彼らが達成している地点と比較するとどうしても、見劣りする部分があったのである。

というのは、シュヴァンクマイエルのシュルレアリストとしての根幹的手法や発想が、どうしてもありきたりなものを超えていかないように感じてしまったからである。というか、これはシュルレアリスト全般にいえることなのかもしれないが、どの展示物からも、理念先行形の知的な編集・剪定作業の結果のようなものが仄見えて、いわくいいがたい非論理的などろどろしたものの中から感覚的本能的に現れる表現をスポイルしているように見えたのである。

もちろん、理性的なものに対する感覚的なものの優位、という発想自体、芸術と天才に対する伝統的な思考、あるいは固定観念以外のなにものでもない、といわれれば反論は難しいのだけれど。

それでもやっぱり、映像、動画の中に結実した彼らの膨大な集中力の結果を評価するのがシュヴァンクマイエル作品の正しい評価なのかな、という気もする。

なんにしても、『アリス』や『オテサーネク』『悦楽共犯者』に実際に使用された人形などを見ることができたので、その意味では見に行った甲斐があった。

この展覧会、原宿という土地柄、お客さんはよく入っていた。中にはいかにもアート系という奇抜な服装、髪型の人たちも多かった。そういう人たちが、表層的にシュヴァンクマイエルを模倣して、安易な劣化したコピーを再生産しないことを切に望む。

ミュージアムを出て、午後3時。少し原宿をぶらぶらするが特に心を惹くものはない。17時半から新宿バルト9で『シッコ』を観ようと思っていたので、新宿に移動する。

新宿ではサザンテラスに「クリスピー・クリーム・ドーナツ」、南口改札内に「ドーナツ・プラント」があったのを思い出し、「よし、いっちょNYに行く前に食べ比べてみるか」と非常に馬鹿なことを思いつく。

が、行ってみるとこの「クリスピー・クリーム」がすごいことになっていた。店外に長打の列ができていたのである。ざっと50人くらいいたんじゃないだろうか。そんなに並んでまでたかがドーナツを食べたくはないので「ふん、ノースカロライナの田舎ものめ」と心の中で罵りつつ(自分の行動自体が田舎ものなわけだが)、しょうがないので隣のスターバックスに避難。

コーヒーを飲み終わり、タワーレコードと紀伊國屋を覗いて、バルト9へ。チケットを購入してから、リニューアル後評判の新宿伊勢丹に詣でる。

ほんとにいろいろうわさを聞くけど、たしかに、地下の食品売り場は楽しい。ちょっと日々の食卓を盛り上げるか、という気分にさせてくれる。

ショップもクリスティーヌ・フェルベールさんやジャン=ポール・エヴァンさんが入っているし、プラリュのピラミッドも売っている。

この中から何か奥さんに買って帰ろうかとも思ったが、二、三日留守にしているので日持ちがしないものはだめだし、といって長持ちするものも、一週間後には旅行に行くので、冷蔵庫の中に残していくわけにはいかない。

ので何も買いませんでした。奥さん、ごめんね。マークス&ウェブの入浴剤も買って帰るのすこっと忘れてごめんね。NYで何か買ってあげるからね(口約束)。

そのほか、オリーブ・オイルのテイスティング・コーナーも試してみたかったけど、この間新しいボトルを一本購入したのがまだたっぷり残っているような記憶があったので、これも次回奥さんを伴って、関西弁でいうところの「やいやい」言いつつチャレンジすることを決意する。

その後、これもうわさのメンズ館へ。ここはなんかかまえてしまう感じの店舗だった。さすがに新宿、「わたしたちはおしゃれです!あなたはどうですか!さあこい!」って感じの店内に「さあこい!」って感じの店員さんがいる。別に人から笑われるようなかっこうはしていないつもりだけど、それでもちょっと気後れしてしまう。

でも、地下の靴売り場は楽しい。もとより靴が大好きなのもあるけれど、いわゆるビジネスマンさんの「ふだん使い」の、クラークスとかティンバーランドとかリーガルとかカンペールがエスカレーター沿いの壁面に展示してあって、「こういうものを買ってもいいんだよ。ジョン・ロブなんて買えないのはわかってるから気にしないで」と手招きしている(もちろん、その周囲には「え、これCPU何使っているの?排気量は何CC?」と聞きたくなるような靴も売っているわけではあるが)。

複雑な思いで伊勢丹を後にし、バルト9へ。バルトとはロラン・バルトかとてっきり思っていたらドイツ語の森(WALD)であった。シュヴァルツヴァルト(黒い森)のWALDである。そりゃそうだよな。

ブルータスか何かに載っていたので、さぞや絢爛豪華なシネコンかと期待して行ったのだけど、案外ふつうの映画館だった。ただ、10+α階のエスカレーターから一望できる新宿御苑を含む景色は「おお、メガロポリス」と思わせるものがあった。

『シッコ』は大変面白かったが、ドキュメンタリーという性格上、安易にレビューを書くよりも情報を集めてから判断するほうが適切だと思うので、また後日レビューします。

ひとこと言っておくと、家族と人生に関わるテーマなだけに、過去のマイケル・ムーア作品よりもヒューマニスティックな部分があり、実際感動させられる。この感動はプロパガンダ/アジテーションとセットになっている部分があるので、慎重にならなければいけないとは思うが。

Vfsh0327 映画を観終わってからタイムズスクウェア方面(この名前どうなんだ)に移動。夕食はジャーナル・スタンダード(どっちかというとラフでラギッドなカジュアルを専門とするベイクルーズのアパレル・チェーン)がなぜか手がけている「スタンダードバーガーズ」に入ってみる。

男一人でも入れる店がほかに見つからなかったのと、アボカドバーガーがメニューにあったからである(写真)。味はまずまず。アボカドはクア・アイナの半分くらいしか挟まれてないけど、ワサビが利いているしパテの味も良好。ログキットの佐世保バーガーみたいにソースがくどいこともない。セットのポテトも大振りでかりっとしている(シェイキーズのビュッフェにありそうなポテトではある)。

おまけに、100円アップでドリンクがミラーズになるのもうれしい(写真はバーガーが待ちきれずに少し飲んじゃってます。はしたないですね)。ブルックリン・ラガーが600円超するのはどうかと思うが。

おなかが膨れたところで、湘南新宿ラインに乗って帰宅。よく歩いた一日だった。

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トラディッショナル七夕祭り

Vfsh0254 この金・土・日の三日間、我が町では「七夕祭り」が行われています。七夕を町を上げて祝う、なんてことは、関西に住んでいた時にはまったく縁がなかったので、興味を持って奥さんと行ってみました。以下はその報告です。

祭り、といっても、山車が出たり神輿を担いだりというのではなく(そういう、おそらく祇園祭系の祭りは、月末にもう一個あるのだそうです)、七夕であるから笹に飾り物をして、そのほかいくつか仕掛けのある作り物を出して、それを旧の中山道沿いにずらっと並べるというのが一応の見ものらしい。

そんなわけで、その中山道をみんながのんびり歩く、というのが参加者に要求される唯一の行動であって、そういう意味ではスケジュール的にも行動パターン的にも特に「ここ」という焦点のない、マイペースな祭りといえようか。

その中山道であるが、うちのマンションから骨折しててもいけるくらいすぐのところに通っている。街道といってもふだんは鄙びた商店街に過ぎないのだが、その一帯が、この三日間ばかりは、夜店が延々と立ち並んで、かなりの活気になっている。

聞けば、この三日間で16万人くらい来る、というから、相当なものではないか。

この屋台ロードを、奥さんとぶらぶら歩く。屋台なんてどこでもいっしょだろうと思っていたら、これがなかなかどうして、関西から越してきた人間には見慣れないものがたくさん有って面白い。

まずは一番上の画像だが、「おばけ屋敷」である。もちろん仮設の小屋であるから、中で人が驚かすのだろうか。オトナは600円もするので中には入らなかったが、こういうものが未だに残っているというのは、ちょっとすごいと思う。関西では、立地の関係もあるのだろうが、こういうものはまず見たことがない。このおばけ屋敷、入り口の前でおばちゃんが拡声器で威勢良く呼びかけを行っており、その声が遠くまでこだまして、夏の夜をどぎつく彩っていた。

Vfsh0255それから、射的もたくさんあった。これは関西の祭りでも見かけるが、数は関西より多かった気がする。

もうひとつ、奥さんが興味津々だったのは「カタヌキ」である。僕は文化研究者であり博学なので(もちろん冗談ですよ)存在は聞き知ってはいたのだが、関西の屋台にはないものなので現物は初めて見た。奥さんは存在すら初めて知ったようで「何これ?何これ?」と非常に興味を持ったようだった。さすがにいい年なので初挑戦はしなかったが、我々が異文化を最も強く感じたのがこのカタヌキだった。

そのほか、屋台には北関東らしくケバブの店も何件かあり、これはチキンとキャベツとソースだけの簡素なものだったが、ちょっと食べてみたところなかなかいけた。

最後に、屋台、ということでは元大阪人としてぜひ付言しておきたいのが、「大阪焼き」である。簡単に言うと、今川焼き(大判焼き)の機械に、皮とお好み焼きの具を入れて焼く、という食べ物らしい。これもここで初めて見たのだが、すでに多くの人がネット上でも指摘しているように、大阪ではこんなもの食べません。どこでどうまかり間違ってこんな食べ物ができたのか、実に不思議だ。

…とまあ、全般に、地方の古き良き夏祭りを堪能した週末だった。人が思ったより多く、けんか騒ぎなんかもあったのは辟易したが、若い人たちも多かったし、町が元気なのはいいことだろう。

Vfsh0256 追記:今日「エンタの神様」で長井秀和氏が「俺の思い込み。エロカワファッションの女の子達は、みんな北関東出身なんだ」と言っていたが、言い得て妙、というもので、本当に露出度の高い女の子とヤンキーっぽい男の子が大量に出没し、あちこちでお互いに不思議な周波数の音波を「けばっ、けばっ」と送り合っていた。なんだか気疲れのする光景だった。

最後の画像は、絶妙なアルカイック・スマイルが僕の心を不思議に捉えて離さなかった、何のパクリなのかもはっきりしないクレープ屋さんのイラストです。

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モネがもう、ね。

遅ればせながら日曜日に「モネ大回顧展」へ行ってきた。

ここのところ精力的に映画館や展覧会に足を運んでいるのだが自分でもどういう心境の変化か良く分からない。特に展覧会などは、京都に住んでいた時分にはいちども行こうなどとは思わなかったから不思議なものだ。京都というと寺社仏閣だが、それも申し訳程度に詣でただけで、どういうわけだか、圧倒的な文化資本に囲まれているときにはそれをありがたいとも思わず、日々遊興に現を抜かしていて、逆に今日このような北関東の素朴な風土に棲まうに至ってそれを熱烈に求めるようになったというわけである(以上明治・大正の文豪ふう)。

ともかく、何事にも情報の最先端ではない都並は(Marvel 3Ageだって調べてみたら一年も前の生産であった)、国立の新美術館にしても東京ミッドタウンにしても、うわさを聞いたところで特に行きたいとは思わなかったのだが、会期終了直前になって急に「このチャンスにモネを観ておきたい」という虫が騒ぎ始めたのである。

そういうわけで日曜日は朝11時45分ごろの電車に乗って、がったんごとんと揺られに揺られて、13時過ぎに乃木坂についた。その間ずっと『ゾディアック』の原作本を読んでいた。

『ゾディアック』を持ってきたのは、すっごく並ぶだろうな、と思ったからである。なぜなら

①六本木に新しくできた美術館

②すぐ隣に東京ミッドタウンもできた

③美術の教科書で誰でも知ってるモネが100点以上、その中には世界的名作も多数

④会期は翌日で終了、という最後の日曜日

と、まあ、混む理由がびっくりするくらい重なっている。こういうとき混雑を予想しないで出かけるのは自殺行為というものだ。

だから僕はあらかじめ

①『ゾディアック』原作本(600頁の文庫本)

②フル充電のiPod nano(これは別の意味でも必要である<後述)

③ビオレ汗拭きシートとハンカチ

④扇子

⑤歩きやすい靴

を用意していった。そのうちの『ゾディアック』を、移動中の電車で早くもがんがん読んでしまった。

会場に入ったのが13時半くらいだったのだが、館内はやはり長蛇の列。といっても待ち時間は70分くらい。この70分、というのをどう受け止めるかだが、僕は「まあ、短いほうかな」と思った。そもそもセンセイ稼業というものは90分単位で立ちっぱなし、という状況に慣れている。さらに僕の場合、奥さんとテーマパークで2時間近くアトラクションに並ぶ経験もつんでいる。というわけでさしたる驚きもなく平然と列に並ぶ。

新美術館のいいところは、巨大なロビーを利用して(大阪の某美術館と違って)館内に並ぶので、日差しや気温に悩まされることもないという点だろう。足元に空調があってそのそばに立っていると夏であることを忘れるくらい涼しい(ただし靴が軽装だと足が冷える)。

粛々と列は進み、ギャラリーに入ったのが2時半。家を出てから3時間かかった計算だが、「オルセーに行くよりは早い」というのがこういうときの自己説得の決まり文句である。

順路はどこも混んでいるが、すべての絵で最前列に並ぶことができる。おかげでひとつひとつ丁寧に観ていくことができたのだが、気に入った絵、例えば『かささぎ』なんかをじっくりと観ていったら、順路半ばで1時間も経過していた。

ここでいったん30分の休息。集中力を使いすぎて絵が頭に入ってこなくなったのだ。この美術館には休憩室があるというのでそこに避難し(ちょっとした椅子があるだけの空間だったが)奥さんにメールなどする。

この時点で、ちょっとした登山家のような心境になる。いやはやこれは本当にひとつのオデッセイである。しかし良く考えてみれば、画家の人生自体がひとつの探求の旅だったのだから、それにある程度(きわめて表層的にだが)お付き合いするのがそんなに楽なわけはない。

16時ごろに、いくぶん頭がすっきりしてきたので休憩室を出る。

そこから後半をさらに1時間強かけてみたのだが、もうこれがほんっとうにすごい体験だった。一見なんでもない光景を描いた『積みわら』の連作や『ポプラ並木』の連作を見るうちに、展覧会の図版中に収められた画家自身の言葉(例によってうろおぼえですごめんなさい)、「私は『包み込むもの』を、すなわち光を描きたい』という言葉の意味がびしびしと伝わってくる。

と、ここからは、僕はモネの専門家でもなんでもないので、独善的な解釈に陥ってしまうかもしれないことをご容赦いただきたいのだが、彼の絵に描かれているもの、永遠に凍結されているものは、ある季節、ある時間帯の光と影なのだ。すべての絵が、その前で数分間立ち止まっていると、光と空気を持った空間として体験されるようになる。

かつて映画界では、撮影監督ネストール・アルメンドロスが、テレンス・マリックの『天国の日々』を撮ったときに、映画史に残る達成をした。彼らは、「一日の終わりの、夕暮れのひととき、日の光がなんともいえず優しくなる時間」を「魔法の20分間」と呼び、意図的にその時間帯に撮影を行うことですばらしい映像美を作り上げたのだ。それと同じように、「うつろいゆく太陽の光を封じ込めよう」としたモネの意志が、キャンバスを通じて伝わってくる。

そういう意味で、一般的には50歳までの作品の評価が高いようだが(モネは1840年生まれなので、制作年から年齢の逆算がしやすい)都並にとっては50歳を過ぎてからの作品、ロンドンやヴェニスでの連作のほうが凄みを感じた。

思うに(何度も念を押しておきますがこれは都並の勝手な解釈ですよ)、これらの作品では彼は、通常絵画が描かれることのない時間帯や天候の中での視覚的体験を絵にすることに取り組んだのだと思う。つまり、薄暮の時間帯や霧の中の光景がそれである。絵画の世界が見過ごしがちなそんな時間帯・気候の中でも我々は生き、見、世界を体験しているのだということを、コントラストを抑えた画面の中に彼は捉えようとしたのではないか。

などと勝手に偉そうなことを考えつつ、個人的にキャンバスの前に跪きたいくらいの感動を受けた。これまで観てきた展覧会の中でも1、2を争う体験だったのではないか。

しかしまあ、巨匠モネともなると、展覧会を観に来るお客様の、その年齢も人種も実に様々なことよ。おじさま・おばさま、小学生、カップル、老人と、あらゆる世代の観客がいた。

その中で(と、ここからは腹黒いことを言うのをご容赦いただきたいのだが)もっとも辟易するのはおば様同士のグループである。

芸術は万人に開かれているものだし、その鑑賞体験に優劣もないということを前提としていうのだが

「まあ、きれい、ね?」

「ほんとに、色使いが繊細だわ」

などと、敢えて言わなくてもいいようなことを口にするのはなぜか。なぜそうやってあなたたち自身の貴重な体験をすぐに陳腐な言葉に還元してしまうのか。なぜ、そうすることによって周囲の人間の鑑賞体験に影響を与えていることに気づかないのか。

どうして、コンサートや演劇や映画ではみな静かにしているのに、展覧会ではこのような無用なおしゃべりが存在するのだろう。芸術作品と一対一で向かい合うときに、言葉は必要ないではないか。話したければ外のカフェで話せばいいのである。

だから美術展にはiPodがいるのである。

かつてウィトゲンシュタインはこう言ったではないか。

「語りえぬものについては、人は沈黙しなければならないのである」(それは意味が違う)。

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レビュー:舞台芸術の世界展

現在京都国立近代美術館で開催されている「舞台芸術の世界~ディアギレフのロシア・バレエと舞台デザイン~」(7月26日から東京の庭園美術館に来るそうです)に行ってきた。

仕事の関係で「薄井コレクション」にあるものはだいたい生で観て知っているのだが、海外のバレエ・リュス関係の資料が観られるというので、興味があった。

感想を述べるなら、トピックごとに整理された構成は見やすくて分かりやすい。前衛性(例えば未来主義)と民族性(ロシアの伝統)がバレエ・リュスを構成していたことが良く分かる。

また面白いのは、衣裳デザインのスケッチが、複数のデザイナーについて比較検討できることだ。これによって、あくまで構築的に、人の身体に着せるのだ、ということを前提にしたスケッチを描く人と、そういった実現可能性はさておき、まずは紙の上で自己の理想(空想)を把握しようとする人とが、バレエ・リュスに混在していたことが分かる(バクストは両者の中間にあるかもしれない)。

この、上演可能性と純然たる空想の狭間にあった前衛性が、エドワード・ゴードン・クレイグの舞台装置同様、バレエ・リュスの舞台を定義していたものなのではないか。

展示についてもう少し書くならば、『牧神の午後』や『ペトルーシュカ』、『薔薇の精』などの再現上演の映像が観られるのもよい。『牧神』なんかは、いかに性的なエネルギーがこの上演に満ちていたか、を推察する手がかりになるだろう。

しかし、この辺の上演が、現在世界中で手がけられるバレエの舞台においてどの程度レアなものなのか、ということがちゃんと説明されていないせいか、素通りする観客(とくにおばちゃん)が多かったのは残念である。

えてして、展覧会における動画は、「作品そのもの」ではなくて補助的な説明物だと思われている。ベンヤミン以前の「アウラ」が美術館ではまだ生き残っているというか、映像は一段低く見られているのだ。しかしこういった舞台芸術のジャンルに関しては、上演こそが最終形態なのだから、エスキスをありがたがってばかりいないで、たとえ再現上演でも、たとえその映像記録に過ぎなくても、ちゃんと映像を観るべきだと思う。10分くらいで終わるのだから。

いずれにせよ、大学の学部生くらいの子で、「バレエ」というと、チュチュをつけた、それこそ『白鳥の湖』のヴィジュアル・イメージしか抱いていないような子に、「バレエって、本当はこんなに自由なんだよ」ということを教えるのに、バレエ・リュスは重要な存在だと思う。そういう思いで図版も購入してきた。

それにしても、世紀の逸材を集めてプロジェクトを成功させたディアギレフの才能よ。羨ましい限りだよ。

追記:明日僕の師匠が講演します。

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点線の中の僕(プロジェクトTNT)

Vfsh0250_1 火曜日。

日航ホテルを8時過ぎに出立し、前日休館日で悔しい思いをした「舞台芸術の世界」展へ。11時から散髪の予約を入れてあるのだったが、1時間ほどで観てくれば間に合う計算。

関係者HN女史に聞くと「庭園美術館の方が、ハコも点数のバランスもよくってよ」とのことだったが、東京の美術館に行く、というのはタイミングを逃すといつになるかわからないので、京都に行っておくことにした。

予定通りに京都国立近代美術館につき、高校生の時分ここでアンゼルム・キーファーを観たなあ、などと思い出しながら展覧会へ。

細かいレビューは別記事にすることにして、時計を気にしながらきっちり一時間で観て回る。図版を買おうか買おうまいか悩んだのだが(けっこう値段が高いんだもん)、「いやしかし今後、授業に使えるかもしれないではないか。そもそもバレエ・リュス関係の資料の印刷物を持っているのか?」という内なる声が聞こえ、購入を決定。

10時半にバスに乗り、11時、高辻新町のLibertaへ。ここのサイトに写真が載っている人に髪を切ってもらう。

12時すぎにカットが終わって、奥さんと合流。あまりの蒸し暑さに死にそうになりながらタクシーを拾い、パダワン少年のところへルードゥーをしに行く。

Vfsh0251  といっても、ついたのがお昼ごろ。義務教育期間中であるパダワン少年はまだ授業である。そこで、しっぽうさぎさんにお昼をごちそうになりながら、大人の会話を楽しむ。しっぽうさぎさんのファッションの来歴が分かってとても興味深かった。

しかし平穏な時は長くは続かないもので、3時過ぎにパダワン少年が帰ってくる。なぜかTシャツの襟ぐりがでろんでろんに伸びている。朝着ていったときにはちゃんとしていたらしいのだが。

それよりも何よりも、たった3ヶ月会わなかっただけで、また少しオトナっぽい顔になっていたのでびっくりする。子供の成長って早いんだなあ。

と、なんだか親戚の叔父さんみたいな気分になる。

ここで都並の思考はあらぬ方向に、自らの少年時代へと向かう。しゅぱー(思考が向かう音)。

思えば、僕が小学生だったころは、学校が長い休みになるたびに、今年3月に他界した祖父のところに帰省していた。そこで祖父は僕達3兄弟、自称3匹のこぶたを思いっきり甘やかしてくれたのだが、彼の眼にも僕らはこんなふうに映ったのだろうか。

3ヶ月毎に現われては、マッハの速度で大きくなっていく、真っ黒に日焼けした、痩せた子供たち。彼は、言ってみれば、直線状に途切れなくつづく僕らの人生を、ある点線として眺めていたわけだ。彼はそんな点線の中の僕らのことをどんな思いで見ていたのだろうか。

ぱしぃー(思考が現実に帰る音)。

などと思いを馳せている時間はわずか一瞬で、というのも目の前のパダワン少年はそんな隙などぜんぜん与えてくれないからだ。

面子が揃うとすぐに2回めのルードゥー・タイムが始まる。しかし子供というのは常に、よい点も悪い点も持った生き物である。

パダワンくんもその例に漏れず、「お兄ちゃん、遠くに行くお仕事はもう終わったの?」(つまり、北関東から京都にもう戻ってきたの?)などと感動的な発言をしてくれる一方で、「腐った○○○が燃え出ーしー♪」というここで書きにくいようなオリジナル・ソングを披露してくれる逸材なのである。

そのパダワンくん、我々のいない間にも客人を捕まえてはルードゥーをしていたらしく(パッケージの箱は早くもぼろぼろだった)、その間に少しずつ、理の当然として、彼に不利にはならないように作られたオリジナル・ルールを付け加えていた。

が、この新ルールがゲームの質を「ぬるく」してしまったのは否めなかった。この点はしっぽうさぎさんも直ちに気づかれたようで、「次回はもとのルールで」と、早くも次回(8月かな)のレギュレーションを設定してくださった。

楽しい時間は瞬く間に過ぎ、6時過ぎにしっぽうさぎさん宅を出る。バスに乗って京都駅へ。ここから奥さんは実家へ。僕は東京行きの新幹線に。しばらく別々である。

帰りの新幹線の中でまた、点線と実線について考える。例えば奥さんと僕とは、デートという点線を重ねて結婚という二重線の実線にたどり着いたのだ。家族というのはこういう多重の実線を作っていくことなのだな。

そして、奥さんを送り出してくれたお父さんお母さん。お二人の中ではまた、奥さんは点線になってしまった。今、そのことをどんな思いで受け止めてらっしゃるのだろうか。

という感傷的な思いとホップちゃんエビスを乗せて、新幹線は東京に向かう。

しゅぱー。

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一回戦:X-MEN VS バットマン/二回戦:長男 VS 三男

明けて月曜日。

僕は一日オフ。本当なら奥さんと京都でもぶらぶらしたいところだが、奥さんは午前中だけ仕事があったので、午後から合流することに。しかたないので僕だけで京都をぶらぶらする。

全くノープランだったのだが、行きの地下鉄の吊り広告で「舞台芸術の世界」展なる展覧会が京都国立近代美術館でやっているのを発見。九時半からやっているというのでバスに乗っていそいそと出かける。

そもそもバレエ・リュスの世界には縁があって、以前勤めていた職場で、現在兵庫県立芸術文化センターに所蔵されているバレエ関係資料の世界的コレクション「薄井コレクション」の展覧会に関わる仕事をしたことがあった。その関係で、舞踊研究家のHNさん(すごい美人で、それは関係ないけどつい昨日ニジンスキーの本を出版されました)ともお知り合いになり、バレエ・リュスの世界について薫陶を受けたのである。だから、『青い神』とか『パラード』とかカルサーヴィナとかバクストとか一応は知っている。

さらによくよく吊り広告を見れば、この「薄井コレクション」からも数点出展されているようではないか。これは行かない手はない。何せ全国的に見たら、僕はむしろ「内部」の人間なのである。

…と思ってはりきって行ったら休館日だった。心の中で「あんたバカね、おほほ」というアホの坂田こと坂田利夫氏の名文句がこだまする。

仕方ないので、三条に戻り、MOVIX京都にて『プレステージ』を観る。『バットマン』のクリスチャン・ベールと、『X-MEN』のヒュー・ジャックマンが対決する、という趣向も面白いし、何せ監督はクリストファー・ノーランだし、ミクシィのレビューであの『ゾディアック』よりも褒めている人がいたりしたし、興味津々であった。

しかし映画は10時50分からで、少し間があったので、1Fの紀伊国屋書店にてDVDの渉猟。今度学内の予算で大量に買えるので、めぼしいタイトルをピックアップしては大学のアドレスに携帯からメールする。フランク・キャプラのボックスセットなんかはぜひほしいところだ。

夢中になっている間に時間が来たので映画へ。

結果から言うと、しごく残念な映画であった。個人的には、バットマン対X-MENは暑苦しいだけだったし、拾うところのない映画であった。詳しくは別記事のレビューにて。

その残念な気分を払拭すべく、奥さんと合流してお気に入りのレストラン「オステリア・バスティーユ」へ。ここはイタリアン×フレンチのおいしいランチがリーズナブルに味わえるし、店の雰囲気も構えがないので居心地がいい。

ふたりともチキンの香草パン粉焼きのランチを頼んだのだが、時間が遅かったのでチキンが売り切れ、僕のぶんは豚バラ肉のローストにしてもらった。メニューにない料理が食べられてむしろラッキーな感じである。おかげで『プレステージ』の残念な印象から立ち直る。それぞれのランチのお肉の下にはラタトウィユふうのソースがかかったクスクスが敷いてあってこれがまたおいしい。実際僕はこの店で初めてクスクスっておいしいんだと思ったくらいである。

これを満喫した後、デザートにアールグレイのブランマンジェをいただく。だって、お店のお姉さんが「できたてでぷるぷるとろとろですよ」っていうんだもん。これがまた、なんともまあ、ぷるぷるとろとろであったことよ。

食事を終えた後、奥さんに付き合って小さな手芸系雑貨店「ボビンロビン」へ。奥さんはここでポーチのキットを買っていた。それから新風館へ移動。奥さんの部屋着を見繕いにビームス・ボーイへ入ったら、LEGO×ポール・フランクのTシャツ(柄は違うけどノリ的にはこんなんです)を発見。かわいかったのだが色が奥さんのキャラに合わないというので買い控える。メンズがあったら買っていたのだが幸いメンズはなかった。

その後東山三条へ。京都にいるうちに、と思いつつ一度も行かなかった「信三郎帆布」へ。一澤家のリア王的な跡目争いはかねがね色々聞いていて、実際のところどちらに正義があるのかはわからないのだが、個人的には「ずっとお店をやっていた」という三男さん、信三郎さんに肩入れをしている。純粋にモノだけを見ると、信三郎さんのものはかつての「一澤帆布」の垢抜けない感じ(防空壕とかが似合う感じ)とは程遠く、モダナイズされたぶんオーラが抜けている。どうやらロゴとかデザイン(型番)の使用権は長男さんにあるのだろう。だから、昔の「昭和」の香りが好きなファンには「信三郎帆布」はなかなか受け容れがたいのかもしれないが、「第二の遺言書」の真贋の微妙さとかを考えると、長男さんのお店のものを買う気にはなれない。

とかなんとかいいつつ、長男さんのお店は前を素通りして、信三郎さんのところでお弁当用のトートを買ってきた。ひとつ4000円。ものは頑丈だろうから、まあ、いい買い物だろう。

しかしまあ、この関西行では一種箍が外れたように買い物をしてしまった。それだけ日ごろ身近に買い物をするところがない、ということなのだろうが、それにしても、自己イメージを維持する方法を買い物に求める我が「消費アフロエンザ」については、いかに、イーグルトンが言うように、資本主義のグローバリゼーションが今日の「大きな物語」だとしても、少し反省が必要かもしれない。

その後夜はお父さんお母さんと合流。行きつけのお寿司屋さんでご飯を食べたあと、日航プリンセスホテルにて就寝。学会の疲れが出て、『シュレック2』の途中で夢の世界に旅立ってしまった。

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ネギ星人大阪に帰る(プロジェクトTNT)

土日は先日とは別の学会で帰阪していた。

この学会は基本関西勢の研究者が元気なのだが、そればかりでなく、僕のゼミの師匠のお二人が会長と事務局長をされている。そんなわけで当然出身ゼミの人間も多いし、里帰りみたいなもので、ほっと一安心できる(学会によっては出かけていっても孤立無援、懇親会でも知り合い作りに一苦労、ってことがなくもない)。

この学会に二日間参加、他人の発表を聞いているといい刺激になり、来年度の講義のアイデアなどぷわぷわ浮いてくる。自分の専門分野と微妙にずれているのがかえっていいヒントをくれる。

今回の帰阪は、二日間の宿にしたホテルが「ここは独房か」というくらいの狭い部屋で(ユニットバスが狭すぎて、洗面台とトイレを置いたらもうバスタブが置けないサイズなので、仕方なしにバスタブが台形になっている、というすごい部屋である)びっくりしたが、それ以外はいい旅であった。

初日の夜は懇親会の後、大阪のブロンクス十三にて、キャッシュ・オン・デリバリーと自ら謳っている大衆的居酒屋を満喫。要はこちらが何かを注文するごとに、テーブルの上に置いたお金から店の人が代金ぶんを持っていく、というワイルド・スタイルのお店である。

こういうお店は、自家用車‐国道‐大型駐車場つき路面店で成り立っている北関東にはまずないものなので、久しぶりで実に楽しかった。僕自身10代の終わりに大阪に出てきたときには、この十三という町のワイルドさに正直びびったものだが、今となっては落ち着ける場所とさえいえる。

二日目の夜は、友人を再訪したかったが都合が合わず、ひとり「やまもと」のねぎ焼きを食べに出かける。

Vfsh0248 ネギ星人、孤独だが至福のひとときである。正直、大阪・梅田でお好み焼きを食べるなら、ここ「やまもと」かスカイビル地下の「きじ」を猛烈に、それこそあなたが息苦しくなるくらいにオススメする。

「大阪来たし、いっぺんねぎ焼きちゅうもん食ってみよかー」と思ったら「やまもと」、「ええー、ふつうのお好み焼きがええわー」というなら「きじ」で絶対に外れなしである。正直どっちのお店も行列必至だが、並ぶ価値はある。これを食べて「おいしくない」という人がいたら、それは…味覚の違いかな。いえ、いいんです。わたしは差異を否定しません。ポスト・モダニズム以降(変な日本語)、差異は豊穣なるものですから。

ついでにこの日はHEPのクラークスにて仕事に使う靴を購入。結婚式以来ずっとポール・スミスさんの靴を履いてきたのだが、最近ちょっと底が磨り減りすぎたので、買い替えと相成った。クラークスは実は初めてだったのだが、知り合いのカメラマンさんが「僕は靴はクラークス・オンリー」と言っていたので、それじゃあちょっと買ってみようか、と思ったのである。

しかも、これまで都並は「革靴っていうのは、底まで革じゃなきゃ、革靴じゃないぜ」をスローガンに、融通の利かないこだわりを靴選びにも適用してきたのだが、このたびついにゴム底の靴に変えた。というのも、北関東のワイルドな舗装道路が、雨降りのたびに水溜りの水を底から浸食させてくれるからである。

買い物に弾みがついて、ついついタワーレコードにも立ち寄る。北関東にもタワーレコードはあるが、品揃えが違うので、うれしくなって試聴しまくる。いろいろ聞いた中で、ニコデマスジョン・バトラー・トリオとどれにするか迷ったのだが、今はやりのサーフ・ロックのコーナーで「ALO」なるバンドのCDを購入。ジャック・ジョンソンをもう少し筋骨隆々とさせた感じで、しっかりしたバンドサウンドとレイドバックした雰囲気のバランスがよい。この夏のドライブに、自宅でうだうだするときに、といろいろ活躍しそうなのでこれに決めた。

これらの戦利品を手に、日曜日は奥さんの実家@滋賀に帰宅。

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オーソン・ウェルズはニジンスキーの夢を見るか

毎日非常識に暑いですが皆さんはこの夏、どこかに国外逃亡の予定はありますでしょうか。いやはや、毎日毎日この国の根幹の制度に対するモラルの低下を報道で見せ付けられると、どこかに国外逃亡したくもなるってもんですよね。

都並は、そんなこと言いつつも、わが国よりもいい国とはぜんぜん思えないんだけれど、この9月に同時多発テロの"Ground Zero"を詣でてくる計画を進行中です。

そのための宿を今奥さんと協働して探している最中なのですが、先日その作業中に気になるホテルを発見。

このホテル、City Club Hotelがそれです。もちろん、ちょっと値の張るホテルなので、ここに泊まらないほうがよいのだけれど、写真(リダイレクトされてしまうので、画面左上のヴォーグ誌フランス版の記事を見てください)の中に気になるメッセージを見つけてしまったのです。

「オーソン・ウェルズによるマーキュリー劇団公演」

この、一見部屋の姿見に書かれているとおぼしきメッセージはいったいなんだ。

オーソン・ウェルズといえば、皆さんおなじみの、アメリカ映画史に残る普及の名作『市民ケーン』(1941)を撮った有名な俳優・監督ですが、なんでこの人の「公演」と銘打った鏡がこの部屋にあるんだろう。

ウェルズについては僕自身、若書きではありますが論文を書いたことがあるので、ゆかりのあるところなら詣でてみたい気も。でもいまのところこの言葉の意味の調べがつかないんだよねえ。

ちなみに新婚旅行では奮発してパリ・オペラ座の近くの「スクリーブ」に泊まったのだけれど、ここは廊下の壁紙がニジンスキーの『春の祭典』だったり『牧神』だったり、と、とってもバレエづいていたのでした。

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銀のボードでどこまでも逃避

来る日曜は学会発表である。と同時に、都並の33歳の誕生日である。奇しくもその学会も今年度33回大会。僕と同い年というわけで、記念すべき発表といえよう。

とはいいつつもこの学会、基本的には6月の第一週末開催、という原則になっており、その原則を守る限り、6年に1回、誕生日と重なるわけである。現に2001年にもそんなことがあり、そこでも僕は発表をしたのを覚えている。ついでにいえばそのときの発表と6年越しでつながっている発表をするわけだが、月日の経つ早さに比べてこの己の研究の遅々とした進み具合はいかがなものか。

などといいつつ、発表準備が煮詰まってきたので現実逃避と授業準備を兼ねつつIMDbを見ていたら、『ファンタスティック・フォー』の続編が作られているではないか(公式サイトはこちら)。

この映画、実は観ていないし、ジェシカ・アルバさんにもさして興味はないのだが、これでひとつこれで謎が解けたところが。副題が「シルヴァー・サーファーの来襲」(邦題は「銀河の危機」だそうです)となっていて、以前からマーヴェル・コミックスのヒーローで「いったいこいつはなんだろうな、全身銀色のタイツ姿でサーファーって」と思っていたのが「ファンタスティック・フォー」がらみの方だったとわかったのである。

しかし調べてみるとこのお方、なかなかとんでもない経歴の持ち主でいらっしゃった。こちらのサイトに詳しいのだが、なんと宇宙人ではないか。星を食べちゃうというスケールの大きな宇宙魔人ギャラクタス(なかなかこちらもありえないデザイン)の魔の手から地球を守るべく、惑星ゼン=ラからやってきたお方だというではないか。おおお、おぬし、まさにウルトラマン級。

それなのにサーファーであるというところが、日本人から見るとどうしようもなく違和感がある。しかも全身銀色で何の意匠もないつるっつるのデザインというところもなかなか首肯しかねる。異文化理解は難しいなあ。

でもこれって、立場を変えてみれば、ガンダムが銃でなく(銃も使っているけどさ)刀を使っているということに対して、外国人が覚える違和感に似ているのかもしれない。でもこちらについては、同じ文化的集団に属している僕らはさほど違和感を感じていないように思うから、それほど文化は個人の中に深く根差しているものだということですね。

などといいつつ、発表の準備から逃避しているのだった。

追記:ちなみにマイティー・ソー(Thor)は北欧神話のトールだったんですね。

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引っ越し始める

竹中直人がモビットのCMに出ているのは「直人(NAOTO)→大人(OTONA)」のアナグラム(並べ替え)になってるからだと最近分かった。

お笑いコンビ、ロザンの菅ちゃんが大阪ガスのCMに出ているのは「がーすー」だからだと最近分かった。

それはさておきこの週末の動き。

金曜日はあれから(カメラマンさんのところに行ってから)夕方奥さんとお父さんお母さんと合流。大津に移動し、またしても琵琶湖ホテルに泊まる。来週、えびてつ氏の結婚式で来る予定なので、二週連続ということになる。

前にも書いたがここはほんとによいホテルだと思う(偉そう)。部屋は広いし、琵琶湖の眺望は抜群だし、大浴場も広くて気持ちいい。全体としてほどよくクラス感があり、ほどよくいなたく垢抜けない。いろんな意味で客にリラックスさせてくれるホテルである。

金曜日は、ここの一階のレストランで会食のあと、家族でラウンジでコーヒーを飲みつつ10時過ぎまで談笑する。久しぶりの家族団らんという感じで気持ちのいい時間を過ごす。結婚して一年、すっかりお父さんお母さんとも打ち解けたなあ、と独り感慨に耽る。

朝はこのホテルの充実したビュッフェをまたもや食べ過ぎてしまう。サラダにかけるドレッシングが、オリーヴ・オイルとバルサミコ(それぞれ別の瓶)が選べるのが良い。

そこからその足で大阪の仕事場へ。夕方まで授業。

夜は帰ってきて、奥さんの手料理。かぼちゃの煮物と、ロール・キャベツと、なすのお味噌汁。

日曜日はいよいよ、引越しの作業を始めた。もう日があるようでないのである。

まず、もっとも混沌としている僕の書斎部分の押入れから着手。昨年度の授業のプリントとか、成績疑義問い合わせに備えるために一定期間保管しておかないといけない過去のテストとか、趣味の本とか書斎の本棚に収まりきらない仕事の本とか、研究会のために集めた資料とかが、半間ぶんの押入れにわんさと詰め込まれている。

なかには引っ越して以来一度もあけていないダンボールもあるわけだが、これを、

①新居の書斎

②研究室の本棚

③廃棄

という三種類に改めて分類する。同時に、結婚前の住居から埃をかぶったまま持ってきてしまったものを掃除機と布巾で掃除する。

この作業を数時間。押入れの下の段が終了した時点で区切りをつける。

そこから奥さんは夕食の準備。頭が下がります。作ってくれたのは、ラム肉のトマト煮込み、春キャベツとベーコンのパスタ。ラム肉はワインをボトル半分ほども使って盛大に煮込まれており、とっても柔らかく出来上がっていた。まさに、骨からするするっとほどける、という状態である。ラム肉特有の臭いも、臭からず、といって皆無でもなく、ほどよく残っていて大変にお上品な味であった。いつもバスティーユでラムを食べるとクスクスが敷いてあるので、ちょっとクスクスが食べたくなる。が、我が家はそんなしゃれたものが常備されている家ではないので、かわりにソースをパンにつけて食べる(パスタも食べたのに、である)。ちょっとした結婚記念日の前祝であった。

思いっきりパスタを食べたのに、今日も夕食にオステリア・ソニドーロに行ってきます(また感想報告しますね>一部の読者様)。

追記:奥さんは夕食のほかにお父さんお母さんに依頼された鰤大根(一食ぶん、今日のお昼用に残しておいてくれました)も作ってくれていました。夕食後もせっせと引越し準備を続け、新たに三箱ダンボールを作っていました。彼女はほんとに働き者です。僕は相対的に(いや絶対的に)怠惰な人間だと反省しきりです。

追記②:ジャミロクワイのアルバムに"Traveling without Moving"というタイトルがあるが、ずっと「動くことなく旅をする」=スピリチュアルな旅、という解釈をしていた(歌詞なんてろくすっぽ見ないからね)。でもひょっとしたらあれは「引越ししないで旅行する」という現実逃避の歌なのかも知れないな。そんなわけはない。

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お祝い事など

えー、まずは、北海道日本ハムファイターズの皆さん、おめでとうございます。正直言って中日ドラゴンズでは新鮮さも話題も何にもないので、日ハムでよかったですね。

それから、山崎正和先生、黒川紀章先生、吉田秀和先生、朝倉摂先生もおめでとうございます。直接存じ上げているのはお一人ですが、文化関係で常々ご活躍されている方だけに、心からお祝い申し上げます。

そしてアル・パチーノさんもAFI功労賞だそうでおめでとうございます。彼は『ゴッド・ファーザー』のイメージが強いですが、『リチャードを探して』『ヴェニスの商人』などのシェイクスピア劇の映画化など、とってもインテレクチュアルな作品を手がけていますし、演技は文句なしにうまいですし、本当にめでたいことです。よかったよかった。

ハーレイ・ジョエル・オスメントくんはちょっとマコーレー・カルキンくんの二の轍を踏みかけていますねえ。剣呑剣呑。

以下雑事など。

昨日は結局カヌレは売り切れ。しかたないのでアンデルセンのパンなど買って帰る。西利の白菜の浅漬けも買ってみた。

夜はこの浅漬けに鮭のムニエル(ジャガイモとにんじん、しめじのバター・ソテー添え)、ほうれん草の胡麻和え、かぼちゃの煮っ転がし、たまねぎの味噌汁に森嘉の冷奴。デザートは新高梨。

正直言って、森嘉の豆腐はめちゃくちゃうまいです。今まで食べた豆腐はなんだったのってくらい、豆の味が生きています。これに比べれば男前の人なんてぜんっぜん大したことないです。

朝はブリー・チーズとペッパー・シンケンのサンドイッチ(奥さん手作り)、目玉焼き、トマト、ウインナー、ヨーグルトにフランス旅行で買ってきたプロヴァンのバラのジャムをかけて。それとコーヒー。こんな食事を続けていていいものだろうか。あまりに贅沢なくらしで罪悪感すら感じます。

今日は一日論文仕事。それから映画のダビングなどして過ごす。昼頃でかけて、コンビニで夫婦してはまっているクリスタル・ガイザーのガス入りミネラル・ウォーター(これのライムはおいしいけどあんまり売ってないですね)やらマウント・レーニアの新作カフェラッテやらを買ってきた。奥さんはスターバックス・ディスカバリーと勘違いしたけど、残念、違います。

奥さんは今は森嘉の豆腐で湯豆腐製作中。日増しに涼しくなってきて、暖かいごはんが美味しい季節になってきたなあ。

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