わたしはウーロンハイになりたい

やれやれ。

今日で僕の持っているクラスの夏休み前の授業が全部終わった。

とりあえず、まだテスト作りやら採点やらレポート評価やらもあるし、自分の原稿もあるのでぜんぜん解放はされないのだけれど、それでもなんとなく一息ついた感じである。

いやあ、今年は忙しかった。去年のことを思い出すと「あれは何だったの」と思うくらい、忙しさが倍増した。講義の数が純増したり、原稿の依頼が来たり、学会の事務が入ったり、自分の研究発表が決まったり、という具体的な仕事と、学内のよしなしごとが交じり合って、ブログも満足に更新できないありさまだった。

そのせいで体力も精神力もかなり逼迫したけれど、ともかく、どうにか、一区切りである。

今日はこの後散髪に行って、明日もちょっと人前に立つ仕事があるのでぱりっとして…そしてビールを飲もう。

いやはや、ビールを飲むしかあるまい。

などといいつつ、最近、年をとって色々好みが変わってきたのか、実はウーロンハイなるものに目覚めている。

あの、ウーロン茶そのものの喉越しの爽快感は、ビールとは違う潤いを与えてくれる、ということに最近気がついたのである。

何せこの地は連日暑い。もとより汗かきの都並は、着替えを持ってきてTシャツで学校に通勤し、授業前に研究室で着替えて出動するのだけれど、それでも授業が終わるとまた着替えたいくらいの汗をかく。

この暑さの中では、ビールもいいけれど、あのウーロンハイのクールさが欲しくなる。

昔、高校のときの部活動の友人が、夏の真っ盛りの練習の合間に、「今俺、アクエリアスのプールに飛び込みたい」と言ったのをしっかり覚えているけれど、僕は今ウーロンハイに飛び込みたい。アクエリアスはなんかべたべたしそうでいやだ。

ウーロンハイは生き方としてもあこがれる。

居酒屋のメニューにあって当然だけれども、でもあまり気づかれず、疎まれもせず、という「雨ニモ負ケズ」的なポジションを獲得している。

それに、お茶のようにさわやかに飲めて、ビールみたいに「よし飲むぞ」という気合を必要としない控えめさと、それでいてちょっと酔わせてくれるという実力を兼ね備えている。

さらに言うと、「お酒だかお茶だかわかんない」(実際、同じ飲み会の席でウーロン茶を頼む人とウーロンハイを頼む人がいると混乱する)という正体不明さもひとくせあってよい。

ワーク・ライフ・バランスという意味でも、「ウーロン茶:焼酎」の比率で「遊び:仕事」をするというのにあこがれる。「遊んでんだか仕事してんだかわからない」人になりたいのである。

…という話を奥方様にしたら、「最後のだけかなり達成してるんじゃない」と言われた。

そういえば昔大学の後輩に「大竹まことみたいになりたい」と言ったら、それも「ほとんどなってるんじゃないですか」と言われたなあ。

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いたいシンポジウム/うまいドイツ・ビール

Vfsh0381 日曜日には築地まで出かけ、朝日新聞社主催のシンポジウム「大学教育を考える ―初年時教育を学士力にいかにつなげるか」に聴衆として参加してきた。たまには都並も教員としての職業倫理に目覚めるのである。

シンポジウムの内容はというと、昨今の大学生のスタディ・スキル&ステューデント・スキルの低下(と一概に評していいものかどうかわからないが)を前提に、いかに高校を卒業したばかりの若者に大学での学びの有り方を習得させ、卒業後に期待される学士力、社会人基礎力を四年間で身につけさせるか、ということについて、各大学の先進的なケース・プレゼンテーションをもとに、ディスカッションをするというもの。

これはたいへんな経験だった。「うちの大学/学生はこのままだと絶対良くない」という危機感を共有する大学関係者が300人から集まって、ふだんの学会でもありえないくらいの集中力でもって議論を戦わしていた。その緊張感がびしびし伝わって、基本的に学生に対して放任主義(「君たちもういい大人なんだからね」)を決め込んでいる(おそらくは古いタイプの研究者である)都並も、「どげんかせんといかん」と、お尻に火がついた気持ちになった。

考えすぎて知恵熱を出しそうになったので、終了後はドイツ・ビールでクール・ダウンすることにした。

大学の時から仲良くしているいっこ下の後輩で、いっしょにバンドもしていたI君が、長いことイタリアに留学していたのだけれども、このたび結婚を機に帰ってきて、東京に住むことになったというので、久々に会ってお酒でも飲みましょう、ということになっていたのである。

しかし、ふつうに飲んでも面白くない、ということはないけれどももうひとつイヴェント性にかけるので、かねてより憧れだった「ガード下」へ(非サラリーマンであることを自覚しすぎているせいか、常々サラリーマン文化に妙な憧れがあるのだ)。

で、せっかくガード下に出かけるなら、本来なら「まんぷく食堂」とか「新日の基」とか、そういうハードコア・テイストの居酒屋に行くのが正しい「道」だったのかもしれないが、そしてそういう本格的なお父さんスタイルに後ろ髪引かれるものがあったのも事実だが、それよりもましてこの日はなんだかおいしいビールが飲みたかったので、日比谷の「ドイツ居酒屋 JS・レネップ」に突入。

結論からいうと正解であった。ソーセージとザウアークラウトとジャーマンポテト、アイスバインなどをつまみに、I君と、I君にもったいないくらいのきれいな奥様と、がんがんビールを飲み倒す。なかでも、店側が一押しの「イエバー」(画像はまた別のビールです)は、ホップが利きつつ、シャープな苦味のきいた確かにおいしいビールだった。

四方山話に花が咲き、おたがい何倍飲んだかわからないうちに、気がつけば終電間際。慌てて電車に乗ったが、帰宅は午前様だった。

いやあ、おいしいビールでした。また飲みましょう。今度はストロング・スタイルの親父居酒屋で。>I夫妻

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焼き鳥の癒し ザ・ファイナル

満を持して焼き鳥屋に向かうと、はたして席は空いていた。カウンター席のいちばん端っこに座っていたサラリーマンふたり組みが抜けていたのである。

そこに座ると、隣はブラジル人三人組。その隣は車オタクの若造。その隣にギャル男ふうのあまり賢くない若者と、その「友達の妹」。L字のカウンターの僕からは見えない部分には、近くの工業大学の学生が座っている。

メニューを見てちょっとびっくりした。一本どれも大体100円。牛とか鴨だけ200円。ビールは、スーパードライしかなかったのだが生中で350円。とりあえず生中を頼んで、ねぎ間やら若鶏やらささみやらつくねやらを適当に頼む。気立てのいいお母さんが一本ずつ「たれ?塩?」と訊いてくれる。

最初は様子見でたれと塩を半々頼んだのだが、たれはちょっと甘辛過ぎたので塩にする。塩はうまい。ここいらの名物のねぎを豚バラで巻いた「ねぶた」というのがあって、それの塩が絶品。これを追加注文したりしつつ、生を三杯飲む。

その間、隣からはにぎやかな話し声が聞こえてくる。隣にいたブラジル人トリオは、はじめぺろぺろと現地の言葉で盛り上がっていたが、まもなく車に乗って(!)帰った。

隣の車オタクの会話はいちいち絶妙である。

「直線は誰だって早い!直線は誰だって早いって!」

「20そこそこの若造に、マフラー代えて『全体のバランスが』って言わないといけないのって…」

「だから何が最強かって結局GTRってことでしょ」

いいなあ、楽しそうだね。

その隣ではギャル男が。

「おばちゃん、ムシキングある?ムシキング?」

「日本語しゃべってちょうだい。おばちゃん日本語しか分からないから」

「ムシキングムシキング」

「やめてよ恥ずかしいから」

いいなあ、楽しそうだね。

工業大学の学生は。

「だから、どうやってホワイトベースが基地になっていくかって過程の話でしょ」

楽しそうだね。

そんなやりとりを、「Hの湯」の壮絶体験の後で超然とした気分で眺めつつ(帰還兵の気分とでもいおうか)、ラジオが阪神の三連勝を告げるのにも耳を澄ましていたら、お母さんが「この兄ちゃんは独りで寂しそうだわ」と思ったのか単に暇だったのか、カウンターの向こうから話しかけて来てくれた。

「お兄ちゃん、はじめて?」

「ええ、最近越してきたんです」

「そう。どこから?」

「京都です」

「京都。三月までうちに来てた子で、京都からこっちの大学に来た子がいたわあ。あの子が帰っちゃったら、お兄ちゃんが来たのね」

「ええ、どうも。僕は教えてるほうですが」

「ええー、そうなのね。そんな歳には見えないわ」

「無理して若作りしているんです」

とか、そんなたわいもない話である。それから、いつもにぎわってますね、というと、このお店は常連さんがいっぱいなんだという。そう話しているうちにも、ブラジル人トリオが抜けた穴に常連のおじさんが座って、いつもの、という感じで串を6本食べ、日本酒の熱燗をコップで三倍のみ、ちょうどの料金を置いて出て行った。

さらにお母さんがいうには、このお店の常連は、通い始めがとっても早くて、小学生からなのだという。つまり、一本100円というリーズナブルな値段のせいで、塾帰りの小学生がおやつに100円握りしめてやってくるのだ。それが中学生になると、部活帰りに焼き鳥弁当(串三本をごはんに乗せて300円)を買いに来る。事実この日もそれらしき若者がふたつ弁当を買ってテイクアウトしていった。それから、高校生が予備校の帰りに寄る。彼ら・彼女らが大学生になって、20歳になったら初めて、店内でカウンターに座って、「おばちゃん、わたしお酒飲めるようになったのよ」と言って飲み屋デビューするのだという。

なんともまあ、心温まる話ではないか。コミュニティに根ざした焼き鳥屋なのである。お父さんは子供達のために4時から店を開けているという。そしてなんと、ムシキングも実はその長期育成コースの人なのだという。

このアットホームな店にはちょっと、都並も常連になりたいと思った。帰りがけに「ねぶたおいしいですよね」というと、二月くらいがこの地方のねぎのベストシーズンで、今は味が落ちかけている時期なのだという。それならば、二月にはまた是非こなくてはなるまい。それからまた夏は夏で、アルミのサッシをはずして、簡易テーブルを外に出して営業しているという。それは素通りできるだろうか。いやできまい。

話が弾んで、それからさらにチューハイ一杯とおしんこ(山盛りで100円)とごはんを頼んで、串も追加して、総計2000円ちょっとであった。ベストプライス。

すっかり気分がよくなって家路についた都並であったが、帰ってから酔いが醒めるのを待って風呂に入りなおしたのであった。

我が家に遊びに来る奇特な人は、このツアーに参加することをオススメします。あなたの人生の中でも(主に風呂のせいで)忘れられない夜になること請け合いです。

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焼き鳥の癒し

いよいよゴールデンウィーク突入ですね。

ということで、奥さんは一足早く、昨日から実家の方に帰省している。こちらで今日まで授業があった僕は明日合流の予定。

そのため一昨日の晩は、「冷蔵庫の中の野菜を使っちゃわなきゃ」という彼女の切なる思いを反映して、盛大なデトックス・ディナーとなった。

メニューはというと、五穀ごはんに豚の生姜焼き、ほうれん草のおひたし(先日ぱっ吉に乗って直売所に買いに行ったもの)、ナスとたまねぎとアスパラの「山芋グラタン」(ホワイトソースの代わりにだしで伸ばした山芋を使う)、あわび茸(しめじの一種)の味噌汁。

これを完食したら腹がはちきれんばかりでしばらく前かがみにしか歩けなかった。

明けて翌日、つまり昨日は、そんなわけで奥さんがいないので、独りで外食。

実はこの日のために前々から行こうと思っていた店があった。それは駅からの帰り道にある、何てことない小さな焼き鳥屋なのだが、とっても風情がいいのである。

外観は「銭形金太郎」に出てきそうな(失礼)手作り感溢れるウッディな掘っ立て小屋ふうで、壁二面はアルミのサッシがはまっている。その奥にはカウンターがあって、いつも立川談志ふうのいかついお父さんが寡黙に焼き鳥を焼いている。カウンター席のほかに小さなテーブル席もあるが、10人も入ればいっぱいだろう。

この店が、いつも仕事帰りに前を通りかかると、ほぼ満員状態でにぎわっているのである。おまけに焼き鳥屋だから、路面に面した換気扇の排気口から香ばしい煙が風にたなびいている。それは100mくらい先まで鶏の脂の焦げるにおいを漂わせて、行きかう住民(特に都並)の鼻孔と胃腸を刺激する。

僕はこの店が気になって仕方なかった。でも焼き鳥屋なんていうワイルドなものはノーブルな奥さんと行くのには向いていない。おまけに彼女はお酒が全く飲めない体質でもあるので、ビールのあてとしての焼き鳥のユーティリティを全く体感していない。さらに言えば、いつもサラリーマンのおじさんがぷうぷかとタバコをくゆらし、お父さんがカウンターの奥からぱたぱたと煙を焚きつけてくる店内の、その強烈なにおいにも耐えられそうにない。

そんなわけで(このブログ、この接続詞多いな。どうでもいいけど)、奥さんがいないときに行こう、と心に決めていたのである。そして昨日がX-DAYだったのである。

しかし物事はうまくいかないもので、19時過ぎに店に足を運ぶと(家から徒歩五分)、店はすでに満席だった。昨日はカウンターの中にお母さんもいて、「ごめんねえ」と謝ってくれる。「いやいやいいですよ、出直してきます」と言っていったんはその場を去った。

さて、どうしようか。であるが、実はこのような事態も想定してあった。もし待たされるようなら、近所の銭湯に行こう、と考えていたのである(「銭湯の踏み絵」に続く)

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