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知らないということ

「教える」という仕事をしていると、「知らない」ということは資源である。相手が何かを「知らない」からこそ「教え」られるのであり、全てを「知」っていれば「教える」仕事は成り立たない。

いわば、理科は詳しくないけれど、電池の陰極と陽極のように、欠損があることが循環を生み出すのである。

だから、たとえ教え子がジョン・ウェインを知らなくても、『グラン・トリノ』のパンフレット表紙を指差して「クリント・イーストウッドってこの人ですか」と尋ねてきても、悲嘆に暮れる必要はないのだ。「『プリティ・ウーマン』の時には生まれてませんでした」と言われても、「ベルリンの壁崩壊?知識としては知ってます」と言われても、嘆き悲しまなくてよいのだ。

「知らない」と言えば、今もっとも身近なところに、もっとも「知らない」人がいる。我が家のポニョである。

彼女はまだまだほんとに何にも「知らない」わけだから、これから全部「教え」てやらないといけない。そのことは、当たり前だとわかっていても、時に父を驚かせる。

例えば「桃太郎」すら知らないのだ。そのうち語って聞かせてあげないといけないのだ。なんてことだ。

でも…そういえば自分の時はどうだったかと思い出して見るに、初めて「桃太郎」を理解した時にどうだったか、どんなふうに感じたか、ちっとも記憶が定かでない。物心ついた頃には、人間世界のやり取りのための一通りの道具のひとつとして、「桃太郎」も知っていた気がする。

だから、そのお話に何らかの感想を持ったかと言うと、もっと覚束ない。蓋し感想などというものは、相対的な評価の基準がなければ成立しないものだ。昔話というものを何も知らないところに「桃太郎」を一つだけぽつーんと渡されても、「ふーん」と思うのが関の山で何とも言いようがないわけだ。「そうなんだ〜。犬と猿とキジだったんだ〜。」これが限界だ。

そんなことを考えるにつけ、我が家のポニョがこれからまた「ふーん。そうなんだ〜」と思うかと思うと…何かしら不思議でしかたない。

なんというか…巨大な工場の製品のひとつひとつにぬかりなく同じ部品が取り付けられるイメージを想起してしまうのだ。この巨大にして精密なシステムの壮大さには、やはり畏怖を感じずにいられない。

アルチュセールさんが「国家のイデオロギー装置」と名付けたのは、これのことかしらん。

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近未来スケジュール

他の皆さんはどうかはわからないが、忘れっぽい&おおざっぱな性格な都並にとって、携帯のスケジュール/カレンダー機能は今や欠かせない機能である。

例えば夜眠る前に「あ、明日の2時限の講義であの資料見せよ。明日の朝書斎から持っていかなくちゃ」と妙案を思いついたとしても、そのまま何の策も採らずに脳の機能だけを無邪気に信じて生きると、翌朝、見事に忘れて家を出てしまうのだ。それはもうすっかりぽっかりと、まるで空から落ちてきたジャングル黒べえがししお君の家の庭に開けた穴のようにぽっかりと、記憶に空白が生じてしまうのだ。

そんな自分のことが痛いくらいわかっているので、ここ数年は、大事なスケジュールは必ず携帯のカレンダー/アラーム機能を使って自分にリマインドするようにしている。

ついさっきも、ちょっとした用件を思い出したのでアラームを設定したばかりだ。

ところでこの機能、他の機種はわからないが、僕の使っているシャープのものだと

○○○○年○月○日○○時○○分

まで細かく設定が出来るようになっている。

それを見て気がついた。

○○○○年…ということは…3000年後でも入力/登録できるのだろうか。

もしそんな遥かな未来まで、機械が律儀に記憶するならば、まるでスピルバーグの映画みたいでロマンチックではないか。

…と思いつつ試しにやってみたのだが、やっぱり無理だった。2030年までしか入力/登録できないようだ。

機械がそこまで現実的じゃなくてもいいと思うんだけど。3000年後の予定が入力できたら「世界を救う」とでも入力しようと思ったのに。

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adidasxSTAR WARS

adidas originalsとSTAR WARSのコラボレーションが発表されたそうな。

2010年1月から店頭に並ぶそうで…やばい。やばすぎる。

adidasもSTAR WARSも大好きな都並としては、いてもたってもいられません。お小遣い貯金しなきゃ…。

以前から同2ブランド(?)のコラボ・アイテム(スーパースターのヨーダ・モデルとダース・ベーダー・モデル)はあったんだけど、プレミアがついて高くて、買い控えていたんだよね…。買ってももったいなくて履けないだろうし。

とりあえず今夏はスター・ウォーズTシャツでも追加購入してモチベーションを高めよう。

とても35歳の一児の父の日記とは思えません。

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不思議な兄弟その(3)

で、つい昨日のこと。

この日僕は少し朝が遅い日で、10時頃にまだ家にいた。

そしたら、一階玄関のオートロック前から(つまりキッチン壁面のインターホンから)「ピンポ〜ン」と呼び出す音がする。

何だろう、と思いつつモニターを見ると、そこに例のお兄ちゃんが、かろうじて頭から顎の辺りだけ写っていた。

僕はびっくりして、なんとなく通話をためらい、そのまま彼の動向をモニター越しに見ていた。

すると彼は、画面左奥にある玄関ホールのドアを注視している。

どうやら、またもや僕に開けて欲しいらしいのだ。

しかしそうは言っても、先日と同じ理由で、開けてあげるのはためらわれた。

そうこうしているうちに、一定の時間が過ぎ、モニターの映像は消えた。

…話は今のところここまでである。何せ昨日の話だ。

しかしそれにしても…何なんだお兄ちゃん。どうして僕を見込んだんだ。初対面の時といい…今回といい…。

そもそも今回は、何故うちの部屋番号を呼び出したのかが気になる。

初対面の時のことを覚えていて、部屋番号も分かっていて押したのか(僕が彼くらいの時はそのくらいの知恵はあった気がする)、それとも家が同じ階だから間違えたのか、誰でもいいから開けてほしくて順番に部屋番号を押していたのか。

いずれにせよ、いつも会う度に何か気になる兄弟なのである。

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不思議な兄弟その(2)

その兄弟にはまた別の日に会った。今度ははじめからお母さんらしき人物といっしょだ。

まだ朝早い時間だったが、僕は一階の集合ポストで新聞を取って部屋に戻るところで、その親子は出掛けるところのようだった。

お兄ちゃんがすれ違いざまに

「こんにちは」

といったので、時間帯的には微妙だなと思いつつも僕も

「こんにちは」

と返した。すると後ろからついてきたお母さんが

「おはようございます」

という。そこで僕も

「おはようございます」

と返した。なんだか間抜けな挨拶になったな、と思っていたら、お兄ちゃんの方が遠ざかる背中越しに

「そうか、おはようございますと言えばいいのか」

と言うのが聞こえた。先日の件といい、なかなか言葉が達者なお子さんだ。

その二人の後ろを、さらに弟くんがついていく。

僕はその時ふと気になって彼の足元を見た。

やっぱり裸足だった。

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不思議な兄弟

不思議な話をもうひとつ。

先日、朝1時限から授業がある日のこと。僕は少し出る準備に手間取り、遅刻しそうだった。

慌てて玄関のドアを開けると、そこに松本大洋の漫画に出てきそうな兄弟が立っていた。

お兄ちゃんの方は五歳くらい、幼稚園に行くようなかっこうをして、帽子をかぶって、かばんを襷掛けにしている。

が、何故か手荷物が変わっていて、「熊本メロン」と書かれたメロンの箱を持っている。

弟の方は二歳くらい、丸坊主が伸びた髪形をしていて、しかも何故かこっちは裸足だ。

その兄弟が、ドアを開けたところに道祖神のように立っていて、兄の方が開口一番こういう。

「すみませんが、しばらくこの子(弟)を抱っこしててもらえますか?」

朝一番に、その日はじめて他人と交わす会話で、これほど面食らうものもない(だいたい「ちょっと」っていつまでだ)。そんなわけで僕は

「え、あ、えっと…僕ちょっと急ぐんだよね」

などとしどろもどろになりながら、兄弟を気遣いつつ、ちょっとずつエレベーターホールに移動した。

そしたらその兄弟もついてきて

「すみませんがこの(エレベーターの)ドアを開けてください」

と兄が言う。そんなこと言われても、もしエレベーターを呼んで、この子達がいっしょに乗り込んできて、地上にいっしょに降りちゃったりして、それで保護者とはぐれたりしちゃったら大変だ。

しかし逡巡している間にも時間は過ぎていく。

いよいよ兄弟を連れて降りようかと思った頃、同じ階の廊下の遠くの方からお母さんらしき人物が接近してきた。

彼女がエレベーターホールに辿り着いたところで一安心、これで一件落着とエレベーターを呼び、四人で乗り込んだ。

しかしその後がまた奇妙なのだ。

お母さんはこのどさくさに対して一言のコメントもなく、静かにエレベーターに乗っている。しかも下の子を裸足で立たせたままで、抱き上げもしないのだ。

僕はそれを見て「不潔だし危険だな」と思ったが、他所様の家庭にあまり差し出がましい口を利くのも憚られたので黙っていた。

で、その日はそのまま、エレベーターを降りてしまい、もう他に語るべきことは起こらなかった。僕だって仕事に遅刻するわけには行かないので、駅への道を急いだのだ。

(つづく)

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ベン・ビッグウェイブ/数奇な人生

皆さんは、イングリッシュ・ネームをお持ちでしょうか。僕は持っています。

といってももちろん正式なものではなくて、学生の時に冗談で作ったもので、ベン・ビッグウェイブ(仮名)と言うのがそれだ。

どうしてそんな変な名前になったかというと、それはアメリカからの留学生といっしょにごはんを食べていた時の成り行きだった。

新しい留学生に早く打ち解けてもらおうと、いろいろと話しかけているうちに、ふいに誰かが、その場の皆に愛称がわりにイングリッシュ・ネームをつけてもらうようリクエストしたのだった。で、他の皆のは忘れてしまったけれど、いざ僕の番が来て、その時僕は「鰤彦なのでB音で始まる名前を」とリクエストした。そうしたら彼女は

「ベン、って感じの顔してる」

と言ったのだった。それを自分でも悪くないと思ったので(鰤だからブライアンとかでもよかったけど)、以来、事あるごとに(あんまないけど)「ベン」を名乗ったりしてきた。

苗字の方は単純に「ツナミ」の直訳で、ジョークみたいなものだ(もちろん都並はHNで本名とは違うので、実際は本名の方の直訳で作った)。

で「じゃあ僕はベン・ビッグウェイブだね」と留学生の彼女に言ってみたら

「いいじゃない。アメコミ・ヒーローに変身しそうな名前だわ」

と笑って言う。それを聞いて素直に「アメコミ・ヒーローならいいじゃないか」と思った。たぶんそれは日本で言うところの本郷猛とか一乗寺烈みたいな名前だということだろうけど、少なくとも「シンプソンズ」に出てきそう、と言われるよりは全然いい。

ということで以来時にはベン・ビッグウェイブというもうひとつのペルソナに変身してきたのだが、今日仕事を終えて家に帰ってきて、なにげにテレビを点けてびっくりした。

その全く同姓同名の「ベン・ビッグウェイブ」がテレビに登場していたのだ。

テレビの中のベンがどんな人物だったかというと、幼い頃に両目を失明したにもかかわらず、その代わりに聴覚を発達させ、舌打ちの音の反射音を聴くことで健常者とかわりなく生活ができるばかりか、自転車に乗ったりローラースケートで走ったり、揚げ句の果てにはバスケのシュートを決めたりするという、「すごい能力の持ち主」だった。

留学生の彼女が言ったことはあながちハズレでもなかったのだ。

本物のベンはまるでアメコミ・ヒーローだった。

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シュプレヒコールの波

月曜日に大学主催の県民公開講座があり、僕よりずっと年配の方々を前に90分の話をしてきた。

事前に準備した資料は9頁、映写する映像資料は30分と盛り沢山で、時間内に収まるか不安だったのだけれども、やってみれば古館伊知郎さんばりのタイミングで(あの人が前任者の久米さんより明らかに優れているところは、放送時間ぎりぎりで「ではまた」と入れるスキルだ。久米さんはしょっちゅう尻切れトンボになった)終えることができた。

内容はいつまでも冷や汗ものだけれど、それでもその辺はだんだん勘みたいなものが身についてきたらしい。

だんだんこうやって大学の先生らしくなるのだろうかしらん。

話は少し変わるけれどその話の中で、ベトナム戦争期のアメリカの若者と政治について話した。

最近、あの時代の若者に対して、十万光年の距離を感じる。簡単に言うと、「連帯」の感覚を持てなくなってきているのだ。

といっても、学生だった頃、友達付き合いが苦手だった訳ではないと思う。むしろ、バンドをやったり映画を撮ったり、濃厚な付き合いがあった方だと思う。

それがいつの間にか、個人経営の最たる業種、研究者の生き方に慣れてきてしまったのだろう。例えば今、マンションの自治会にせよ地域の祭にせよ、「皆でやる」作業を何かやって下さいと言われたら、ちょっとうろたえてしまうと思う。

もちろん、この仕事は自分で選んだもので、その選択の時にはこう考えたのを覚えている。

「死ぬまでできる仕事をしよう。例えばウォークマン(当時はiPodはなかった)を作る仕事もいいけれど、定年退職してから独りでウォークマンを作れるだろうか。死ぬまでできる仕事で、”好き”と”得意”の折り合う仕事をしよう」

ということで選んだ仕事がこれだった。24時間営業で、といいつつしょっちゅう開店休業中で、店主がどこかに失踪中の、完全な個人経営。

だんだんそれに慣れてきたけど、最近妙に、ヘルメットを被り、互いに肩を組んだデモ隊の、隣の同志を無条件に頼みにしているあの感覚、あれが懐かしく思う。

そういうシチュエーションでは、どんな気持ちで肩を組むのか、真剣にわからなくなってきているのだ。

これはちょっと、怖いなと思う。

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帰還

1214529173_246気がつけば、いや自分でもわかっていたんだけれど、約二ヶ月間このブログを放置していました。

その理由はというと、何せ忙しかったのです。

誇張ではなく、この3ヶ月間というもの、寝ている時間(たぶん、一般人の平均より睡眠時間は長いけれど)以外は常に何か「仕事」をしている、という状態で、これは僕みたいな、もとがマイペースかつ牧歌的な人間には、とってもきついことでした。

僕は、できれば毎日笛を吹いたり羊と遊んだり、歌を歌ったり釣りをしたりして過ごしたい、そしてできればきれいな夕焼け雲や砂浜の貝殻や木々の梢の葉のかたちを、まるで初めてこの世界で出会った美のように、はっという驚きをもって愛でつつ暮らしていきたい、という「走れメロス」かムーミン谷のスナフキンみたいな人間なのです。

それがこの3ヶ月というもの、人が違ったように働いています。いやはやまったく、とんでもないことだ。「若い頃に無駄に過ごした時間が、人生で唯一の自由であるかもしれない」という名言がありますが、何となくこの言葉の重みが理解できる今日この頃です。

しかしこれから先、直ちにこのワーカホリックなスタイルを改善できそうな見込みもないので、これと折り合いをつけていかなければならないんだろう。ひとかどの人間になりたい、とは思わなくても、せめて人並みでいたい、と思ったら引き受けなくてはならないことなんだろう。

…などと繰言を言っても仕方ないので話題を変えて。

この忙しさの中で、父親になりました。

6月7日、晴れ渡る五月晴れ(6月だけど)の日に、娘を授かりました。

これは、当然のことながら、僕の人生観というか世界観にとって大きな衝撃で、彼女の存在は、その誕生の直後から、我が目で眺める世界の意味合いを完全に変えてしまいました。

この、まずまずありきたりな人間に起こったまずまずありきたりな事件が、これもまたありきたりな感じで当事者に及ぼすインパクトというものが、ありきたりであるがゆえにそれだけいっそうものすごすぎて、それがしばらく日記に向かえなかった理由でもあります。

このありきたりな衝撃をどう伝えればいいのか、うまく表す言葉がないのですが、それでもよく覚えていることを書いておきたいと思います(きっとそれもありきたりな文章になるだろうけど)。

6月7日、朝方に娘が生まれて、僕と奥さんは産院の個室に帰ってきて、まだ娘は新生児室にいるので、仮眠をとろうとしていたときのことでした。

この日の空は、先ほども書いたように清々しく晴れていて、部屋の窓からは故郷の田んぼの青々とした苗が一面に広がり、それが風に波打つのが見えました。窓を網戸にすると、その田んぼの上を吹き渡った風は、僕らのいる部屋の中にも入ってきました。

そこで僕は部屋のソファー・ベッドに寝っ転がって、エアコンなんかつけずに、このなじみのある、故郷の町の春の風に吹かれながら、仮眠を取ろうと思いました。

そのとき、その風が、においや湿度までよく知っているはずの風が、今までとは全く違ったように感じ、僕はびっくりしました。

これまで、僕と奥さんは、春秋の気候のいい時期には、よく連れ立って公園にピクニックに出かけてきました。そこでこの日のような春の風を感じると、なぜかしら懐かしく感じたものです。つまり春や秋の好天は、自分史の中の、そしてたぶん幼い頃の、同じような好き日の記憶を思い起こさせる「よすが」というか、ノスタルジーをかき立てる記念品のような機能を担ってきたのだと思います。そしてそのノスタルジーには、もう遠い日に帰ることはできないんだ、という諦念がつねにない交ぜになってもいました。

それがこの日の風の感じ方は、全く違っていました。今までのように郷愁の念を誘うものではなく、今この瞬間のための全く新しいもの、まだこの風についてよく知らない、生まれたばかりの娘の、今この日のために吹いているんだなあ、というように感じられたのです。

この感覚の違いは圧倒的で、単純な都並をある意味うちのめしました。

「ああ、これから毎日見聞きする全てが、すでに素性を知り尽くした陳腐なものであるにもかかわらず、まったく新しい感覚を伴ってやってくるんだ。…なんてことだ、あの退屈で垢抜けないショッピング・モールさえ、新鮮味をもって見られるに違いない」

この感覚に含まれていたのは、ある意味畏怖とでもいうべき感覚でした。

ブログを更新しないうちに僕自身はまたひとつ歳をとり、村上春樹の短編で「人生の折り返し地点」と言われる35歳になったわけですが、35年間かけてやってきたことを、またいちからはじめるルーキーが誕生して、なんだか巨大な運動場のトラックを一周して戻ってきたような気持ちになりました。一周してきたところで、その新しいランナーと併走することになったわけです。

この新しいランナー、まだ足取りも覚束ないのですが、この選手と併走していくのが取り急ぎ僕の使命なんだなあ、とそんなふうに感じた、6月の朝でした。

以上、まずまずありきたりな人間に起こったまずまずありきたりな事件がもたらした、まずまずありきたりな衝撃について書いてみました。まあしょうがないよ。ありきたりなところから非凡な結果が出てくるわけがないよ。

追記:娘のブログ・ネームですが、僕が鰤彦、奥さんが鰆、なので、悩んだのですが(魚偏の名前は世田谷区の長谷川さんにたくさん使われていることもあり)、「めろちゃん」にします。別名銀むつ、西京焼にするとおいしい魚です。

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