思えば遠くへ来たもんだ

ただいま深夜1時少し前です。

今僕は義弟の結婚式に参加するために福岡は海の中道公園にあるリゾートホテル兼結婚式場に来ています。

窓の外には真っ青なプールとウッドデッキ、そこにドミノのようにずらりと並べられたデッキチェアと折り畳まれたパラソル(モエ・エ・シャンドンのロゴ入り)が見えます。

その向こうには闇に沈んだ湾があり、水平線の位置に埋立地の工場の明かりがオレンジ色に霞んでいます。そこから少し上方には巨大クレーンの頂点を示す警告灯が瞬いています。

部屋の中では奥さんと娘が深い眠りに沈んでいます。

娘はベビーベッドの中で周期的に体をひねり、そのせいで反時計周りに回転し、今8時くらいの位置に頭を向けています。

奥さんは奥さんで、いざという時に、自分のベッドの足元の位置にあるベビーベッドの中の、まだ二ヶ月半の娘の様子がすぐに見られるように、ベッドを逆方向に使って仮眠を取っています。

そんな中、僕だけが寝付けずに起きています。ホテル全体が静まり返っており、何だか不思議な時間です。

とか言っているうちに、もうすぐに娘が目覚めそうなんだな。長旅の疲れとはいえ、かれこれ連続6時間半寝ているから。

娘が起きたらまたお世話をして、それから寝たいと思います。せっかくだから日の出の頃に起きて、海の向こうの朝日を見たいと思ったけど、無理っぽいです。

それでも明日は親子三人で海辺を散歩しよう。

なんて生活にいつの間にか慣れている。思えば遠くへ来たもんだ。

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目撃

今、TBSの世界陸上の合間の深夜のニュース・スポット見てたら、お盆のUターン・ラッシュのニュースで、空港利用者の映像に、ふつうにスキマスイッチのアフロだった人が通りすがりふうに映っていた。

きっと今日はニュース番組で何回もこのクリップが使われて、ファンの間では話題になってるんだろうな。

追記:鋭意子育て中です。

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もったいないオマージュ

今家で『メイド刑事』なるバカバカしい「報道ステーションの後の時間帯のポップなミステリー」(確か同じカテゴリーに『モップガール』などがある)を見ていて、『スケバン刑事』級のくだらなさに頭がクラクラしていたのだけれど、見続けるうちに今回のエピソードにヒッチコックへのオマージュがあるのに気づいた。

しかも二作品、『サイコ』と『レベッカ』である。さらに、前者は「死んだ家族のミイラが登場する」というあからさまなものなのだけれど、後者はかの有名なトリュフォーのインタビュー本を熟読していないとわからないものなのだ。

しかもその表現が実に控えめなので、気づかなかった人が大半ではないだろうか。

具体的に言うと、『レベッカ』でヒッチコックは、ヒロインを脅えさせるメイド(そう、メイドである。だからこの作品にオマージュを捧げているのだ)ダンバース夫人の不気味さを表現するために、彼女が歩くところを画面に写さず、現れるときは常に「気づいたらそこにいる」という演出を採ったのだとトリュフォーに告白している。

今回の『メイド刑事』では岩佐真悠子がそのような現れ方をした後、脚を動かさずに、まるで台車に乗っているかのように(たぶん実際に乗っていたのだろう)すーっと移動していた。

何でそんなわかりにくい演出を、言ってみれば「オマージュの無駄遣い」をしたのか。

などと言っていたら、来週は南野陽子さんがゲスト出演して「おまんら、許さんぜよ!」と言うらしい。

それは逆にわかりやす過ぎます。

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知らないということ

「教える」という仕事をしていると、「知らない」ということは資源である。相手が何かを「知らない」からこそ「教え」られるのであり、全てを「知」っていれば「教える」仕事は成り立たない。

いわば、理科は詳しくないけれど、電池の陰極と陽極のように、欠損があることが循環を生み出すのである。

だから、たとえ教え子がジョン・ウェインを知らなくても、『グラン・トリノ』のパンフレット表紙を指差して「クリント・イーストウッドってこの人ですか」と尋ねてきても、悲嘆に暮れる必要はないのだ。「『プリティ・ウーマン』の時には生まれてませんでした」と言われても、「ベルリンの壁崩壊?知識としては知ってます」と言われても、嘆き悲しまなくてよいのだ。

「知らない」と言えば、今もっとも身近なところに、もっとも「知らない」人がいる。我が家のポニョである。

彼女はまだまだほんとに何にも「知らない」わけだから、これから全部「教え」てやらないといけない。そのことは、当たり前だとわかっていても、時に父を驚かせる。

例えば「桃太郎」すら知らないのだ。そのうち語って聞かせてあげないといけないのだ。なんてことだ。

でも…そういえば自分の時はどうだったかと思い出して見るに、初めて「桃太郎」を理解した時にどうだったか、どんなふうに感じたか、ちっとも記憶が定かでない。物心ついた頃には、人間世界のやり取りのための一通りの道具のひとつとして、「桃太郎」も知っていた気がする。

だから、そのお話に何らかの感想を持ったかと言うと、もっと覚束ない。蓋し感想などというものは、相対的な評価の基準がなければ成立しないものだ。昔話というものを何も知らないところに「桃太郎」を一つだけぽつーんと渡されても、「ふーん」と思うのが関の山で何とも言いようがないわけだ。「そうなんだ〜。犬と猿とキジだったんだ〜。」これが限界だ。

そんなことを考えるにつけ、我が家のポニョがこれからまた「ふーん。そうなんだ〜」と思うかと思うと…何かしら不思議でしかたない。

なんというか…巨大な工場の製品のひとつひとつにぬかりなく同じ部品が取り付けられるイメージを想起してしまうのだ。この巨大にして精密なシステムの壮大さには、やはり畏怖を感じずにいられない。

アルチュセールさんが「国家のイデオロギー装置」と名付けたのは、これのことかしらん。

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近未来スケジュール

他の皆さんはどうかはわからないが、忘れっぽい&おおざっぱな性格な都並にとって、携帯のスケジュール/カレンダー機能は今や欠かせない機能である。

例えば夜眠る前に「あ、明日の2時限の講義であの資料見せよ。明日の朝書斎から持っていかなくちゃ」と妙案を思いついたとしても、そのまま何の策も採らずに脳の機能だけを無邪気に信じて生きると、翌朝、見事に忘れて家を出てしまうのだ。それはもうすっかりぽっかりと、まるで空から落ちてきたジャングル黒べえがししお君の家の庭に開けた穴のようにぽっかりと、記憶に空白が生じてしまうのだ。

そんな自分のことが痛いくらいわかっているので、ここ数年は、大事なスケジュールは必ず携帯のカレンダー/アラーム機能を使って自分にリマインドするようにしている。

ついさっきも、ちょっとした用件を思い出したのでアラームを設定したばかりだ。

ところでこの機能、他の機種はわからないが、僕の使っているシャープのものだと

○○○○年○月○日○○時○○分

まで細かく設定が出来るようになっている。

それを見て気がついた。

○○○○年…ということは…3000年後でも入力/登録できるのだろうか。

もしそんな遥かな未来まで、機械が律儀に記憶するならば、まるでスピルバーグの映画みたいでロマンチックではないか。

…と思いつつ試しにやってみたのだが、やっぱり無理だった。2030年までしか入力/登録できないようだ。

機械がそこまで現実的じゃなくてもいいと思うんだけど。3000年後の予定が入力できたら「世界を救う」とでも入力しようと思ったのに。

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